俺が「その事」に気付いたのはすぐだった。携帯を確認するのはほぼ習慣になっているので――日付が変わっていない事を認識するのに時間は用さなかった。だがそれを事実として確定させる為に、ネットの書き込みを見て、テレビを着ける。まるで同じ書き込み、同じ話題、同じ情報。ああ、これはまさしく現実だ。
そして同時に、この事実を知っているのは自分だけだと言う事も分かった。同じ日を繰り返しているのに、誰からも「おかしい」なんて困惑の声は出ていなかった。
「………」
もう一度日付を確認する。1月28日。何度見ても変わる様子はなかった。その携帯をコートに仕舞い、袖を通す。完璧に準備を終えると、いつものようにやってきた有能な秘書にこう告げた。
「少し、出掛けてくるよ」

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内心、これはチャンスだと思った。前回は出来なかった事を、今は出来る。やり直せる。そうしたい事が俺にはあった。似合わない浮かれ方をして幸せそうにしていた、あの化物の誕生日を、「最悪」の日にしてやりたい。アイツが最悪なら、こっちとしては最高だ。

そんな事を企みながら歩いていると、ドタチンの姿を発見した。シズちゃんはまだそこにいない。俺はポンとその肩に手を置いた。
「やあ」
「………臨也か」
あまり歓迎されてはいない様子。当然といえば当然だ。これからシズちゃんに会うのに、俺がいては厄介だろう。その反応の意味を分かっていながら、いつも通りこちらから話題を持ちかけた。ドタチンはそんな俺を無下にはせず、会話に付き合ってくれた。
すると、ガタンと後方から音がする。振り向けば、こちらを睨む金髪。俺が笑ってひらりと手を降りながら走り出すと、シズちゃんは当然のように追い掛けてくる。ドタチンが何か言っていたようだが、シズちゃんは構わず俺を追い掛けた。何だか普段より切羽詰まっているようにも見える。前回は見向きもしなかったのに、この差は何だというのだろう。少し気になったが、今は逃走に集中する。
待ちやがれ臨也、と叫びながら向かってくるシズちゃんの手がこちらに迫っていた。ああ捕まる、と思ったその瞬間。
「あっ、静雄さんだー!」
ハッキリと聞こえたその声。走りながら振り向くと、シズちゃんが九瑠漓と舞流に捕まっているのが見えた。俺が捕まらなかったのは良いが、あまり良い展開では無い。これでシズちゃんは俺を追いかける気が無くなってしまったかもしれない。それは、困る。前回あっさりと俺に背を向けたくらいなのだから、見失えば気が削がれてという事も無いとは言えない。とはいえ、わざわざあの二人から離れるまで待っているというのも不自然なので、とりあえず身を隠した。

、――早く気付けよ、化物。



事務所に戻ると買い物に出ていたらしい波江が、シズちゃんがここに来たという事を教えてくれた。どうやら入れ違いになったようだ。結局何も出来なかったと少しの後悔を感じながら、椅子に身を預ける。波江が呆れたように言葉を投げかけた。
「本当に可哀想な男ね。用意していたんでしょう?」
「……何の話かな」
誤魔化せば冷めた視線で一瞥され、その後はもう何も言わなかった。本格的に呆れられたようだが、自分でも少し自覚はしている。…それでも、渡せなかったのだから仕方がない。本当はシズちゃんの誕生日を台無しにするなんていうのは目的じゃない。

俺の、この日ただ一つの後悔――――――プレゼントを用意しておきながら渡せなかったなんて、我ながら馬鹿馬鹿しい理由だよ。


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三度目を迎える事は何となく予感していた。このままだとまた繰り返される可能性だってある。しかし原因も解決法も分からない今は、同じように起床して同じように仕事に行く事しか出来ないのである。今度こそノミ蟲野郎をひっ捕まえてやる。これはもうこの変な現象など関係ない、ただこの沸き上がる苛立ちを収める為だ。つまりはストレス解消、八つ当たりにも近いが相手が臨也ならば別に構わない。その為には段取りというものがあり、その順番を俺は覚えてしまっている。今までならば最初に話しかけてきたのはトムさん、のはずだったのだが。
「……お、おはよ、シズちゃん」
何故だか顔を俯かせて、慣れない言葉を口にしたみたいに挨拶をする、ある意味で今一番会いたかった奴がそこにいた。わざわざ殴られに来たのかご苦労な事だな、って、そうじゃねえ。なんで臨也がここにいる?今は仕事に行こうとしていた所なので、ここは俺の家だ。鳴らされたインターホンを不信に思いながら扉を開けたらそこにいたのは臨也だった。今までには無かった出来事だ。おかしいだろ、これは、明らかに。戸惑う俺を見上げて、臨也はあのさ、と小さく呼びかけた。
「デート、しようよ」
…少し、理解出来ない単語が聞こえた。いや、意味くらい俺にだって分かる。問題はその単語を発した人間の方だ。今こいつは、どうして「デート」なんて言葉を口にした?臨也を見るが、視線が合ったと思えばすぐに逸らされた。何だか分からないが挙動不審だ。ずっと指と指を擦り合わせる動作をしているし、あまりにも臨也らしくない。まさか偽物か?しかし、この匂いは紛れもなく臨也のものだ。
「手前、何が目的だ」
「な、何が、って……そういうのじゃないよ。どうしてそう疑り深いかな」
「怪しすぎるんだよ」
ハッキリ言えば臨也は少し表情を強張らせ、また俯いた。さっきから態度と行動が俺の知る臨也と一致しなさすぎて、気味が悪い。…うっすらと頬が赤いのは、寒さによるものだろうか。何故だ、目の前にいるのは確かに臨也のはずなのに、調子が狂う。正面から来られた上に、様子もおかしいとなると、殴る気にはならなかった。
「……そこで待ってろ。動くんじゃねえぞ」
えっ、と臨也が目を見開きながらそう声を出す。自分から言ったくせに驚いてんじゃねえ。仕事場に今日は休ませてくださいと連絡した後、軽く準備を済ませて扉を開ける。臨也は素直にその場から動かず待っていた。声をかけると臨也はびくりと肩を跳ねさせ、ぎこちない動作で足を踏み出した。
「おい、大丈夫か」
「ッな、何が?心配されるような事はしてないと思うんだけど」
どの口が言うんだ。普段の余裕綽々としたものではなく、明らかに固い笑顔を見せながら臨也は目的地も伝えぬまま歩き出す。その手首を掴み、自分の隣へと引き寄せる。視線が合えば、気まずそうな表情でサッと顔を背けられた。ああ、呆れるほど今日の臨也はおかしい。おかしい、が、好都合でもある。逃げ回らないのは楽だ。「あの事」を聞き出す事が出来る。2回目の28日、臨也だけ他の奴とは違う行動をしていた理由。…しかし、どうやって聞くべきか。
「シズちゃん?」
立ち止まった俺に、臨也が上目でこちらを見上げながら首を傾げる。何だこいつちょっと可愛い……いやいや、そんな訳はねえ。変な錯覚を覚える寸前だった俺に、臨也は尚も不思議そうに見つめてきたが何でもないと言って誤魔化した。



池袋に着くと、隠すようにフードを深く被った臨也が何処に行こうかと問いかけてくる。臨也が俺の方を向く頭の動きに合わせて犬耳がぴょこぴょこ揺れていた。25にもなった男が見せる姿じゃねえなと思ったが口には出さずに、行きたい場所は特に無いと伝えた。結果、臨也が決めたコースを行く流れになったが、臨也はどこかまだ様子がおかしかった。あまり視線が合わないし、よく俯く。何なんだ。というか、そもそも俺だって今の状況をよく分かっていない。どうしてノミ蟲と肩を並べて歩いているのかも、呑気に「デート」なんてことをしている理由も。
す、と自分のものではない細い指が右手に絡んだ。臨也を見るとまた、今度は分かりやすく頬が赤く染まっていた。既に許容量を越えているのか、臨也にしては珍しく頭が働いていないようで、話しかけても暫く反応しなかった。本当に今日はらしくないなと思いながら、臨也に手を引かれ最初の行き先に向かった。


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日が暮れ、デートも終わりにさしかかる。何処で終わりなんて決めていたわけじゃないが、臨也の足が止まったのできっとここが「最後」なのだろう。“あの事“、を聞くなら今だと――口を開こうとしたその瞬間。同時に正面から倒れてきた黒い体を反射的に受け止めた。自然と抱き締める形になり、呆然としていた俺を臨也がじっと見つめた。「……シズちゃん、あのさ」そっと臨也は手を俺の頬に押し当てる。
「どうせ忘れちゃうだろうから…だから、許してほしいんだよね」
「何が…、ッ!」
唇に柔らかい感触を感じて、さらさらとした黒髪が肌を擽った。数秒は何が起こったのか分からなかったが、視界に映る整った顔に、一気に現実に引き戻された感じがした。ぴったりと密着した体は、その行為が終わると同時に離れていった。臨也は今の出来事が何でもなかったように、微笑を浮かべながら、次の瞬間には俯いて、状況を呑み込めていない俺に構わず言葉を吐き出していった。
「……好きだよ、シズちゃん」
「どうしようもなく君が嫌いで、好きで、余裕なんて無くなるくらいに君に狂わされてる」
「今日も、…すごく、楽しかったよ」
次々に飛び出す言葉は、俺を混乱させるには十分だった。臨也が俺を好きで嫌いで、それから何だ?頭の整理が付かず、ぐるぐるとその二つの単語が回る。暫くして口を閉じた臨也は少しだけ悲しそうな色を表情に乗せて、軽く突き飛ばすような形で俺から離れた。
「また明日」

ぐるり、視界が混ざりあって意識が途切れた。





130510


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