臨也を見掛けて苛立たなかったのは、これが初めてだっただろうか。普段ならば、キレて誰かを殴りかかろうとした時、視界の端に臨也が映れば意識は全てそちらに持っていかれる。だが今日は逆で、意識が臨也以外の他人にあった。それはトムさんだったりヴァローナだったりセルティだったり来良の学生だったりサイモンだったり、数少ない知り合いだ。
きっと俺は浮かれていたんだろう。祝福の言葉に、そうしてくれる人達に、単純に、嬉しく思った。臨也の方も特別余計な事をしてこなかったし、仕事も問題なく終わったし、あまり他人にも絡まれなかった。誰も傷付けることなく、何も傷付かずに済んだ。

ああ、今日は「良い日」だな。



-



ああ、今日はなんて「嫌な日」なんだろう。

池袋に仕事に出て、シズちゃんと遭遇して、逃げようと踵を返す前に第三者からの声に反応したシズちゃんがあまりにもあっさりと方向を変える。思わず拍子抜けした俺はその背に手を伸ばしてしまった。何をしているんだ、これではまるで引き止めたいみたいじゃないか。そんな自分自身の声に伸ばした右手を引っ込めて、シズちゃんが向かった方向を見る。遠くで穏やかに笑うシズちゃんと、あれは…ドタチンかな。会話の内容はここでは聞こえないが、楽しそうにしているというのは分かる。暫く眺めていたら、ドタチンが紙袋を渡し、シズちゃんは照れ臭そうにそれを受け取っていた。……帰ろうかな。紛れる人混みの中『誕生日おめでとう、静雄』そんな言葉がぼんやりと聞こえた。



-



トムさんが飯を奢ってくれて、ヴァローナとケーキを食べに行って、セルティと散歩しながら色んな話をして、通りすがった来良の学生二人に祝いの言葉を貰って、サイモンのとこで安くしてもらった寿司を食って、門田にはプレゼントを貰って―――今日は本当に良い日だった。ノミ蟲とは一度顔を合わせたが、自分でも不思議と「追いかけよう」という気にはならなかった。門田と話をしている間に何処かに消えてしまったし、それ以降は会っていない。まあ、それは大変良い事だ。平和で、静かな、俺が一番に望む、幸せな日常。何も起こらないことは、俺にとって何より嬉しい事だ。こんな日が明日も明後日も続けば良いのにと、そう祈りながら瞼を閉じた。


-



「そういや、静雄今日誕生日だったよな?何か奢るべ」
違和感を感じたのはその時だったか。少し遅刻しそうになったので日時を正確に確認していなくて、トムさんから投げ掛けられた言葉でやっと頭の中に疑問符が浮いた。最初はトムさんが昨日の事を忘れているだけかと思ったが、ヴァローナまで同じように誕生日の事を口にするので、やっぱり何かがおかしいと気付いた。携帯を開いて日時を確認すれば、そこには確かに1月28日と表示されていた。いきなり携帯が壊れるはずが無いしそんな覚えもないので、これ、は。
「………昨日に戻ってる、って事か?」
呟きながらもそれ以外の可能性を考えてみたが、辿り着く結論は同じだった。確かに平和な日がもっとあれば良いとは思ったが、同じ日を繰り返したいとは思っていない。そもそもこれは俺の意思なのか?誰かの陰謀か?それともまだ夢を見ているのか?軽く頬を叩いてみるが、僅かな痛覚。やはり夢ではないと、周囲が、自分自身が、伝えている。
「…先輩。何か問題でも発生しましたか」
俺の行動を不審に思ったのか、ヴァローナがそう問い掛けてきた。大丈夫だと誤魔化すと、何かを探るようにじっと視線をこちらに向けるが、すぐに「そうですか」と人形みたいな動きで正面を向いた。確かに問題は多すぎるが、しかし仕事には行かなければならない。トムさんの一言を合図に、俺は「いつも通り」…記憶の中の28日と同じように仕事に向かった。

順調に仕事をこなした後はトムさんに昼食を奢ってもらい、ヴァローナとケーキを食べ、セルティと会い、来良の学生とすれ違って、門田を見掛けた。ここまでは、28日の記憶と同じ、だ……いや、違う。確か門田に会う前に、ノミ蟲野郎の方を先に見付けたはずだ。なのにアイツは、どこに行った?
ぐるぐると考えながら門田に近付いていくと、すぐに居場所が分かった。門田の隣で笑う、黒づくめの男。そいつは俺に気付くとひらひらと手を振って背を向けた。その後は殆ど反射的に地を蹴っていた。臨也を追い掛ける明確な理由が今はあった。他の奴等は28日とほぼ同じ言動同じ行動をしていたのに、アイツだけが、臨也だけが、違う行動をしている――それは流石に俺でも「疑問」を持つ。
相変わらずすばしっこい相手に、ただその姿だけは見失わないように、全力で駆けた。臨也の背が段々と近くなっているのが分かる。手を伸ばせば届きそうで、思ったが同時に臨也の服に掴みかかろうとしたその瞬間。
「あっ、静雄さんだー!」
「偶(ぐうぜん)…」
無邪気な声と、それに相反するように静かな声。聞こえた方に視線を向ければ、学校帰りらしい九瑠漓と舞流が手を振っていた。こちらが気付いたのを見ると二人は近付いてきたと思えば両腕にしがみついてくる。すぐに引き剥がす事は出来ず、咄嗟に周囲を見たが臨也はいなくなっていた。チッと舌打ちをした俺に九瑠璃が首を傾げた。
「静(しずおさん)…怒(おこった)…?」
「…ああ、手前らのせいじゃねえよ」
「と、なると…イザ兄だね!」
ぱっと腕から手を離して舞流がけらけら笑う。すると九瑠璃も同じように手を離してくれたが、未だ両隣に位置してこちらを見上げている。どうした、と尋ねる前にあっ!と舞流が思い出したように手を叩いた。
「そういえば、静雄さん今日誕生日だよね!おめでとー!」
「祝(おめでとう)…」
「ん?ああ、ありがとな」
笑いながら告げられた言葉にくしゃりと二人の頭を撫でると、擽ったそうに目を細めた。ああ、忘れていたが今日はあくまで28日、なんだったか。一度終えたはずの日をもう一度過ごしているからか、何だか変な感じがする。モヤモヤとしていて、いや、確かに祝われる事自体は嬉しいのだが。だが何時までもこうしてはいられない。アイツ――臨也は、原因で無いにしろまだ疑問は解消されていない。アイツに直接問い詰めなければ。

ノミ蟲を追い掛けるから、と舞流達と別れた後、新宿にある臨也のマンションに向かった。そのエントランスで、長い髪の女性と目があった。確か――臨也の秘書の。その人は少し考える素振りを見せた後、ヒールを鳴らしながらこちらに近付いてきた。それから凛と通る声で、「臨也なら留守よ」と口にした。それだけを告げてさっさとその場を去る臨也の秘書は、エントランスを出る前にぽつりと呟いた。
「………可哀想な男」
それは一体、誰を指した言葉だったのだろうか。



-



その後も池袋を駆け回って臨也を探したが、見付ける事は出来なかった。本来は平和な一日だったはずが、結局アイツに殆ど費やした事になる。度々知り合いには声をかけられたが、臨也を追う事を理由に断ってしまった。
同じ日、違う段取り、違うやり取り、最終的にはあまり良くない日に変わってしまった。…なんだよ、同じ日を繰り返したってまた戻ってしまうのか。大嫌いな、力を使う日常に。いつの間にか時計の針が日付が変わる頃まで回り、それと同時に日時を確認する。1月28日0時0分―――今年通算三度目の誕生日を迎えた。



130128

まだ続きます…纏まらない…



- ナノ -