※性転換



子供のような女だった。折原臨美、臨美と書いてのぞみと読む。しかし自分はその名を呼んだ事はない。呼び方など別に、どうでもいいからだ。自分が二人称以外に人を呼ぶのは弟だけ。他には誰だって曖昧に呼び掛ける。自らの雇い主だって例外ではない。何時だったか彼女は「たまにはさあ、名前で呼んでよ」などと強請た事もあるが、自分には関係のない事だ。それよりも今は仕事を片付ける事だけを考えればいい。そうしないと、誠二にご飯を作れないから。彼女は直も話し掛けた。今度は名前の話ではなく、彼女の好きな人間の話。どうだっていい。

「それでシズちゃんがね、俺を殺したいなら死ねって言うの。面白いよねえ」

出た。シズちゃん、というのは雇い主の口から頻繁に出る名前で、雇い主とそいつは犬猿の仲。本名は平和島静雄。それくらいは自分も知っているが、それ以上の事は知る気もなかった。それよりも自分の頭の中は弟だけ。ああ、誠二、誠二。会いたくて仕方がないよ、誠二。雇い主の話を余所に、自分はずっとそんな事を考えていた。

「それでね、シズちゃんが…」

雇い主の話は、そこで止んだ。それまであれほど忙しなく響いていたその声が、ふっと消える。持っていた書類を置いてふと振り向くと、雇い主の顔は暗い影を帯びていた。仕方なくねえ、と初めて声を発する。

「君、泣いてるの」
「……」

雇い主は何も答えなかった。答えなかったから、顎を掴んでこちらを向かせた。白い頬はしっとりと濡れて、それなのに雇い主は渇いた笑みを浮かべ乍ら自嘲気味に、再び語る。波江さん、女のような自分の名前を呼びながら。

「もし私が死んだとしても、相手が死んだかなんて確認出来ないでしょ」
「そうだね」
「どうしたらいいの?」

ああ、雇い主は酷く面倒臭い奴みたいだ。分かってはいたけれど改めて再認識。泣くくらいならやらなければいい。それが自分の考えだったけど、雇い主にも分かり切っている事なのだろう。だから流すのだ。長い睫毛に縁取られた瞳から、愚かな涙を。自分は泣きながら微笑む彼女の頬に触れ、臨美、その名を初めて発音する。

「君が死んだら、僕が代わりに平和島を殺してあげてもいいけれど」

自分でも何故、そんな事を口にしたのかは分からない。ただ、後悔もしていなかった。本気ではないし、かといって冗談のつもりで言葉にしたつもりもない。ただ単に「それくらい」ならついでにしてやってもいいと思っただけだ。臨美は自分の言葉を聞くと、泣きも笑いもせず、消え入りそうな声色で。

「ありがとう、波江」

どういたしまして、などとは言わない。それはあくまで弟に近付くあの女を殺すついでに過ぎないから、だ。




110616

興味無いように見えて本当は臨美のこと好きな波江さん♂。
静←臨←波な感じです