「最初に言っておこう、これは毒だよ。シズちゃん」

そう言いながら投げ捨てられた高そうな紙袋を、静雄は反射的に受け取ってしまった。訳も分からないまま片手に収めて、目の前を見た時には持ち主は既にその場から消えていた。その為追う事も叶わず、腑に落ちない心境のまま静雄は上司に呼ばれ紙袋を抱えたまま上司の元へ。静雄の上司、ドレッドヘアの田中トムは静雄の持つ紙袋を不思議そうに一瞥したものの深く追及する事は無く、代わりに後輩である金髪の白人女性―ヴァローナが淡々と問い掛けた。勿論差出人が静雄の嫌悪する臨也だとは知らず、単純な疑問と僅かな好奇心で。

「先輩、その袋は如何なる物品でしょうか。説明を要求します」
「ああ、俺もよく分からないんだけどよ…」

金髪を掻き回しながら困ったように、先程の状況を説明すればヴァローナはまた無機質な日本語で「理解完了しました。その物品はオリハライザヤが殺傷目的に用意した毒物だと判断されます」と推測ではあるが自らの考えを口にし、それを聞いた静雄は苛立たしげに舌打ちをした。渡された時点で毒の類だとは想像してたのだが、第三者からその推測を聞かされた事で今更ながら臨也に対する怒りが沸々と沸き上がる。静雄が自らの横にあった哀れな標識を掴めばそれはまるで粘土のようにぐにゃりと、いとも簡単に形を歪ませる。その様子を見て、ここで暴れたら不味いなと考えたトムは、怒りを煽らないようにしながら怒気の溢れるその背に声を掛けた。

「おいおい落ち着けよ静雄、お前の話を聞いてる限りだとそいつは予め「それは毒だ」って言ったんだろ?毒盛ろうとしてる相手にわざわざそんな事するかぁ?」
「…それは、そうっすけど…だからこそ苛々するんですよ。一体何が目的だあの野郎…」
「疑問が発生します。先輩は何故、怨敵であるオリハライザヤからの物品を処理しないのですか」
「処理?…ああ、捨てればいいのか」

ヴァローナの疑問に答えるように、静雄は紙袋を道端に捨て―ようとして止めた。中身が何か分からない限り、放置しておくのも危ないだろうと思ったのだ。静雄は、並外れた怪力と沸点の低い所以外は普通の人間であり善人である。道端に得体の知れない物を放置し、他人に迷惑がかかったらいけない、静雄はそう考えた。そんな考えなど知らないヴァローナは静雄の行動を相変わらずの無表情に、それでいて疑問の混じった表情をして見つめていた。トムは二人の様子に苦笑しながら、今後の仕事の確認を簡単にし「仕事行くか」と促して、三人は池袋の街に繰り出した。
――静雄は未だ、謎の紙袋を抱えながら。



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一方、新宿の某高級マンションの室内。臨也の秘書、矢霧波江が適当に纏められた書類を整理しようと紙の束に手を伸ばすと、突如玄関から物音が響いた。暫くすると家主である臨也が息を切らしながら入ってきたが、それについては特に言及する様子もなくただ事務的に「随分早かったわね」とだけ口にした。臨也も秘書のそんな態度に何を言うわけでもなく。

「で、貴方が怨念を込めた毒は渡せたのかしら」
「…っ、知ってたの」
「ええ。どうでもいいことだけれど」

至極当然のように事実を吐き出す波江だが、その言葉と表情には何の感情も感じられない。どうでもいい、その言葉に逆らう素振りもなくそれからは機械的に書類整理の作業に戻った。臨也はソファに腰掛け乱れた呼吸を整えながら、自らの行動を秘書とは言えども他人に悟られた事に心中で少し舌打ちをした。そんな事を知ってか知らずか、そういえば、と思いだしたように波江が再び、あくまで事務的に告げた。

「キッチン、甘ったるい匂いがするから」

ちゃんと片付けておきなさいよ。
その言葉には臨也も表情を強張らせ、小さく頷くしか出来なかった。



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「…へえ、なるほど」
『確かにそれは怪しいな』

静雄が仕事を終えまずやって来た場所は、新羅の家であった。臨也の寄越した謎しかない紙袋の中身について、新羅なら何か知ってるのではと思ったのだ。一通り説明を終えると新羅は納得したような声を漏らし、セルティは静雄に同意するような言葉をPDAに書き込んだ。静雄は新羅の、全てを理解しているかのような態度に、何か分かるのかと問い詰めると新羅はさらりと「知らないけど、概ねの予想はついたよ」と告げた。

「単純明快、かつ理解不能な事ではあるけどね。静雄、今日は何月何日だい?」
「はぁ?…2月14日だろ」
「そう、2月14日。…突然だけど、これを見てくれるかな」
『ちょっ新羅、そそそそれは!』
「…これがどうしたんだよ」

新羅が机上に置かれた、仄かに甘い匂いがする菓子を指差す。その行動に何故か、セルティが困ったように手中のPDAを新羅に見せると、新羅はにこりと微笑み返した。静雄は訳が分からず、一体この菓子―チョコレートがどうしたのだと考え込んでいた。新羅は微笑を崩さぬまま、

「これはセルティの手作りチョコレートだよ!セルティってばわざわざ本まで買い込んで作ってくれたんだよ、何故なら俺の為にゴフッ」
『だからやめろって言ってるだろう!』

恥ずかしい、とPDAに続けて打ち込みながらセルティは新羅の惚気を遮るように肘で器用に鳩尾を叩き込んだ。新羅はげほげほと噎せながらも意味が分からないと言う静雄に、今日はバレンタインデーだと言うがそれでも先程の話とは繋がらないようで。新羅は小さく息を吐きながら、自らの推測を語り始めた。

「つまりはね、君が臨也から毒だと言われて受け取ったものはただのチョコレートだよ。バレンタインデー、のね」
「…は、?」
「当然毒なんて入ってないと思うよ。…臨也には、建前が欲しかったんだよ。毒殺する為だとか、表向きの理由がね」

裏の理由までは知らない、それは本人に聞くか自分で想像してみると良いよ。そうあっさりとした調子で告げられ、静雄は微妙な顔をしながらも新羅達に礼を述べると足早に新羅の家を出た。



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淡い色合いをした、何処か高級感のある紙袋を抱えながら宛てもなくぶらぶらと池袋の裏道を歩く。すると、ふいに見慣れた黒髪が視界の端を横切った。追い掛ければ振り向いた赤い瞳が静雄を捉え見開かれた。だがすぐに瞳を細め、静雄の持つ紙袋を一瞥し自嘲気味に渇いた笑いを漏らす。

「毒だって言ったのに、なんでまだ持ってるの?俺は君を殺す為に…」
「じゃあ、毒味しろよ」
「ハァ?なに…っ、ぐ」

静雄は紙袋から溶けかけた小さな菓子を取り出して臨也の口へと押し込む。臨也は仕方なしにそれを噛み、静かな動作で咀嚼した。静雄は若干の笑みを溢して、自らも菓子を口に投げ入れて。ごくり、躊躇いもなく飲み込む。

「…これ、毒なんだろ」
「、っ、さあ?」
「お前さっき、毒だって分かってたのに吐き出そうともしてなかったよな」
「…あ、…!」

自分が墓穴を掘った事に気付いたのか、臨也は軽く舌打ちをした。静雄は平静な表情をしながら臨也の細腕を捕まえ、ぐいと引き寄せる。サングラス越しに見える瞳が細められ、響く低音が告げた。(美味かった、などと。)臨也は再び瞳を見開き、そしてぽつり、言い訳のような独り言。

「…出血多量で死んでしまえ」

―臨也には、建前が欲しかったんだよ。新羅の言葉を思い出し、静雄は薄く笑う。静雄の表情など気にする様子もないらしい臨也はつらつらと「建前」を語り続けた。静雄は何故か、それがとても滑稽にしか見えずにくつくつと押し殺すように笑った。(建前なら、俺にもある)


「なら俺は、来月、"手前を殺す為に"新宿に行くからな」

「…ああそう、じゃあ俺は"君を刺し殺す為に"迎え入れようじゃないか」


―ああ、全く素直じゃないやつら。









110211