02


俺の初恋は、大学で目の見えない人の講演会に顔を出した時のことだった。

はっきり言ってこんなものには何の興味もなく、参加を促すプリントはファイルのどっかにしまったまま、一度もださなかったから、忘れていた。

ろくに読んでもいないから日にちや時間もわからない。興味ないからどうでもいいと、帰るために大学の門まで来たところで、そいつと擦れ違った。

犬を連れて、ふわりとした短い黒髪をさらさらと風に靡かせて歩く姿が美しい。

犬連れの男は目を瞑っていて、見えないにもかかわらず、何の迷いもなく歩いているしっかりとした足取りは、心底犬を信じているとでも言いたげで、誇らしい何かがあった。

俺の目がそいつに囚われて離れなくなり、知らず、帰路を辿っていた足が、そいつの後を追ってしまう。

そいつはそれほど背が低いと言うわけではないが、顔はすっきりと整い、ブレの無い無償な優しさがある穏やかなつくりをしてた。俺の方が背が高いし、足も長いからか、普通に歩けば追いついてしまうので、思い上がりゆっくりとそいつを観察して、後を付けた。

後ろ姿も小さいのにしっかりとしている。

妙な力強さを感じる背だ。

犬も真面目にすまし顔で主人を引っ張っている。それが、なんだか俺は腹立たしかったのだ。

男についていくと、そこには前原大樹講演会と書かれている。目が見えない事も書いてあり、俺は数日前にもらったプリントを思い出す。

あぁ、こいつが…。と小さく呟き、興味を持ち始めていることに気が付いた俺は講義室のドアを開け、一番手前の席に座った。

一つ空いていたから座っただけなのだが、周りの奴らがざわざわとし、数人俺の近くからそそくさと席をずらしている。

ドカリとカバンを置き、ファイルの中から埋まったプリントを引っ張り出した。

その間も、周りの奴らがコソコソを俺を横目で見ては話しをしている。

「おい、あいつ何で居るんだ?」

「こえぇな…」

「途中で暴れなきゃいいけど…気になり過ぎて集中できないね…」

族の元ヘッドで、極道の息子だから…。

周りの声は嫌でも耳に入ってくる。だが、こんなことは生れた時から下手すりゃあったから、好きなように言わせた。

(くだらねぇ奴らだ)

確かに俺は有名な極道一家の息子で、高校時代はいつの間にやら取り巻きができ、族なんて持っちまったが、誰彼かまわず暴れる馬鹿じゃない。

無視して、プリントの名前を頭の中で何度もリピートした。

大樹。

たいき、だいき…。

「皆さんこんにちは、私は前原大樹といいます」

だいき、か。

低くないが高くもない、幾分普通の男の声。それがどうにも心地よく、時折笑う表情が、まったく自分とは違う、生き物であるように綺麗だった。

講演会中俺はジッと大樹の一つ一つを観察する。目が瞑られているため、その色は解らないが、酷く惹かれて、俺も自然と目を瞑り、その声に耳を傾けた。


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90分の講演は驚くほどあっという間に終わった。

寝ていたわけではない、寝れるはずがない。だが、その内容など頭に入らず、ただ大樹の事だけをもっと知りたいと思ってしまい、どうやって声をかけようか考える。

目が不自由な分、気配などには敏感だろうし、俺は近寄りがたい恐ろしい雰囲気があると、言われている分、どう大樹に近寄ればいいのかわからない。

「今日は私の話を最後まで聞いてくださって、ありがとうございました」

と言うと、大樹は犬を連れて講義室を後にしてしまう。この後感想文云々を書かねばならなかったが、先に適当に書いてあったため、そこらへんに投げて大樹を追うように講義室を抜け出した。

大樹を捜し歩いてみたが、犬連れで目立つため、簡単に見つけてしまった。見つからなければ、初恋だなんてものは自覚しなかっただろう。だが、見つけた。

大学の門で擦れ違った時の様に、さっそうとして、犬が築いた道を何の迷いもなく歩く。

信頼しきっている一人と一匹が、悔しいとさえ感じ、思わず声をかけた。

「盲導犬は10歳で引退なんだぜ」

どっから得たのは忘れてしまったが、記憶の中から引っ張り出す。

文字通り、驚いたという表情で、薄く口が開いた可愛らしい顔を俺の声を頼りに、振り向く。精確に俺の方を向いたから、実は見えてるんじゃないかと思ったが、しっかりと目を閉じていた。

「良く知ってますね」

講義中しっかりと耳に焼き付かせた声が、皆ではない、自分だけに向けられると思うと、とんでもなく嬉しくなってしまった。

軽く犬より頼りになると言うと。大樹はムッとして犬の味方をした。しかたない、彼らはパートナーであり家族だろう。子どもっぽくなったのはわかったが、どうしてもそれが気に入らなかった。

頬少し膨らませた様に、機嫌を損ねた大樹をさらに逆なでするようなことを言う。彼女はいないようだし、どうやらまだセックスをした事が無いようだ。

こんなに可愛いのに、襲われなかったのが奇跡の様で、周りの目は節穴かとも思ってしまう。

だが、良かった。

綺麗な彼を抱ける。俺が大樹の初めての男だ。

怒りをあらわにして、スタスタと逃げ去る大樹の後を俺は上機嫌で追う。突然彼が止まり、ついてくるなと子供みたいに言うものだから、年上とは思えないな、と笑い、その顔にキスをした。

一瞬見開かれた大樹の瞳を俺は見た。

本人は気が付いていないかもしれないが、綺麗な、吸いこまれるほどに漆黒の瞳が戸惑うように彷徨っていた。決して俺を捕えない瞳が、しかしその中心には俺は映っている。

(嵌った…)

と思った瞬間だ。その瞳にどっぷりと嵌ってしまった。

舌を入れ、深く口内を味わう。

大樹はこんなキスをした事が無いだろう、下手くそに逃げる舌も、甘いとさえ思ってしまう。

唇でセックスするように掻きまわし、逃げる舌を吸う。角度を変えて激しく齧りつくと、苦しそうに寄せられた眉をフッと解いて、ガクリと倒れそうになっている。

長身で鍛えている俺にしたら、酷く軽い体を支え、近くのベンチに下した。

はぁはぁと忙しなく酸素を求め呼吸をし、真っ赤なリンゴの様に顔を染め、手は胸元を抑えている。微かに震える辺りが俺の雄を刺激した。今すぐ連れ帰って抱き潰したい。

しかし、もう片方の手が、まだ犬と繋がっていた。

犬はジッと俺を見て、何か言いたげにしている。

犬の考えることなどわからない。犬相手に可笑しなことだが、宣戦布告とフッと笑って、その場を後にした。

腰が抜けるほどのキスをしてやったのだ、大樹は俺を絶対に忘れられないだろうし、思い出して他の奴ともセックスできねぇだろ。

俺はまだ大学のガキだが、いつか手に入れる。


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「おかえりなさいませ、若」

「あぁ」

初恋から3年が経ち、俺は家業を継ぎたくなくて、地方の大学へ逃げていたが、結局、東京に帰ってきた。

2年前に大学を卒業したばかりなのに、オヤジは早々俺に将来極道を継ぐ事を考えてくれとしつこい。

嫌だからと、どこか他の就職先を見つけようとするも、関東一の広域指定暴力団緑川組の息子だとは広まっていて、どこにもまともに取り合えってくれなかった。

仕方なく、2年間家でパソコン相手に株や下っ端相手に指示を出してると、どういうわけか若頭になっていて、内心苦笑した。はやり、血は争えないらしい。

まだ24だぞ。と言っても、オヤジは嬉しそうだ。

溜息をついて、結局極道に落ち着いてしまったが、金も地位も着々と手に入れている。

あと足りないものといえば、ただ一つだ。


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「祐善(ゆうぜん)、なんだ話ってのは」

変な名前つけやがってと、呼ばれるたびに思うが、とにかくオヤジである男をまっすく見て言った。

「嫁を迎えに行く」

「…は?」

「嫁だ。本家の準備が整うまで、マンションに住む。仕事も無しだ、他に回せ」

「ま、まて、祐善…どういうことだ?勝手に放り投げられても困る。お前にしかできない事もあるし…」

「俺は困らん。知らん。鵬翔会の宍戸にでも回せ、俺より上手くやるだろ。つまり俺はいらない、好きにさせてもらう」

俺は一度言ったら聞かない性格だと知っているオヤジは、気難しく眉を寄せたまま、グッと黙った。

「いつまでだ?」

「ここのリフォームが済むまでだ」

「り、ふぉーむ…?」

「バリアフリーにする。手摺と点字、点字ブロック…他にもいろいろと、金は全部俺が払う」

「その、嫁ってのは目が見えねぇのか?」

「あぁ」

暫く黙って。

「…いや、しかし、お前にそんないい女がいたのか…知らなかった」

「男だ」

「……」

今度こそ固まったまま動かなくなったオヤジを置いて、俺は荷物を持って家を出た。

後ろから、喚く声が聞こえるが、無視して、呼んでおいた車に乗る。

行先は前原大樹のアパートだ。


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アパートの一室のドアの前に立ち。

インターホンを押す。

2度押したところで声がした。

「はい!待ってください」

ドアが開きはじめ、「今あけ――――」と言葉を言い切る前に声をかけた。

「盲導犬、いりませんか?」

あの犬が残した大切なパートナーを奪うが、俺なら10年よりもっと、大樹を守る。

「大樹さん」

「!!…そ、の声っ!」

戸惑う彼が可愛くて、思わず抱きしめた。

雰囲気に敏感なはずなのに、俺が持っている威圧感や暗い裏の気配を全くものともせずに、子供っぽく対等で、こんな俺でも無性に優しさをくれそうなところが好きだ。

「大樹さん……まだ誰ともセックスしてねぇか?」

誰か女のところにいた情報は来ていないが、わざと聞いてみる。

「あの時の……最低男っ!!!」

思わず笑った。俺に、そんな風にはっきりものを言うのもお前だけだ。

3年前の感情はやはり初恋というもので当っていたようだ。この俺が3年間思い続けたからには、しっかり落とされてもらわないといけねぇよな。


俺の目が大樹の目になる様に。


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