「ガジュ…ちょっといい?」
『…なんだ、テオ』
「ハルトの事なんだけどさ…なんか今日おかしかったんだ」
『どんな風に?』
「ん〜…なんか、悩んでるって言うか…僕を部屋に入れてくれたんだけど、それからはずっと上の空って感じ」
『ふむ…なんだろうな…帰りたいとかか?』
「いやいや、それは絶対にない!帰りたなんて思わないよ!僕だって思わないのに」
テオフィールは力いっぱい否定した。
飛ばされた異世界の居心地良さは異常だ。
何をしても罰が下るどころか、特殊な能力を持っているため、逃げるのもお手の物。
干支ノ国での仕打ちに比べれば、平等と平和がどこまでも広がっている。王族などの括りもさほどない。差別もほとんどない。
自分が丙午憑きであろうと、大蛇憑きであろうとだ。
誰にも迫害されることなく、伸び伸びと生きられるこの世界は、まさに二人にとってはぬるく愚かな楽園の様。
『…そうか』
生き生きとしてそう言ったテオフィールに、話の相手は声に落胆の色をにじませた。
「うん。あ、そんなことより、僕の勘だと…あれは恋だね」
『恋?』
「そ、恋!だってこれ以外に人を劇的に変わらせるモノなんてないだろ?」
何かに熱中できるような趣味でも、物でも、人でも、気になればそれは恋だ、とテオフィールは考えている。
例えば、盗みに熱中する自分も”盗み”と言うモノに恋している、と言うのだ。
ハルトもそんな何かを見つけたに違いない。
「それに…ハルトの部屋、血の匂いがしなかった」
『うむ…それは、良い傾向なのかもしれないな、暫く見守ってやってくれ』
「わかった」
テオフィールは一羽の鳩に向かって頷いて見せた。
鳩は威厳たっぷりの深い声で、テオフィールに向って喋る様は、はたから見たら驚きである。
それにこの鳩、形は鳩だが、木製のおもちゃのようだ、しかし、動きは滑らかに鳥そのもの。
この様な摩訶不思議なものは干支ノ国にもそう存在しない。
テオフィールは神から品物を盗んだ罪で異世界へ飛ばされた。木製の鳩はその品物の一つで、地球の裏、果ては異世界でもその鳩へ話しかけると、対の一羽を持っている者と会話できるというのもだ。
今テオフィールと話しているのは、例によって異世界にいる男とである。
『テオ…』
「ん、なに?」
『テオは…どんな国が好きだ?』
「どんな、国?」
ガジュと呼ばれた男は、ガーダルジュという辰ノ国の国王で、厳ある眼差しと、長い金の髪を後ろで一つにまとめている、由緒正しい黄金龍一族の玉龍憑きであった。
玉龍は昔荒くれ龍と言われていたが、ある旅で優しさや愛を学び、それ以降は大人しい知恵ある龍と言われている。それが憑いたガーダルジュは歴代の王に比べて真面目に執務をこなし、国の為にありとあらゆる素晴らしい知恵を持って収めた。
この事が講じてか、独立主義で纏まりの無かった辰ノ国が、今では干支ノ国随一の団結ある豊かな国となった。
そんな王がなぜ、重罪人であるテオフィールと仲のいいように話をしているのかというと、ガーダルジュはテオフィールを一番最初に保護した者であるからだ。
馬ノ国を追われ、盗みに手を染めているとき、唯一優しく手を差し伸べ、暫く内密に囲った。
嘘で塗り固め、虚勢を張って暴れるテオフィールを甲斐甲斐しく世話し、悲しい過去を解き明かした。彼が盗みをしなければならなかった理由や、憑き物によって差別される習わしにガーダルジュは疑問を持ち始める。
まだ、年端もいかない彼はそれなりの教育をさせられてはいたが、世継ぎが生まれ用無しになり、捨子になった。教育があるからと言ってどうしてよりよく生きられようか。
ガーダルジュはそんなテオフィールの話を全て聞き、そして癒したが、盗人の傍らで寝食を共にする王に、初めこそは何度も御物を盗んで逃げようとし、そして、テオフィールはなぜかできなかった。そのままいつしかガーダルジュに心を開いてく。
これで丸く収まればよかったのだが、これが愛と言うモノだとわかる前に、それに怯えたテオフィールは神の品物を盗むことになる。
盗んだものの場所は本人しか知らないが、どういうわけか、異世界へ飛ばされる判決が出る前に、この不思議な木製の鳩だけをガーダルジュ宛てに飛ばしていた。
受け取った当初はこれがなんなのかわからなかったが、突然テオフィールの声で喋りだしては、驚く以外の何物でもない。届いた時には既に異世界へ行ってしまっていた相手からだ。
二人は時折こうして話をする。
他愛ない話もあるし、新たな罪人が飛ばされることになったというのも、3年前にガーダルジュが連絡していたのだ。
声だけで相手がどれほど成長したかはわからない。あの時の仔馬はどうなっただろうかと、王は目を伏せ、声だけで想像する。あの蛇も。
テオフィールが飛ばされたのはハルトより何十年も前の事。
だから、似たように憑き物で差別され、酷い有様の蛇を見たガーダルジュは、捕まった重罪人ハルトの一時捕虜を請け負ったのだ。
しかし、ハルトはテオフィールの様にはいかなかった。決してその心は見せない。否、心というものが彼の場合薄かったとしか言いようがない。何もない。空っぽ。
有るのは食への異常な執着だった。
牢屋で出されたモノは料理も皿もトレイも全て食べ、慌てて空の食器を下げようとした看守さえも飲み込んだ。
『俺のを取ろうとしたんだ。俺の喰いもんだ、手が届くから、俺のだ』
そう言った、傷だらけの顔は、今でもはっきりと思い出せる。あの顔は容易に忘れられるものではない。
重罪人として異世界へ送られた二人に、何がそこまでの狂気を植え付け育てたのか。
そして、何が彼らに必要なのか。
ガーダルジュはその答えのヒントが欲しかった。
全ての答えをもらうなど、烏滸がましい事は言えない。彼らはもう十分以上にボロボロなのだから。
どんな国を、世界を、彼らは望むのだろうか。
せめて自国だけでも、彼らが望むようにしたい。
一国の王が、特定の者の願いを叶えるのは贔屓と言うモノだろうが、仕方ない。
あの、颯爽として美しく草原を走る、一頭の一角馬を。
「…う〜ん、僕は…僕はね―――」
黄金の龍は愛してしまったのだから。