04
狐の髪の毛は煎じて飲めばいい。一度山に帰ろうと思ったが、はやる気持ちが抑えきれず、出雲の帰りに寄ろうと思っていた彼の家の近くに巣を張り、そこで暫く暮らすことにした。
丁度いい、公園がある。
私の本来の姿では大きすぎるので、普通の蜘蛛の大きさで公園の木の上に巣を張る。
巣を張り終えれば、蜘蛛火に乗り、彼の家をこっそりのぞきに行った。
今の彼の家は小さなアパートの一室らしい。
窓からのぞけば中から子供の声がする。
嗚呼、嗚呼、なんと…、なんとかわいい子か。
子どもはまだとても小さかった。ついてきた眷属の蜘蛛に聞けば今年で三つになるという。
何度も繰り返してきた命であるが、久しく自分の目で見ていなかったことがより感動を呼び起こした。
すぐそばに見える。かすかながら声も聞こえる。
眷属を通した目と本当の目ではここまで違うのかと思うほど、心が温かくなる。涙が出そうなほど、私は嬉しくていつまでもいつまでも窓枠から離れられなかった。
せっかく公園に作った巣にも帰らず、古びたアパートの窓際にもう一度巣を作ってしまうほど、私の感動はひく気配がない。
夜すやすやと母親と同じ布団で寝るいとし子を見つめていたが、朝方母親は子に飯を与えてから仕事に行ってしまったのを確認し、慌てて私は部屋の中に入り込んだ。
いとし子が一人。
うむ…こういうのは、託児所なるところに預けるのがよいのだと思ったが、そういえばこの家は貧乏であると眷属から聞いたことを思い出した。
親は子を預ける金もなく働きに出るらしい。
私はすぐに台所に行き、糸で作った器に水と九尾の狐からもらった髪を砕いて混ぜ、飲み干した。
するとどうだろう、喉から滑り落ちた液体がとんでもなく熱く胃の中で爆ぜた。体中黄金に輝きだす。
わ、わ!?と戸惑っていると、あっという間に私は台所の前に立つ一人の人間になってた。
台所前の薄汚れた窓に私が写る。
「なんと…」
思わず声を出すと、窓に映る私の口も動いた。どうやらこれが私の人間の顔らしい。
我ら妖怪は美しさを力の光具合で判断することが多い。だからこの顔は美しいのか醜いのか私にはわからなかった。けれども、人の顔になっただけで私はなんともいえぬむずむずとした歓喜に震えるのであった。
これで、これで彼は私を恐れないだろう。
蜘蛛という種族は何かと人に恐れられ嫌われる、だが今のこの容姿では蜘蛛というモノとは全くかけ離れ、微塵も感じさせていない。
しばらく自分の顔を見て、触ろうとしてふいに人間のカタチというものに困惑した。
な、なんと…まぁ…確かに…。
今の私は手足が4本しかないのだ。
た、たりない…足りなすぎる…っ!!
そう思ったら最後、二本足で立っていられなくなり、その場に崩れ落ちた。
「た、立てんっ」
『大丈夫ですか!!ぬしさま!!』
天井からはらりと眷属が降りてくる。
いとし子に付けた監視役の蜘蛛である。
「目洛(もくらく)よ…人とは…こんなに不便なのか…」
『ぬ、ぬしさまぁっ!』
台所の淵にしがみつくがやはり立てる気がしない。
監視役の蜘蛛―目洛が二本の足をあげて左右にせわしなく動いている。支えようとしてくれているのか、まったくもって小さい蜘蛛に今の私を支えられる力があるとは思えず、しばらくして諦め、私は四つん這いで居間への扉をあけたのだった。
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扉を開けると狭い部屋の中心に子が寝ていて、それを囲うように柵が設けられている。
子がケガをしないためにだろうことはわかる。しかし何やら寂しいところであった。
「目洛よ、今のいとし子の名前は何と言ったか」
『旭之(あきの)様と』
「旭之…なんと良い名だ…、久方ぶりに我が真眼で見るいとし子だ…」
柵に手をかけ、私はすうすうと眠る旭之を彼が起きるまで見つめていた。
いつまで見てても飽きないのだが、ふと触りたくなる。
そうである…私は、まだ一度もこのいとし子の体に触れたことがない…、
「…っ…あ、あきの…」
自然と息が荒くなる。
スッと手を伸ばす。
嗚呼、嗚呼触れる、触れるぞ…っ!!
ちょこん。
と触れるとぷに…と指を付けた頬が凹んだ。
「………」
ンンンッッ!!!!
やわらかい!!!やわら、やわらかい!!やわらかいぞ!!
なんということだっ!!やわらかい…っ!!
突然無言で身もだえた私に、目洛が再び二本足をあげて左右にあわあわと慌てふためく。
『ぬしさまっ大丈夫ですか!!ぬしさま!!』
その声にハッとなったが、何度挑戦して触るたびに身もだえ、目洛が慌てるのであった…。
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