この荷物はいつも妙に重い。私は茶色い包装紙に面白味なく包まれた、四角くて平べったくて少し重い届け物を、いつもどおり錆びた階段の上まで黙って運んだ。
 登りきり、私は一息つく。どしりと置いた荷物も、これくらいではびくともしないだろう。煉瓦壁に背を預け、べたりと貼り付けられている伝票をまじまじと見る。その枠内にはやはり今までと同じ様に、受け取る側送る側どちらの名前も書いてはいなかった。しかし私には、それを訝しむ権利など与えられてはいない。私はただの配達員だ。
 さあもう一度立ち上がり、3m先の扉の前で、安っぽい間抜けな音のチャイムを押して、さっさと受け渡してしまおう。私は尻の砂ぼこりを払って、包みを持ち上げた。
「なにやってんの」
 階段を踏む音とともに、怪しいものを見る眼の男がひょっこり現れた。半端は体勢で注意を反らされた私は、包みを取り落としそうになりつつ、男を振り返った。金のセミロングヘアと、妙なマクを着けた奇怪な出で立ちの男だ。男は私の顔と包みを交互に見て、ふうんと一声。値踏みされたような妙な気分だ。そっちだって(むしろそっちの方が)十分に怪しいじゃないか。今度は私が眉を寄せる番だった。
「あれだろ、アンタ、運び屋だ」
「運び…まあ、間違ってはない…けど」
 配達員を運び屋と呼ぶのは聞いたことがなかったけれど、それほど大差は無いのかもしれない。私は無理矢理納得しつつ、そしてまた少しこの男を怪しみつつ、向かうべき扉へ足を進めた。
「なあ待てよ。それ受け取んの、今日は俺なんだって」
「はあ?」
「そうさ、今日はリゾットがいねえから、多分今頃の時間に荷物が来るのを受け取ってくれって言われてんだ」
 包みを取ろうとする指から守るように体を捻り、私は「ああ、いつもこれを受け取る、この部屋の住人はリゾットと言うのか」と妙な納得をした。
 白っぽい大男。眼を合わせたことは一度しかない。初めてこれを届けたときに見た眼があまりにも恐ろしく、それ以来私は彼の顔を見ようとはしなかった。
「強情なやつだな。これでいいか」
 そうして男は、細身のジーンズの尻ポケットから取り出した鍵で、古びたドアを開けて見せた。やれやれと言わんばかりに見下す眼を無視し、なるほどそれなら、とその茶色い何かを受け渡すことにした。
「ハイハイゴクローサマでした。確かに受け取ったぜ」
「どうも、確かに届けました」
 正直なところ、彼が本当に受取人であるのかも、リゾットという男が何者なのかも、包みの中身が何であるかも、さほど興味はない。ただ届けるだけ。受取人の名前も書いてはいない荷物がウソツキに巻き上げられたとしても、それは知ったことではないのだ。形式どおりサインを貰い、私は階段へ向かう。
「あ、アンタ、この中身何なのか知ってる?」
 軽い調子で掛けられた声。驚いて振り返り、初めて合った眼の奥は、妙にぎらりと鋭いようで、背筋に緊張が走った。――リゾットという男に通ずるものがある。私は首を振って否定した。
「ふぅん。そうか、そうか。じゃ、オツカレ」
 ……あれは一体何だったのか。私には分からなかった。ただ、奇妙に恐ろしい。そそくさとライトバンへ戻り、次の届け先を確認する。
 ずっと首辺りに刺さりつづける、何かじりじりした――視線のようなものを振り払うように、私は少し乱暴にエンジンを掛けた。




 これで一体幾つ目だろうか。茶色い包みを抱えながら、私は階段を上った。
 あの妙な男に会ってからも何度かここへの配達があったが、あの日以外に例の男に出会すことはなかった。今日もそうだといい。そう願いつつ、呼び鈴を押す。
「……またあんたか」
「……お届け物です」
 果たして、扉を小さく開けたのは、あの大男だった。……名をリゾットというのはこの間の妙な男の口から聞いた。
「またそれか?」
「ええ。これですとも」
「何度来る」
「私が聞きたいわ。これで幾つ目?リ……スィニョール」
 思わず名前を呼び掛けたことに、気付かれただろうか。己の不覚と不安で私の心臓は跳ね回っていた。彼にとって私は絶対に名前の知られていないはずの相手なのだ。
 27、と答えるリゾットは、訝しげに私をじろじろ眺める。そうして最後に、ばち、と目を合わせ、ため息と共にその包みを受け取った。
 その、以前一度見た恐ろしい目に見詰められ、飛び回っていた心臓が一瞬動きを止めたように感じた。どっと汗が出る。
 しかしどうにかやり過ごした気持ちでいっぱいになって、手のひらを濡らす冷や汗を一所懸命ズボンで拭い、やっとの思いで、サインを貰う為のペンと紙を渡す。
「……あんた、この包みの中身を知ってるか」
「前、代理と言って受け取った男にも聞かれたけど、知らないってば」





 それからも、私はしばしばその包みを運んだ。担当地区がそのリゾットという男の家の周辺だからだろうけど。
 たまに、リゾット以外の人間が部屋から出てくることもあった。代理と言うので受け渡すと、その度に聞かれることがあるのだ。「あんたは、中身を知ってるか」と。奇妙なことだ。人間、そう言われると知りたくなるのが心情だが、私の場合は違った。

 なんせ、目が、恐ろしいのだ。





「……ねえ、皆口々に『中身を知ってるか』と尋ねてくるのだけれど、なぜ?中には何が入っているの?」
 サインを受け取りがてら、私はとうとう疑問をぶつけてみることにした。放り出された言葉は、その厚い胸板に押し返されてぽとんと落ちたようだった。
 だめで元々。私はスッパリ諦め、「じゃあ、」と言って踵を返そうとした、ところ。
「……開けてない。初めの幾つか以降は」
 リゾットがぶっきらぼうに答えたのだった。私は驚く。
『折角私がひいひい言ってここまで持って上がってきたものを、この人たちは、開封すらしていない』というのだ。
 驚いている私をじっと見て、リゾットは「話はそれだけか」と、ドアを閉めようとする。
 あまりの諸行にショックを受けた私は、思わず声をあげていた。


「全部開けて、纏めて並べるくらいしてくれないと報われないわ!」







 最近、あの荷物を運ばなくなった。最近というか、あの日以降は一切。
 もしかしたら、リゾットが会社の方に苦情を言い付けたのかもしれない。
 それはそれでいい。もうあの四角くて平べったくて少し重い茶色いお届け物を、錆びた階段をひいひい登って渡さなくて良いのなら、それで。ぎらりと恐ろしい目で見られることもなくなったのだから。
 ……しかし最近、妙な視線を感じることがある。首筋をじりじり焼くような。
 丁度、最後に荷物を運んだ辺りから。
 その度に辺りを見渡すのだけれど、その主を見付けられたことは一度たりともないのだった。
「……(おかしい)」
 そう、おかしいのだ。タイミングが良すぎる。『荷物を運ばない』と『視線』に、共通点がないわけがない、というくらいに、出来すぎている。リゾットを怒らせてしまったから?それとも会社の人が怒ってる?後任?それとも……?

 ちり、と、首辺りに刺すような視線。弾かれたように振り返るも、当然のように――いつものように――視線の主は見つからない。特に、今いるような市場では。


 そのとき、急に、どくりと嫌な音を立てて心臓が跳ね、鳥肌と冷や汗が一気に体を駆け巡る。悪い予感とはこの事だろうかと、妙に冷静に考える脳は放っておくとして、歯の根が合わないままに、何処へかも分からない道へ走り出す。逃げなければ。その一心。
 ここはどこか、そんなことはもうどうでも良かった。別に狭い路地に入ったわけでもない。昼間の普通の道を、ひた走る。
「!!!」
 突然、腕が握られ、曲がり角に引き込まれる。がくん、と勢いを殺せなかった体は痛むが、混乱と恐怖が勝った。
 しかし気付くとあの追ってくる気配は消えていて、私の心臓にも少しずつ平静が戻ってくる。
 この人は、助けてくれたのかもしれない。そう思い、かの人を見上げ、目に入ったその特徴的な――あまりに大きな漆黒の瞳に、安堵のまま告げるのだった。

「助けてくれてありがとう、リゾット」

 リゾットは腕をつかんだまま、無感動に目を細めた。目の奥に輝くのは、あれは、いつも感じた焼けつく視線。そこにきてようやく、私は彼の名を――私が知り得ないはずの、彼の名を、呼んでしまったことに気付いたのだった。
 もう、遅いのだけど。



「あんた、あれの中身を知ってるな」
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