※殺害の描写があります。ご注意。


 順序だてて説明しますと。
 まず、私が家におりますと、急にドアベルが鳴ったのです。すっかり錆びたドアベルの音は、とても不快なんですけど……あ、その説明は不要ですか。分かりました。

 用心のためにも、チェーンロックを掛けて少しだけドアを押し開くと、その外には、真っ黒い大男が立っていたのです。
 いや、真っ黒いというのは、服装や色眼鏡の話で、肌や髪は抜けるように白かったですよ。顔ですか?……いや、よく覚えていませんね。

 そうして男は、「ここに×××は」――私の父の名です――「ここに×××はいないか」と問うてきました。

 確かに私の家には父が住んでいましたので、肯定しますと、男は私の父に恩があるから挨拶をしたいと申し出てきました。今考えるとなんと不用心なことかと思いますが、私は男を家に上げることにしました。
 その時父は、お酒を買いに行っていましたーーええ、雨の中です。そう、その時雨が降っていたのもあり、私は男を入れて差し上げた訳です。とにかく、そのせいで、父は家を開けていたんですね。


 どんな恩があるというのかという話をしても、男ははぐらかすばかりでした。きいきい軋む小さいソファが余計に小さく見えるような雰囲気で……と、末節は不要でしたね、失礼しました。



 どれくらい時間が経ったのか……あの空間では分からないのですが、ようやく父が帰宅しました。

 父が帰宅の挨拶をしてリビングに入ってくると、男は無言で立ち上がり、父に向かい歩いて行きました。……ポケットに手を入れていた気もします。曖昧ですね。
 男はゆっくり父に近付き――父は何か叫んでいるようでした――そうしてタックルをするように、父の体に飛び付きました。
 どうも、思い切り体重を掛けて、男は父を刺したようでした。暫く父は叫んでいましたが、それもとうとうなくなり、男はもう一度父に体重を掛けてから離れました。


 その後、ですね。ええと。

 そのまま、父を刺したナイフで父を滅多刺しに。
 念のため、といった風でしょうか。

 それに、父は何かいけないものに手を出してしまったのかもしれません。 ……そういうところがある人だったので。
 それを考えると、ほら、見せしめ……? ですか、あれかも。

 ナイフの指紋?
 ああ、父の隣に置きっぱなしだったものを拾ってしまったんでしょう。……なんせ、そんな光景を目の当たりにして、正常な判断が出来ますかね。

 私は襲われなかったですよ。……そう、隠れていましたから。男が父を刺した直後位にね。
 するとどうも、彼は父だけを仕留め、深追いはせずに出ていったようです。

 そうして私は取り乱して父をゆすぶり、ふらふらと外へと向かったようです。
 この事件については、こんな感じですよ。

 そういうことですよ。だから、そんなに詳細は覚えていないんです。

 でも、もしかしたら、顔を見られたと言って私を殺しに来るかも。

 だって見せしめのためかも知れないんなら、家族まで殺すということもやるかもしれないじゃないですか。
 それが、とても恐ろしいんです。


***


 妙な女だった。どうも奴の娘らしい。
 不在の父を突然訪ねる、という不審な男を、易々と、むしろ進んで部屋に招き入れるのだ。訝しむのも仕様のない話だろう。 その後自分としては、非常に助かる結果となったのだが。

 まず、私が家におりますと、急にドアベルが鳴ったのです。すっかり錆びたドアベルの音は、とても不快なんですけど……あ、その説明は不要ですか。分かりました。
 用心のためにも、チェーンロックを掛けて少しだけドアを押し開くと、その外には、真っ黒い大男が立っていたのです。いや、真っ黒いというのは、服装や色眼鏡の話で、肌や髪は抜けるように白かったですよ。顔ですか?……いや、よく覚えていませんね。

 そうして男は、「ここに×××は」――私の父の名です――「ここに×××はいないか」と問うてきました。

 確かに私の家には父が住んでいましたので、肯定しますと、男は私の父に恩があるから挨拶をしたいと申し出てきました。今考えるとなんと不用心なことかと思いますが、私は男を家に上げることにしました。
 その時父は、お酒を買いに行っていました――ええ、雨の中です。そう、その時雨が降っていたのもあり、私は男を入れて差し上げた訳です。とにかく、そのせいで、父は家を開けていたんですね。


 部屋は非常に荒れていた。
 そこいらに酒瓶が転がり、中には割れている(恐らく叩き割られた)ものもある。
 ごみが占拠し、下劣な雑誌が無遠慮に放置されている。そんな中を、女は何食わぬ顔ですいすいと進むのだった。

「あなたは、父にどんな恩があるというんです?」
「昔、ちょっと。まあ、些細なことさ」

 そうして見渡す俺に気が付いたのか、女は申し訳なさそうに、それでも怒りを圧し殺した風に、かさかさと散らばる雑誌を端に寄せるのだった。

「……ねえ、……あー」
「リゾット」
「そう、リゾットさん。私はナマエ。それって、本当に私の父?」
「一応、調べてきたからな」

 言外に「こんな最低の人間が人に恩義を売るものか」という疑念が感じられる。

「間違いない」
「……うちの父、――あ、今はお酒を買いに行ってて――どうも懲役終わって出てきたばかりみたいなんですけれど」
「そうらしいな」
「……ここにはね、それから転がり込んで来たんです。4年くらい前、……私はあいつが何をやったのか知らないけれど、漸くあの最低なオヤジから離れられて、私も母も二度と関わらないように、シチリアから出てきたんです」
「そう、4年前だったな」
「知ってましたか。……そうですよね、調べて来たって言ってたし。……あー、それで、進学するためにここで独立して生活し始めたとたんに、あのオヤジが、どこから嗅ぎ付けたのか……」

 結果のこの惨状である。雨の中、白昼堂々酒を買いに行くような男だ。それはよく理解できた。
 そうして ナマエ は、何かに気付いたように、俺に振り向く。

「……すみません、こんな話をして。父に会いに来て下さったのに」
「構わない。構わないんだ」

 そうさ、一切構わない。
 その男が最低の人間であることなど、とうの昔に知っている。

 どんな恩があるというのかという話をしても、男ははぐらかすばかりでした。きいきい軋む小さいソファが余計に小さく見えるような雰囲気で……と、末節は不要でしたね、失礼しました。


 外は雨。小さく埃っぽいソファに掛けさせてもらい。
 暫くして。

 錆びたドアベルを鳴らすことなく、汚い声が飛んできた。 ナマエ がぴくりと反応したが、その後、諦めたようにだらりと死んだ顔になる。俺は玄関を振り返る。そうして、そこに居たのは、でっぷりとしたビール樽の腹を持った醜い中年だった。
 ダミ声で何かを叫んでいるが、それは何てことない、ただの彼女への罵倒罵声だった。 ナマエ はただ、いつものことと言った風に聞き流していて、俺は腹の底が熱くなるのを感じた。

 どれくらい時間が経ったのか……あの空間では分からないのですが、ようやく父が帰宅しました。
 父が帰宅の挨拶をしてリビングに入ってくると、男は無言で立ち上がり、父に向かい歩いて行きました。……ポケットに手を入れていた気もします。曖昧ですね。


 ぎい。
 ソファを軋ませ、俺は立つ。
 親父は見たことのない大男が部屋にいることに大層驚き、怯んだようだったが、立ち直った頃には、再び ナマエ への罵声が飛び始める。今度は、勝手に男を連れ込むな、というような内容らしかった。
 俺は内ポケットに入れていたナイフを取りだし、親父がそれを認識する前に、その脂に膨れた腹へ深々と――全体重を掛けて、突き刺した。

 
 男の汚い声とあの日のエンジン音と啜り泣きと笑顔とナイフの輝きとこの手に触れるぬるりとした熱とが、ミキサーにかけられ、万華鏡のように俺の目の奥をぎらぎらと回るようだった。熱い。


 思ったより、何てことはないな。
 それが感想だ。
 殺しなんて大層なこと、きっともっと難しく、恐ろしいものだと思っていたのだが。
 肩口で男が汚い声で喚く、喚く、喚く。
 それも無くなった頃、今一度念のためと更に深く突き刺し、俺は男から離れる。引き抜いた傷口から、どろりとどす黒いものが溢れているのを改めて見て、俺が4年もの間脳内を占め続けた復讐心がともに溢れて流れて行くように感じた。漸く、やり遂げた。
 ずるり、と、脱力した男の身体が壁伝いに落ちていった。

 男はゆっくり父に近付き――父は何か叫んでいるようでした――そうしてタックルをするように、父の体に飛び付きました。
 どうも、思い切り体重を掛けて、男は父を刺したようでした。暫く父は叫んでいましたが、それもとうとうなくなり、男はもう一度父に体重を掛けてから離れました。



 冷静になり、初めて ナマエ が妙に静かなことを疑問に思う。そうして ナマエ を振り返ると、彼女は椅子の上に丸くなって、その目をぎらぎらと光らせ、此方を見ているのだった。
 俺は一瞬怯む。彼女の様子は異様だ。
 すると ナマエ はふらふらとこちら側へ歩み寄り、何をするかと思えば、そのまま父親の死体の前に座り込んだ。
 こんな最低の人間でも、血縁なのだろう。この女も殺す必要があるのかもしれない。――惜しい。そんな気持ちがもたげる。
 しかし。かしゃ、と硬質な音と共に、 ナマエ がナイフを持ち上げた。父親を殺すのに使い、俺が捨て置いたものだ。  ナマエ はそれをしげしげと眺め、そして、右手にぎゅっと握り込む。俺は予備に持っていた、小振りのナイフを取り出し、構えた。
 ナマエ がナイフを振り上げ――。


 その後、ですね。ええと。

 そのまま、父を刺したナイフで父を滅多刺しに。
 念のため、といった風でしょうか。



「こいつは、どこまでも蘇って、私たちを不幸に引きずり込むんだ」

 それに、父は何かいけないものに手を出してしまったのかもしれません。 ……そういうところがある人だったので。
 それを考えると、ほら、見せしめ……? ですか、あれかも。



 彼女は、そう叫んで、そのままナイフを自分の父の亡骸に突き立てた。
 それに収まらず、何度も抜いては刺し、刺し、刺し。
「おい、もう」
「何度も殺さないと……!ちゃんと、ちゃんと!」
「大丈夫だ、大丈夫」
 最後の方は最早刺すというより当てるというような弱々しさではあったが、そう泣き叫ぶ ナマエ を哀れに思い、その腕を掴む。
 ナマエ が憎悪に歪んだ顔で此方を仰ぎ見る。
「大丈夫だ、……もう、死んでる」


 ナイフの指紋?
 ああ、父の隣に置きっぱなしだったものを拾ってしまったんでしょう。……なんせ、そんな光景を目の当たりにして、正常な判断が出来ますかね。
 そういうことですよ。だから、そんなに詳細は覚えていないんです。



 そうして、俺は彼女の腕を掴んでいない方の手でナイフを掴み、 ナマエ に向けた。
「しかし、俺はお前を殺さなければならない」
「どうして?」
 返り血にまみれた顔で ナマエ は目を細めた。なんとも、俺よりずっと、殺人犯の顔をしている。
「名前を知られた」
「名乗ったんでしょ。それに、私も知られてる」
「意味が違うだろう」
「どうして?」
 眉間にシワが寄るのが分かる。俺は苛立った。
ぎしり、と握った拳が軋んだ。
 ナマエ は白い目で俺を眺めていた。

「共犯ですよね、私達」

 は? 間抜けな声が俺の口から漏れる。その間にも ナマエ はその手のナイフをくるくると器用に弄んでいた。
 キッチンに吊るしてあったタオルでぞんざいに顔や体を拭い、服を摘まんで「これお気に入りだったのに」と舌を出す。
 その奇妙な冷静さに、俺の昂った心はすとんと落ち着き、そんな ナマエ を観察する余裕ができた。

「共犯?」
「私はそう思ってる。殺したかったものをあなたが殺してくれて、それを私が更に殺したつもりでいる。間違ってるかな」
「……いや」
 それで良いなら、構わない。
 しかし。
「だからと言って、お前を殺さない理由にはならない」
「大丈夫。第一発見者の私があなたを庇う。なんなら、怨恨の線も消してみせる。そして、その後失踪する。すると、私も消されたんだと思うでしょう。そうしたら合流しましょうよ」
「信用できないな」
 すると ナマエ は子供のように笑い、こう言うのだ。
「だったら私、きっと今ここで貴方を殺すわ、リゾット」

 私は襲われなかったですよ。……そう、隠れていましたから。男が父を刺した直後位にね。
 するとどうも、彼は父だけを仕留め、深追いはせずに出ていったようです。
 そうして私は取り乱して父をゆすぶり、ふらふらと外へと向かったようです。
 この事件については、こんな感じですよ。

 でも、もしかしたら、顔を見られたと言って私を殺しに来るかも。
 だって見せしめのためかも知れないんなら、家族まで殺すということもやるかもしれないじゃないですか。
 それが、とても恐ろしいんです。



だからね、早く犯人を捕まえてくださいよ、刑事さん。


***



事件から数日後、ナマエ・ミョウジの失踪が確認され、組織的犯行と断定、捜査方針を切り替えるも、一切の手がかりは得られず。
今現在。×××・ミョウジ殺害事件及びナマエ・ミョウジ失踪事件は、未だ解決されていない。



***


 街頭のテレビから流れる音声に、長身の男――黒尽くめだ――が肩を揺らす。その隣に歩く女も同様だった。
 かつり、と硬質な革靴が鳴る。
「リゾット、見て」
「そんなことより指令だ。行くぞ、ナマエ」
 《こちら美術館》と書かれた看板に沿い、そうして彼らは美術館へ、正確にはその隣の建物へと歩を進めるのだった。
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