ディエゴの結婚生活は約半年で終わりを迎えた、それはつまりそういうことであった。最期の息を吐き出し終えた妻の体に縋りついて流して見せた涙や葬式での悲痛なさまなど、彼の演じたそれらをここで全て綴りきることはできない。何故ならそれらは未だ続いていることなのだから。
 老婆の、いいや今やディエゴ・ブランドーの屋敷となったそこでの茶会に招かれたのは他でも無い夫妻であった。老婆にまるで息子夫妻のように可愛がられていた、あの。彼らの前でディエゴは今も老婆の夫であった装いを脱ぎ払ってはおらず、葬式から一ヶ月経った今も何に一つも悲しみは薄れないといった心労を携えた姿を見せていた。
「なあ知っているかい、世間ではオレが殺したなんていう噂もあるんだ……」
 片手の平で覆った顔を伏せながら言うディエゴのその肩を抱きはしないがそうしてもおかしくはないといった面持ちの亭主は未だ彼の一番のファンのつもりだ。
「まさかそんな! 皆本来のあなたを知らないだけだ、ディエゴくん……!」
 内心、この男は社会の悪意のひとっつも知らない世間知らずでべたべたに甘やかされ育てられてきたんだろうと舌のひとつでも打ちたくなる。或いは打っている。この一時、とある農場の田舎者ども全ての罪を被せたような心持ちにもなった。勿論そうした感情はおくびにも出さず、ディエゴの唇が零したのは震えるような吐息と弱音ばかりの言葉だ。
「この屋敷はここまでただ広くて寒々しいものだったかと……、つまり、ぁあ、寂しいんだ。君達さえよければ今までのように、……もう彼女はいないが……、今までのように茶に招かれてくれ、いや、今まで以上に……」
「勿論だ! それによければ此方へも来てくれて構わない、あなたの助けになるのであれば」
「すまない、夫婦の時間を邪魔しちゃあいけないと思うんだが……」
 怖ず怖ずと言った様子で顔を上げ、視線を向ける。互いの装いが触れ合うほどの距離の夫妻へと。勿論その距離感はなんらおかしいことはないだろう、何と言っても夫と妻であるのだから。じぃっと向けた眼差しを遠慮を滲ませたものだなんて思っているその亭主は妻の手を取って構うことはないと首を軽く振りながら言うではないか。
「いいや、仕事で留守にすることも多く妻を一人にしてしまうことも多いんだ。話し相手になってくれると助かる」
 お喋りが寝室を用いないものだとばかり思っていやがる、この男は。勿論ディエゴはそのようなセリフを亭主へと吐き出してやるつもりはない。忍ばせる必要の無い眼差しを夫人へ向け、彼女も軽く顎を引くようにして頷くものだから演技でもない嬉々とした感情を露わにした。控えめにはしておいたが。夫人の貞淑な唇の笑みに、それを奪える期待も今はまだそれほどするべきではないだろうと、手放しに事を進めるには未だ時期が早いと、そう考えている。そうだ、未だ早い。
「紅茶が冷めてしまったな、新しいものを淹れてこよう」
 その言葉と共に席を立ったディエゴに僅かに上唇と下唇の間に隙間を空ける亭主。
「慈悲深い友人らの為に手ずから用意したいのさ。……渋くなったら、すまないが」
 さも照れ隠しだと思わせるように、ディエゴはティーポットを持ち仄かに傾けてみせる。
「君はアールグレイだろう。夫人は、ダージリン?」
 決まり切っているのは亭主だけである、決まり切っているのは。

 それで、次にディエゴが夫妻と顔を見合わせたのは前回から二週間しか経っていないなんともいえないイギリスらしい天気の日だ。「ああは言ってもあなたは遠慮するだろうから早めにしておいたよ」と言ったのは亭主で、若者らしい表情で「お見通しか」と言ったのはディエゴ。手土産の小箱、アールグレイの茶葉が収められた缶が入っているそれを亭主の手の平へと押しつける。
「嬉しいよディエゴくん!」
「そう喜んでもらえて此方としても嬉しいよ、君には一回の席分にもならないだろうがね。……夫人はどうしたんだい?」
 片や夫人への手土産である花を手渡すその相手が見えないなとディエゴは問いかける。
「妻の話し相手になってほしいと言っておきながらなんだが、用事が出来て少し前から留守にしているんだ申し訳無い」
 それでは目的の半分が駄目になったようなものだ、悪態を吐くも顔色に出すこともしなかったがもしかしたらメイドへと土産の花を渡す際手荒に押しつけたかもしれない。もしかしたら少し。
 レースに馬に若手の騎手、亭主と茶を飲みながら話したのはそんなものだ。亭主は騎手ディエゴのファンではあるが騎手でもなければ馬の調教師でもない。つまりはディエゴにとって足しになるような話ができたとは言い難い。だから彼が茶を飲みながら思っていたのはアールグレイの香りが鼻に付く、帰る前にちらりとでも夫人と顔を合わせることができればな、ということだ。結局、それについてを述べれば胸中でくそったれと呟いたのが答えであるが。
 今回の訪問の全てが全てくそったれであったかと言えば、そうでもない。
「ん? 何だい君、風邪でもひいたのかい」
「どうもそうみたいなんだ、少し喉がね……まあこれぐらい直ぐに治るさ。蜂蜜でも加えようかな」
 軽い咳をしたそれに問い、返ってきた言葉だ。

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