実に彼女は弱く、それでもその舌が嘘を吐くことはなかった。

 背筋を下から上へと這い上がった感覚とは裏腹、背骨を撫で下ろすような悪寒。それで遂にナマエはその唇から拒絶の言葉を吐いてしまった。彼女はハッと目を見開いてからその言葉を吐いた自身を戒めるように手で口元を隠し、そしてギュッと瞼を閉ざした。追いやられた涙は珠となり彼女の頬へと滑る。震える睫毛。また彼女の身体そのものも小刻みに震える身震いを見せている。誰にか。それは二人で、ソルベとジェラートその人らだ。
 違う。違う、と否定の言葉を吐くナマエの口元の手を除いたのはソルベで、彼女の言葉を呑み込んだのはジェラートだ。くちゅくちゅと水音が響く室内に満ちる仄かに甘い香りは脳神経を痺れさせるようだ。それを意識する余裕をナマエは持ち合わせてはいなかったが、確かに彼女の肺はそれに満たされている。今は、ジェラートと分かち合ったそれだが。
 離した唇の後、ナマエの目をジッと覗き込んで確認したジェラートが身を引く。その動作の為に彼女の中のそれもずるりと抜き出され、否が応でも嬌声を漏らす他彼女に出来ることはなかった。緊張の為に絞まった喉でも零れさせてしまうそれがまた漏れる。埋もれていたそれが両方抜き出された為だ。一度息を詰め、短く数度にわたり吐き出したナマエは自身の背の肌に触れているソルベの肌の熱と心音に薄く目を細め、そして唇を引き結ぶ。薄く開いた唇が発するのは何か。
「私、――」
 何かを言うとして開かれた彼女の唇はジェラートの指で遮られ、彼の彼女を見る目はその言葉を吐くことを良しとしてはいなかった。ナマエの見るジェラートの眼球はちろりと動いて己の後ろに位置するソルベへと向けられているらしかった。浅い呼吸と波間を漂うように鮮明とは程遠い思考回路。ナマエは常時の顔色の悪さを情事のために僅かに血色良くさせていた。それでもまだ彼女が纏う空気は冷たく、その肌は病的に青白い。
 室内には三人分の静かな呼吸音と時を刻む小さな音だけが響いていた。身を捩った分の時折軋むベッドの音は場を損なうものには成りえない。甘い香りと、肌と肌が重なった分に分け合う体温は意識を酷く曖昧にさせる。身体はもう震えてはいなかった。
 きっちりと衣服を着込んだ三人、内一人ジェラートが時計へと向けた視線で仕事の時間を告げる。ベッド縁へと腰掛けていたナマエ、の隣へと座りこの数時間後には使用することとなるだろう自身の得物を点検していたソルベがそれに答えた。ナマエは伏せていた視線を数字へと向けて音にせず形だけでそれを確認した。得物を仕舞い終えたソルベの手がナマエの髪をぐしゃりと撫でる。少しばかり力の強いそれに目を細めた彼女に向けて笑ってみせたのはジェラートで、彼もまた一本のナイフを手の内で遊んでから懐へと仕舞い込んだ。
 二人揃っての任務で一週間程帰らない。というのを既に聞いていたナマエはベッドの上から、ソルベが扉を開けそこからジェラートが廊下へと足を踏み出すのを見ていた。ソルベもまた踏み出した足でその身体を部屋の外へと出す。眉尻を下げた二人の視線を見返しながらナマエは何かを言おうとして、そして唇を閉じてその行動を止めた。ぱたん、と閉じた扉が立てた音は物悲しく部屋に響く。小さな音であったはずなのに。
 少しばかり待ってから、ベッド縁から腰を上げたナマエはその足を窓際へと運んだ。日差しを遮り景色を遮っていたカーテンを引き、眩さに目を細めて、瞬く。そして見下げた情景の中に在るソルベとジェラートの姿を見つめ、瞼を閉ざした。胸の前で組まれた右手と左手の指はまるで許しを乞うようだ。彼女が開けた目で見た景色に既に彼等の姿は無く、ナマエはちらりと眩いばかりの太陽へと目を向けて眉を寄せた。歪めた口角で吐いた侮蔑はそれに届かずきっと重力に抗えぬままに自身の身体へと落ちてくるだろう。いや、寧ろそれはその身体を貫きさえするかもしれない。拒絶するように引かれたカーテンは室内の甘い香りを僅かに揺らした。

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