眉を八の字にした俺を覗き込んでナマエが言う。夕暮れの海も綺麗なんだろうな、と。彼女はそのままに俺の眉間の皺を押し伸ばすように人差し指を滑らせて笑った。俺はちらりと泳がせた視線の先で擬態したベイビィを見て、閉じた瞼と指先で只無機質な一丁の銃を確認した。
「ねえ、メローネ。描いて欲しいの。夕暮れの、海」
「見に行くんじゃあなくて? 描くのか?」
 一通りの画材の前に俺は少しばかり困惑した。俺の肌の上を滑っていたナマエの指先が、次は白い紙の表面を撫でるように滑る。それを見て、俺は彼女の為に夕暮れの海を描くことを決めた。
 赤々と燃える太陽が、地平線を焼くかのように染め上げながら沈んでいく。潮騒が鳴り響く中、塩辛い風が吹いているはずだ。其処に彼女がいるなら、彼女の髪を撫で付けるように。引いては寄せる波が延々と続く、終わることの無い満ち引き。
「やっぱり、メローネは絵が上手だね」
「絵描きにはなれなかったけどな。……出来たけど、それもあの絵の横に飾る気か?」
「違うよ。……ありがとう、メローネ」
 ナマエは俺が差し出した海の絵を受け取って、我が子を慈しむかのような目で沈む夕日を愛でた。そうして両の瞼を閉じ、呟くように、心残りは無いと言った。それを聞いた俺は思わず、横っ面を打たれたような表情を浮かべてしまう。ナマエの震える睫毛に、彼女が全て気付いていたことを俺は知る。唇を固く引き結んだ俺の手を彼女がとって、語り掛けるようにゆったりと唇を開いた。
「覚えてる? メローネの頭の中に入りたいって言ったこと」
「あぁ、覚えてる。無理だけどな」
「破裂しちゃうもんね? ねえ、その後のことも、覚えてる?」
 俺は返事もしないでナマエの頬へと自身の指先を滑らせた。指の腹で撫でつけ、行き場の無い思いを吐息と押し出す。自身の隣にいて欲しい。それは今だって変わらないというのに、それを叶えることがこんなにも難しいことだなんて。
「メローネ。もう一度、一緒に海を見て?」
 ナマエは絵の中の海を撫でながら、笑った。



 沈みかけの太陽は今にも地平線を焼き尽くしそうだ。隣の彼女は人工物の芸術に息を詰めて魅入るが、俺は一息毎に塩辛い空気が自身の肺を満たすものだから、思わず涙腺を潤ませてしまった。
 あの太陽になりたい。だなんて、ただぼんやりと俺が呟いたその言葉に彼女は、海になりたい。だなんて返してみせた。鳴り止まない潮騒が俺の鼓膜を震わせる中、彼女の穏やかな声まで俺の鼓膜と身体を震わせるんだから、堪らない。俺の帰る場所で在りたいだなんて言って笑ったナマエ。
 砂浜に四肢を投げ出した身体へと俺は銃口を向けて、目を瞑る。閉ざした視界で際立ったのは聴覚だ。弾けるようなその音より、ただ、潮騒が耳障りだった。



 リーダーがその黒い双眸で、俺の書いた報告書と添えている写真を見下げている。潮騒に似ても似つかない紙が立てた擦れる音が、アジトでの俺の自室にひっそりと響いた。期限ぎりぎりであったそれに説教染みたことを言われるかと思ったが、リーダーは特に何を言うでも無く報告書に目を通した後、大丈夫かと俺に尋ねた。それに俺は大丈夫だよ、と答えた。
 そうか。と、短い言葉を呟くように言ったリーダーは踵を返して、自室へと戻るようだった。その脚がぴたりと止まり、視線は流れるように壁へと向いたので、俺はどうかした? と尋ねる。
「いや、……あの絵は」
 リーダーがあの絵と差したそれは、夕暮れの海を描いたものだ。それに俺は目を細める。
「あれ、俺が描いたんだ。上手いもんだろ?」
「あぁ。……それに」
「それに?」
「潮騒が聞こえてきそうだ」
 俺の描いた波打ち際を見てそういうリーダーに、俺は自身の口角を吊り上げて笑った。俺が笑ったもんだから、リーダーは訝しむ表情のままに俺を見てその視線で何だ、と問い掛けてくる。それだから、俺は答えになるのかは分からなかったが、言った。
「違う、違うよリーダー。潮騒は、聞こえるんだ」
 俺は自身の鼓膜をも震わせる潮騒に瞼を閉ざした。足の裏に感じる細かな砂の粒や、呼吸をする度に肺を満たす塩辛い空気。引いては寄せる波が延々と続く、終わることの無い満ち引き。瞼の下に広がった海に、俺は閉ざしていた視界を開けた。

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