貴女様、
 貴女様の方では、既に亡きものと思っている男から、突然このような不躾な御手紙を、差し上げます罪を、幾重にもお許しくださいませ。司書室に悠々と在る四脚の椅子、それの上にこれ忽然と在った封包みにさぞ驚いたことでしょう、重ねてお許しください。貴女がこれを手に取ったことまた綴った文字に視線走らせること、私は言いようにも無いほどに高揚としている。その様を貴女の眼に映して知らせることができないことが残念でなりません。貴女の瞳に泳ぐ自身を確かめることができないのが奥歯噛み締めるほどに悔しいことでございます。それを察していただけますと幸い。これに関しての苦しみを綴るのは止しましょう、貴女も焦れているはずだ。先へと、進みましょう。話の本筋へと進まねばならないでしょう。私も、筆を走らせることをしましょう。
 私は数ヶ月の間、全く貴女の前から姿を消しました。その故は貴女が嫌というほど解っているはずだ。些細な箇所に違いがあるとしましても。貴女側から語りましょう、貴女は私が鬱陶しかった。この一言に尽きますでしょう。今、貴女は肩を小跳ねさせた。首筋から目で追ってしまう線の先の肩先をぴくりと跳ねさせた、私の孔雀青した眼差しに今見ることはできないのですが分かっております。分からないでか、私なれば。何故、何故私が貴女の前から姿を消したか。貴女の側から言うなればそう、貴女がそう差し向けたから。私を潜書の際に本へと閉じ込めてしまったから。私を一人向かわせておいて、あの奇怪な世界に独り置き去りにしてしまうなど酷い人だ。酷い、けれども私は貴女を嫌うことなどできない。だから、そう、こうして文字を綴っている、手紙としている。
 私側から、次は申しましょう。貴女の前から姿を消したというそれに。私がどんなに貴女を恋うて愛していたかは既にご存知のはずだ。ええ、知っている。だから貴女はこの手紙を持つ指先を震わせている、私にはそれが分かる。私が何故暫し姿を隠したかといいますと、これで悋気の念に胃を煮え繰り返していたことでありますし貴女の真意を知りたかった、それに違えません。もしかしたらただの手違いかもしれない。私と距離をおきたかった、私など無いものとしたかった、そうであるなど思いたくもなかった。藁にも縋る思い、嗚呼、けれども貴女は残酷だ。嫌な予感ほど当たるもの。貴女が私を遠ざけるなど、いえ、いえ、置いておきましょう。この嫉妬の深さをこの段階で書き綴れば用紙が幾らあっても足りないことだ。
 貴女は今、この手紙が誰ぞの悪戯である確率を頭に思い浮かべておいでですね。そうしてそれでも筆跡から誰であるか解りきっている。私は、そうですね、私が誰であるか書き綴りましょう。敢えて。
 私の名は江戸川乱歩、唯の乱歩でございます。かつて貴女に愛された唯の一人の男でございます。
 貴女は疑り深い、私が私であると証明する為に幾つかと書き記しましょう。それは私しか知り得ないこと。いいえ、今は私が何時ぞや連れて来た忌わしき男も知っていますかね、嗚呼と。
 例えば貴女が閨でどのような振る舞いをするか。潤ませた目をほんの少し伏せらせて、貴女は名を呼ぶのです。はっきりとしたものではございません、掠れるかのような声色で酷く此方の情欲を誘うように貴女は唇紡ぐ。名を呼ばれ乞われた者が反射貴女の名を呼び返せば何度抱かれたとしても貴女は度に生娘のような初々しさをもって頬に笑みを浮かべる。ああ、その罪深さといったら。また貴女の秘する箇所の殆ど近い箇所に在る黒子、体の関係が無ければ知り得ないそれなど。それに口付け皮膚を吸い上げ痕残せば貴女は小さな嬌声上げて悦んだものだ。私のそれにも、忌わしき男のそれにも艶やかな声を漏らしたのを私は知っております。そうして貴女の内なる何処をどうすれば善がるかなど、ああ、これは書き記す必要もございませんか。
 さて、私が私であると知れたでしょう。乱歩であると知れたでしょう、かつて貴女が愛してそうして捨てた男であると。
 貴女の様子が私には分かります、そんなにも顔を青褪めさせて。私が貴女の隣に立っているのならその肩を抱き寄せることですが、残念ながらそうではない。私は貴女の隣に立ってはいない。また疎ましい男も貴女に今は寄り添っていないのでそれは心喜ばしいことでありますがね。
 どうか、どうか楽にしてください。そんなにも体を強張らせては私も残念です。用紙にだって指先の力に皺ができてしまった。私は、私は貴女を憎んではおりません。憎んでは、おりません。
 さて、さて、貴女は今この手紙をおどろおどろしいと読んでいますね。そうです、これを預けていた四脚椅子に深く腰掛けながら。おっと、今、貴女は驚いたように尻を浮かせた。貴女の感情を手招くことの喜ばしさったらないことです。貴女の美しい眼が殆ど血走っている、まあ、それはよいでしょう。貴女は恐れている、ただ恋のそれに玩んだ江戸川乱歩という男の存在を。葬ったはずの男が今もなお生きているという状況を。そうして嫌に痛む頭で考えているはずだ、私が今何処にいるかを。さて、私は何処に潜み肺を酸素で満たしていることでしょうか。貴女へと愛しみばかりの視線を向けていることでしょうか。
 想像している、貴女は。恋に狂った男が自身を殺しにくることを。
 貴女は私の幾つかの著書をご存知のはずだ、それすらも嘘偽りの無いものなれば。貴女は、人間椅子という私の著書をご存知だったでしょうか。椅子の中にひっそりと息づく、男の存在というのは。
 おや、まるで命乞いをするさまのように貴女が椅子から飛び退いたことです。あまり指先に力を入れては手紙の先を読めなくなりますよ、貴女とて文字の綴りを読みたくはないと思いながらも読む他無いはずだ。読みなさい、読め。貴女は私のこの文字の綴りを、思いの綴りを読まねばならない。解りますね?
「っひ、ひぃ……!」
 司書は喉を引き攣らせて恐ろしいとばかりの視線を四脚椅子へと向けた。その指先には用紙、手紙だ。恐怖のあまりに握り潰されんばかりのそれだ。彼女がかつて自身がいいように玩んだ乱歩という男の復讐に酷く怯えている。手紙のそれに、まず間違いなく葬ったと思っていたかつての男のそれに。
「椅子、椅子……! いる、そこにいる……!」
 眼球が零れ落ちんばかりに見開かれた眼、それはただに四脚椅子へと向けられる。呼吸のそれはヒーヒュゥと。時間はチクタク、たっぷりと。
 嗚呼、けれど待て、待てと彼女はハッと思う。人間椅子のそれは引っ掛けだ。その著書、椅子の中に誰ぞは潜んでいなかったと。彼女は喧しいばかりの心臓を落ち着けんと呼吸を繰り返す。ひとっつも、平穏に近付くことできずとも。
「いない、いるわけがない。あの男が、いるはずなど……」
 それは自身に言い聞かせるもの、信じたいもの。果てさて、果てさて、その答えは。
「――嗚呼、酷いことです。アナタはワタクシを否定し続けるのだから……」
 静かに、けれども司書の鼓膜を確かに震わせたその音は確かに江戸川乱歩のものだ。それは誰でもない彼女が解っている。恐怖に尻を床に擦りつけるようにして後退した彼女が。
「そんなはずがない、そんなはずが、そんなはずがッ!!」
 がちゃがちゃと鳴るは彼女の机の引き出し、彼女が手探りにナイフなど探している為。数秒、目的のものは見つけ出されたそうして彼女の手に。ずぶりと、ナイフは四脚椅子へと突き立てられた。ああそれは残虐なる犯罪めいている、四脚椅子はずたずたに切り刻まれることだ。
「ほら、ほらっ、いない! いるものか! 何が人間椅子だ!! いるはずもない!!」
 司書の言葉通りに確か、無残にも切り刻まれた四脚椅子に窺えるものなど。彼女は自身の眼差しの先のそれにようやっと、息を落ち着かせようとする。けれども。
「気に入りであったその椅子を惨殺するほど、ワタクシが恐ろしいですか」
 またと響くは確かな声だ。乱歩の、声だ。
「そんなはずが、そんなはずが……!!」
 例えば黒蜥蜴、椅子ではない何処ぞへと潜んでいるのだと司書は恐ろしき声の主を探す。机の下、クローゼット、ああ、何処にもいやしない。
「ぁあ、ぁあ、私は狂ってしまったのだ……! 生きているはずがない、乱歩が生きているはずなど……」
 鼓膜を震わす男の声に司書はその場に崩れ落ちる、顔は両の手に覆い隠しただ嘆くのみ。悔いるしかないのだ、その男で遊んでしまったことを。
「漸く、漸く呼んでくれましたね。ワタクシの名だ、乱歩というそれだ……」
 それは今にも泣きそうな声だ。けれども司書にそんなことを気にする余裕など。
 部屋には無残に切り刻まれた四脚椅子。開け放たれたクローゼット、床へと舞い散っている書類。司書の嘆き、恋に狂った男の囁き。
「乱歩が、生きているはずなど……」
 そう声音漏らした司書の耳には確かに届いたはずだ。その音はそう、床に革靴響かせる音、着地の音。
 ああ、そうだ、彼の著書にはこれもあった。
「迎えに来ました、ワタクシだけの愛しいアナタ」
 ――屋根裏の散歩者。

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