「地に足が着いてる」
「え……?」
 ぽつりと呟いた私の言葉に反応してみせたマルコが振り向く。その視線は確かに周りに私以外の人物がいないことを確認してから私が向けていたものと打つかった。私は交わった視線を外してそのまま下へ、地面へと向けてから指先も同じ様にそちらへと差して、同じ言葉を呟くように吐いた。
「地に足が着いてる」
「……あぁ、そのままの意味の。そりゃあ、着いてるよ」
「幽霊なのに? 浮いたり、できるんじゃないの」
 地面へと向けていた視線を上へ。指先も宙を指してみればマルコの顔には苦笑いが浮いている。
「……なんだかわくわくしてるね。でも、期待には添えないや。この通り、地に足が着いてるからね」
「いいや、できる。マルコは頭が固いんじゃないの。もっと柔軟にいこうよ、幽霊なんだから宙も飛べます浮けますって。固定概念よくない」
「……」
 今度の指先はマルコ自身へと。それ飛んでみろとばかりに指先を数回跳ね上げてみてはマルコの苦笑いが深まるのを見守る。少しばかり待って我慢ならないと声を上げたのは私で、私の呟き一つにしょうがないと頭を振ったマルコに口辺が持ち上がるのを感じた。
「ほら飛んで。…………あ」
 そうして上唇と下唇との間に隙間を開けて小さな驚きの音を漏らしたけれど、それ以上に当人の口から出される驚きの声の方が辺りに響くようだった。それも私以外には聞こえないものではあるが。
「えっ!? 本当に浮けた! でも……まさか人間がそんな――って、うわ!?」
 多分それはマルコが疑ってかかったその瞬間。宙に確かに浮いてみせた彼は忘れていた重力を今し方思い出したとばかりに体制を崩してみせた。宙を掻く手に何も掴めずそのまま音を立てずに地面に尻餅をついたその様。
「……頭固ーい」

 ――そんなやりとりがあったな、だなんて思い出しているのは落ち着いているからではなく、緊張を多少なりとも和らげようという精神の逃げなのだろうか。指先で跨った馬の鬣を梳きながらも自身の呼吸が平時より浅く短いものを他人事のように思いながら、視線の先、壁を見つめる。
「ナマエ」
「……あぁ、うん、大丈夫」
 マルコの声に返した返事も今じゃ誰も気にしてはいないだろう。馬に或いは自分に言い聞かせているものだと思われるだろうし、私個人に気を裂いてる場合じゃないはずだ、周りも。なにせもう、壁外調査が始まるのだから。

「第57回壁外調査を開始する! 前進せよ!!」

 地に響く馬の足音と自身の心臓の鼓動が耳裏に響いて手綱を持つ手に力が籠もる。
 撫ぜる風による髪の靡き、前方を睨むようにして進む。旧市街地を抜けるまでの援護班による支援、彼等が言うように隊列を死守することが今成すべきことだ。怯むことは後の後、無事に帰って来てからすることだ。
 そして睨んだ前方へと馬は駆けて行く。

「長距離索敵陣形!! 展開!!」

 陣形の展開の先、新兵の役目の一つである予備の馬との並走、その任を手綱と共に受け取っているのはユミルだ。そして索敵班から撃ち上げられた赤の信煙弾を見逃すことなく捉え、同じように赤い煙弾を撃ち上げる、伝達も新兵の役目の一つ。これは私に与えられた任だ。
 暫く後に上がる緑の煙弾。進路変更の為の団長からのそれを同じように進路方向に向けて撃ち上げる。
 巨人との接近、戦闘を避けるのを目的としたこの陣形に講義の小休止中にマルコと交わした会話を思い出しながら震える指先を煙弾を撃ち放った銃身に擦り付けた。

「巨人だ!!」
 地形や障害物により発見が遅れる、その場合が今だ。
「新兵っ信煙弾、赤!」
「はい!!」
 廃屋の影から跳び出てきた巨人の体を避けた班長による指示に声を荒げて返事をした。赤い煙弾を撃ち上げながらも巨人の突撃を巧みに避け誘導する班長へと視線を釘付けにしているのは私だけではない。他の新兵も口内へと押し込めた悲鳴で顔を強張らせている。飛ぶ叱咤。
「陣形を崩すな!」
 廃屋をさらに跡形も無く壊し尽くすように顔から跳び込んだ巨人。それを見守ることもなく配置へと戻った班長に私は視線を前方へと戻した。巨人は、追って来ない。燃料切れだ。

 黒い煙弾を確認した。それは奇行種を知らせる煙弾。緊急事態を知らせる信煙弾も確認した。そして、緑の信煙弾。その後にも幾つかの煙弾を確認してからだ。その口頭伝達を聞いたのは。
「右翼索敵壊滅的打撃!! 右翼索敵一部機能せず!! 以上の伝達を左に回して下さい!!」
 伝達の任の者がそれに配置を外れ駆けて行くのを横目で見ていた。噛み締めた奥歯が痛い。

「回り込む、続け!」
 目的地から東に外れたままの陣形が辿り着いたのは巨大樹の森で、近付く事に見上げるほどに高い樹木に視線をやる余裕も無く班長に続く。
 森を回り込むようにして馬を走らせたその先で与えられた指示に私を含む新兵は困惑を隠せず中にはそれを口にしている者もいた。
「待機、……ですか?」
「そうだ、立体機動で樹に登れ。その先でブレード構えて待機だ」
 足場となる枝の上に着地してから耳にしたマルコの「これも作戦、なのか……?」という呟きには首を縦にも横にも振ることができない。

 命じられるままの待機に、見下ろした先に集まりだした巨人も随分と多くなった。樹の皮を削るようにして登ってき始めたその姿に冷や汗が流れる。滑るように落ちて地面へと落下するその姿を見ても一つも安心できない。
「いつまで待機なんだ。クリスタはいないってのに」
 直ぐ側の樹で待機するユミルが視線を向けてきながら私へと言う。その問いに答えることなどできるはずもなく、私はただ首を振った。
「この奥で鳴ってる爆発音、それと関係あるんじゃないだろうか?」
「爆発音……」
 マルコの呟きに私も視線を森の置くに向けて呟いていた。樹の足元から巨人の落下音を聞き、森の奥からは謎の爆発音を聞く。いったい、作戦とは。
「それだ、爆発音。さっきから後ろがうるせぇな。なぁ? ベルトルさん、クリスタがどの辺に行ったか知らない?」
「ごめん……知らない」
 ユミルが側の樹に立つベルトルトへもクリスタの事を尋ねるのを耳に流しながら私は樹に背を預け空を仰いだ。溜息。
「ナマエ、少し移動しよう」
 マルコの声に彼が目を向けている下方へと同じように目を向ける。木登りが上達し始めた巨人に憎憎しい視線と舌打ちを一つ打ってから、私は隣のもう幾分高い位置にある枝へとアンカーを放った。

 それから幾分もせずに森の奥から聞こえてきた劈く、まるで断末魔の叫びに私は耳を塞いだ。周りのユミルやベルトルト、他の者も同じ様に耳を塞いでいる。そしてそれが聞こえてきた森の奥へと視線を向けて、直ぐに元となる逆方向へとそれを勢い良く戻した。
「なっ、んで!?」
 驚愕。樹の足元に群がっていた巨人共が、樹の上の人間にはもう興味は無いとばかりに森の中に走り出したのだ。それも、一体残らず。
「っ全員立体機動に移れ!!」
 森の奥に通すなと叫ぶその声に皆が立体機動に移る。一目散に駆けて行く巨人の項を目掛けてアンカーを放ちガスを噴かす。構え、振るうそれで、項を削ぐ。
 ただ只管に奥を目指すだけの巨人の項を削ぐのは容易い。それでも、数と勢いの前に逃したやつが奥へ奥へと進んで行く。
 何体目かの項を削ぎ、残りを奥へと許してしまってから幾分、上がった煙弾。
「……撤退」
 誰かが呟き、側にいた班長が「総員撤退!」と叫ぶ声が樹の間に響いた。私もまた噛み締めるように撤退と口内で呟いていた。

 こうして第57回壁外調査は終了した。得たものはあったのだろうか。それに対して失ったものは?
 壁内、遺体を運ぶ荷馬と並走しながら押し黙る私は横目に布に覆われたその躯を見た。
「ナマエ」
「……何」
「それでも、ナマエは生きてるよ」
 どうも空気が薄くて堪らない。立体機動で体を酷使したせいか胸も痛いし、ひりついた喉ではまともな返事ができない。目はなんだか潤んでくるし、震える指先は冷たい。誰かさんのものは透けてしまうから温もりを奪うだなんて、できない。
「……あぁ、うん、大丈夫」
 嘘を吐いた私はほんの少しだけ泣いてしまった。
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