長距離索敵陣形に関する講義と講義の合間の小休止、自身が綴った紙の上の文字に視線を落としながらその上にかかる透けた指先を考える。私にしか聞こえていないマルコの陣形に対する考察と感嘆と同調を求める声に突いている頬杖が滑りましたの体で頷いてみせた。壁や空気に話しかける新兵は浮くと思うと私が言ったにも関わらず、彼の話しかけは相変わらず。それでも一切の無視を通すのではなくて、微塵に近いぐらいの協調性を私が見せてみることがここ数日は多くなったと思う。
「それで、この部分なんだけど――」
「そういえば、お前も調査兵団に入ったんだよな、ナマエ」
 マルコの声を遮るように声をかけてきた人物へと頬杖を突いたままに横目の視線をやるとそこにいたのはジャン・キルシュタイン。自身の名前が呼ばれたにも関わらず誰かと間違えているのではないかと視線をジャンと反対方向へ向けてみてもそこには口を噤んだマルコがいるだけで、やはりかと戻した視線で返事をした。
「そうだけど、二週間も経ったのに今更意外そうな顔されても困る」
 私の左側のスペースへと座ったジャンの方へと体の向きも変える。マルコの息を呑んだ音も、視線も、ジャンには分からないのだろうなと思う。
「しかし、意外だろうよ」
「あー、……お互い様じゃないの」
「……まぁ、確かにな」
 お互いに口を噤んだままに数秒。ジャンの指が木面を叩く音が鼓膜に流れ込む。講義室には他の新兵もいて、会話だってしているというのに、どうも物静かに感じてしまう。
「……ジャン・キルシュタインの口から私の名前が出てくるとおかしな気がする」
 短い間の沈黙を拭うように上唇と下唇の隙間から零した言葉にジャンが見せた苦い笑い。
「どういう意味だよ」
「そのまんまだけど。ミカサ以外の名前をちゃんと認識してるんだな、と」
「しっ、してるに決まってんだろ……! 逆にお前が誰かの名前を口にするのが変な気がするぐらいだ」
「ミカサとかジャンとかマルコ、とか……認識はしてる」
 意識はしてなかったけど、と胸中で呟いた後にジャンの目の僅かな潤みを見て、自身の内臓が重くなったような息苦しさを覚えた。
「そうか、……そりゃあ救われるだろうよ」
「……ジャン、泣きそうならハンカチ貸そうか? ミカサのじゃなくて悪いけど」
「いらねえよ!」
 形ばかりに差し出したハンカチは手に取られることもなく、やって来た講師に講義の再開をみる。ジャンはこのまま隣の席で講義を受けるらしい。前を向いた私の肩越しにジャンを見るマルコを知らん振りして結んだ自身の唇はどこか乾いているような気もした。

「それで、私は何か話を聞くべきなの。いつまでもそんな顔で隣にいられたら今夜の夢見に関わる気がする」
 初日もこんな風に人目の無い場所をぶらぶらとしてマルコに話しかけたのを思い出した。今夜は、少し雲が出ている。時折月にかかる雲に辺りが暗くなり姿が僅かに隠れるのと、吹かれた雲に月光で照らされる複雑な表情を浮かべるマルコを暫し見ていた。
 これは不謹慎なのだろうか。僅かに透けているその体が月明かりの下でどこか幻想的で綺麗だな、なんて思ってしまってそれが癪でもあり、唇を引き結んで私はマルコから顔を背けた。
「……足枷になってるんじゃないかと思うんだ」
 その呟きのような声に再び顔をマルコへと向ければそこには複雑な表情のままにより眉根の溝を深くした彼がいる。
「僕の言葉がジャンの意思を左右してしまったなんて言わないけどさ……。僕の死で押し付けになってしまった、って。僕は、……あの時死んではいけなかった」
 雲に月が隠れる。薄暗さに目を慣らすようにゆっくりと繰り返した瞬きの前に流れる無言の時間。
 少し吹いた肌寒い風が自身の前髪を揺らし、私はぽつりと吐息を零すように言った。
「……私はジャン・キルシュタインじゃない」
 薄暗さの中でもぶつかった視線でマルコがそれはそうだろう、といった不思議そうな顔を向けてくるのが分かる。それでも私は変わらずゆっくりとした瞬きを繰り返しながら言葉を脳裏で咀嚼してからつらつらと零した。
「――から、ジャンの本当の所は分からない。その、残した言葉っての知らないし。だから、これは私が勝手に言うことだけど、……ジャンは自身が選んだ選択を後悔してないと、思う」
 マルコの瞬きもまた私の言葉を噛み砕くようにゆっくりと繰り返される。
「憲兵団一筋だったジャンが調査兵団に入るほど、きっとマルコの言葉は大きいものだったんだろうな、と思う。けど、それって押し付けでもなんでもなくて、背中を押したってことなんじゃない?」
 昼間見たジャンと、訓練兵だった三年間のジャンを記憶に思い出し、そしてその隣にいたマルコも記憶に浮かべた。意識なんてしてなくたって記憶にはあって、それにその姿を思い出した私の口辺は自然と笑みを作っている。まだ月が隠れていて多少は良かった、それでも視線と顔は地面へと向けてしまったが。
「ジャンが、あのジャン・キルシュタインがマルコに対して恨み辛みを吐き出してるって? ないでしょ。うん、だから……後悔なんて、してない。……っていうか今日も見たでしょ、あの馬面を。あれがマルコが足枷になってますーって顔?……ジャンの弱さも強さも、マルコは知ってるんじゃないの」
 また少し吹いた風に雲が流れたのに笑みを取り繕うようにして唇を引き結んだ。けれど付け加えるために再度緩く言葉を紡ぐ。
「あと、死んでいけなかったのは同意する。あの時もなにも、長生きするべきだから。人類はさ」
 言い終わったままに地面から顔を上げてマルコを見てみればどこぞの馬面を思い出させるように彼もまた涙に目を濡らして、さらには人の顔をじっくりと見てくるから私は視線を泳がせた後に再度地面へと戻すことになる。
「……まあ、私はジャン・キルシュタインでもないし、マルコでもないからよく知らないから、勝手に言ったことだから。……だから、……こっち、見ないでよ」
 そう言っても未だにこちらへと視線を向けているのが雰囲気で分かる。止めてくれとばかりに足先を宿舎へと向け、帰るとばかりに歩き出すと私に遅れてマルコも歩き出したのが分かった。砂利の音なんて聞こえてこないのに。
「ナマエ、僕にはハンカチを貸してくれないのかい?」
「!……誰のが良いか分かんない。ジャンのでも拝借してくればいいわけ」
「ナマエのが良いよ」
 ぐっ、と押し黙った私にマルコが笑う。そのくすくす笑う声が夜風に撫でられた耳に共に擽ったくて、足を速めたけれど彼の方が私より歩幅が広くてどうにもならないままに夜が更けていった。
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