私がマルコ・ボットという人物を一個人として意識したのはつい最近のことだ。長いようで短かった訓練兵としての三年間が終わった後の後、唐突もない出来事の前に意識せざるを得なくなったともいえる。
 訓練兵団時はまったくもって意識してなかったのかと問われれば、私は肯定の意味で頷く。決して彼の存在感が薄いだとかではなかった、それは本当だ。マルコという人物は人柄も良く、同期の訓練兵の間でも信頼に熱く評判も良かったし、無理に粗を探し出そうとしなければ悪目立ちするような所は無かった。
 ただ、私とは接点が無かっただけなのだ。とはいっても同期であるし、訓練時に顔を合わせることもあればそれ以外の自由時間や当直の番を共にしたことも組み合わせの巡り合わせでまったくなかったというわけでもない。そういう意味での接点は確かにあった。それでも、特に彼を一個人として意識したことはなかったとはっきりといえる。
 しかし、いってみれば彼が特別そうだったというわけでもない。私が意識していなかったのは、という話だ。訓練兵を主席で卒業したミカサ・アッカーマンや口を開けば巨人、駆逐、のエレン・イェーガー、その他同期に聞けば名の挙がるであろう人物その他諸々。彼ら或いは彼女ら、知らない人でもないのだが、先のマルコ同様に接点が無かった。意識したことがなかった。
 意識、意識と私が使うその言葉が本来の意味を持たずに別の意味を隠しているかのように思われそうだ。少なくとも、私自身は一般的に使われているであろう意味で使っているつもりだ。
 軽く瞑っていた瞼を押し上げて開けた視界。窓枠の向こうには何があるだろうか。そこには地面が在り木が在り空が在り、細かく言っていけばもっと口にすることになるだろう何かが在る。その地面を、木を、空を、意識するだろうか。草植物に覆われた地面だとか細く痩せた枝の木々だとか壁以上に高くある空だとか、そうした意識はするだろうが、そういうことではないのだ。その存在を、一つ一つの存在を、考え言及し根元まで知ろうとするだろうか。労力を費やそうとするだろうか。上手く、上手く言えない。兎に角私は、地面を、木を、空を、薄く曇った硝子越しに見ているだけなのだ。
 漠然と、漠然と私は生きてきた。流されるように生きてきた。世論に流されて訓練兵になり、憲兵団になれればいいなと思いながらも死ぬ気といえるほどには訓練に身を入れてこなかった。サボったり手を抜くなんてことはしなかったが、なれればいいなに値するやりようだったと今も思う。
 当たり前のように私の成績では上位十名に名を入れることは出来なかった。そうか、しょうがない。駐屯兵団を志願するとするか。脳裏に浮かぶことなどこの位だ。私の世界はどうも硝子越しだ。
 壁に穴が開いた。至近距離ではないが確かに私の視界の中には超大型巨人がいた。悪夢だ。実際は目の覚める思いで、いっぱいいっぱいに見開いた目の乾燥にだって微塵も気をやることはできなかった。
 もしかすると、あの時硝子に亀裂が入ったのかもしれない。それは抽象的に、心象的に、精神的に……?
 事実は自分でも、よく、判らない。
 ただ切実にそこにあった事実は憲兵団に志願することができないままに駐屯兵団に志願するつもりだった私が何故か調査兵団所属を望む群の中に残ったという事実だった。横目に見たのは初日から憲兵団志願を口にしていたジャン・キルシュタインで、彼の親友であったマルコ・ボットを含む亡骸を燃やす炎の色とえげつない臭気がその夜の彼の決意の言葉と共に私の記憶として脳裏に掠めた。
 自己嫌悪を覚えないでもない。流されるように漠然と生きてきた私だが、死にたがりの自殺志願者ではないのだから、生存率の面で群を抜いて悪い調査兵団へと所属するなど悪い冗談なのだ。その、はずなのだ。
 時間の流れというものは留まることを知らず人生を急かすばかりだ。後悔する時間も自己嫌悪を覚える時間も無いとはいわないが最小限にしろと、とっとと切り上げろと言ってくる。窓硝子越しの景色、窓枠の隅の方に視線をやってから私は溜息を吐いた。調査兵団所属初日朝、暇に持て余す時間は無いのだ。困惑も衝撃も尾を引くが時間が無い。朝食を取れないとその後が辛い。まずはそう、着替えることから。
「服、着替えるから出てってよ」
 ――マルコ・ボット。振り返りながら言ったら僅かに透けた雀斑の頬が朱に染まった。窓硝子には亀裂が走っていた。死んだはずのマルコ・ボットは私の目の前にいる。
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