自分でもなんでこんな事をしているんだ・・・と思う事は多々あった。
町で花子の事を見かける度に、昼間なら目で追いかけ、仕事で帰りが遅くなってしまった様子を見かけると遠くの方からこっそりと見守っていた。花子は万人受けするタイプの人間じゃなかったらしく、襲われたりなんかは無かったが、それでもおれは無事に家に帰りつける事を願ったものだった。
彼女を表す言葉が知りたくてこっそり名前を調べては心の中で呼んでみた事もある。・・・
これじゃあまるでストーカーみたいじゃないか。

その日、花子はまだ日の高い時間から定食屋にいて、ぐだを巻いては酒を飲み続けていた。どうやら仕事をやめたらしかった。よっぽど嫌な事があったのか、自暴自棄になっている彼女からは目が離せなかった。少々遅い昼食をとるおれの斜め前で彼女はしくしくと泣き出した。おかみさんが「話くらい聞いてやるよ・・・どうしたっていうのさ」と優しく声をかける。

「いいの、話したって何にもならないんだもの・・・私が嫌だと思ったからやめて来ただけなのよ・・・」

だが彼女はまた一杯酒を煽ってテーブルにうつ伏せた。今は話しかけない方が良さそうだ。おかみさんは声をかけるのを諦めて、厨房に入って行った。しばらくしていい香りが辺りを包む。誰も何も頼んでいないが、恐らく彼女のためにお吸い物でも作っているのだろう。酒の飲みすぎで急性アルコール中毒にでもなったら大変だ。おかみさんの判断は正しい。「おかみさ〜ん!追加のおしゃけちょうらい〜!」段々呂律の回らなくなってきた花子を見て、まだここから動く事は無いだろうとおれは店を後にした。二日酔いの薬とそれに付随するものでも調達してきた方が良さそうだと考えて、薬局に向かう。
だがおれはそれを後悔する羽目になった。
少々遅くなってしまったな、と定食屋に戻り中に入ると、目的の人物は居らず、花子がいたテーブルには飲み食いした後が残っていた。・・・また派手にやったもんだ。

「あら?また来てくださったのね先生。どうぞ入って」

「いや・・・。あそこにいたお客はもう帰ったんですかい?」

「ええ。ついさっきですよ」

「そのお客にちょいと用がありましてね・・・。すみませんが」

それだけ言ってすぐに踵を返す。連れが来た形跡はないから、きっと一人で帰ったんだろう。飲んだ勢いは衰えては居なさそうだった。あの状態で帰ったかと思うと心配だ。
車を走らせるがどこに向かったか分からない。とりあえず花子の家の方面に向かって走る。・・・見付けた。車を端に寄せて停める。花子はふらふらと千鳥足で酷く危なっかしく歩いていた。やれやれだな。そう思いながら、買ってきたものを手に持って外に出た。今日はちゃんと申し出て家まで送ろう。大股で花子のところまで歩いていったが、50メートルほど先で花子はふらついて車道に飛び出した。前方から来ていたトラックのヘッドライトが彼女を照らす。危ない・・・!おれはすぐに走り出したが、とても間に合わない。キィィィィィ!という耳障りなブレーキ音が辺りに響き、まるでスローモーションにでもなったかのようにトラックと花子は衝突をした。

「花子ー!!!」

一歩届かなかった。跳ね飛ばされた彼女をキャッチする。トラックは花子に衝突した場所から10メートルほど進んだところで完全停止した。運転手が慌てて降りてきて、こちらに駆け寄ってくる。

「だ、大丈夫ですか!?」

「いや・・・。大丈夫だ」

花子を自分のコートで包んで隠す。あまり他人には見せたくなかった。

「一部始終を見ていた。あんたは何も心配しなくて大丈夫だ。私はこの人をすぐに運ばなければならないのでね、失礼するよ」

花子には一刻も早い手術が必要だった。運転手に構っている暇は無い。
おれは彼女を抱き上げて、自分の車まで走った。背後の運転手からは何の反応も無い。
事故直後だ。呆然としているのだろう。
そして車に乗り込み、急いで家まで帰る。手術室に運び込むと、早急に手術を開始した。



花子の回復は素晴らしいものだった。
リハビリを始めればすぐに感覚を取り戻したし、助けなど必要としないその気構えも素晴らしく、おれが惚れた女性はなんて素晴らしい人なんだと実感した。
前に一度花子はおれの事を好きになったと言ったことがあったが、あんなものはただの気の迷いでしかない。彼女は生まれたばかりの雛鳥のようにおれの事を慕っているだけなのだ。もし彼女の世話をしているのがおれではない別の誰かだったら、きっとその人に恋をしたのだろう。
そんな恋なら・・・、一時のものと分かりきった愛なんていらない。
告げられた日にきつく言ってやると、翌日から花子はそういった素振りを一切見せなくなった。リハビリを手伝ってやろうかとしたが必要ないと突っぱねられるし、食事を運んでやろうと思ったらもう既に作って食べ終わっていたなんて事もあった。(その時はおれの分の食事が用意してあって酷く感動した)
花子がおれのものになることはないとはじめから思っていたので、そこまでの痛手は感じていなかった。密やかに彼女のことを思っているだけで十分だ。


花子を家に連れ帰ってから、初めて彼女は家の外へ出た。玄関から出て「わあ・・・っ」と歓声を上げるその姿に頬が緩む。これでは本当に生まれたての赤んぼのようだ。花子はきょろきょろと辺りを見渡してはきらきらとした笑顔を振りまき、それから、ゆっくりよたよたと歩いて家の前に座り込んだ。摘み取った小さな花で花束を作っている。小さな花束を作り上げた彼女は次にはっと顔を上げて、崖の方を見た。ゆっくりそっちの方に歩いていき、どうやら海を眺めているらしかった。花子が見ている景色はどんなもんだか分からないが、おれの方から見える景色は一枚の絵画のように綺麗な光景だった。
夕日に照らされて輝く草原のコントラストと、風に揺れる彼女の髪やスカート。物悲しさやノスタルジー、優美さ、儚さ、強さと優しさ、全てを兼ね備えた美しいものだった。
目に焼き付けようとぼんやり眺めていると、花子が急に膝を折って地面に座り込んでしまったのでおれは慌てて外に飛び出した。

「どうした!」

花子がサッと顔を隠したのを見て、おれは溜息を付いた。そっと抱き寄せると、彼女はぽつりぽつりと呟いたが、おれは愕然とした。

「死にたくなかった。あなたのような人に出会って恋をして挫折してそれでも諦め切れなくて、必死になって人生を生きたかった。哀れみの献花もお別れの歌も、まだそんなものは欲しくなかった」

そして笑いが込み上げてきた。

「ハハハ・・・。そうか、そうか・・・・・・。何か可笑しいと思っていたんだ。そう言うこだったのか」

花子の赤い目を見ながら、続け様に言葉を紡ぐ。花子はぽかんと口をわずかに開きながら、おれの顔を見つめた。

「きみと微妙に会話が噛み合わないのが不自然で、なんでだと思っていたんだ。そうか、きみは自分が死んだと思っていたんだな?」

「・・・は?」

「花子。きみは死んでなんかない。なんせこの私が手術したんだからな。死なせはしないさ・・・。聞いたことないか?ブラック・ジャックという闇医者の話を!」

全てが繋がったのだった。彼女がいつもぼんやりしていた事も、妙に会話が噛み合わなかった事も、物事に対しての飲み込みが早かったのも、無駄な抵抗を一切したがらない事も、おれの名前を聞きたがっていた事も、全部全部繋がった。花子は自分が死んでいると思い込んでいた。
驚きで見開いた目が全て物語っている。花子も気が付いたようだ。自分が生きているという事に。自分が生きているという事に気が付くってよく考えてみれば結構なパワーワードである。

「あっ、じゃあもしかしてここは私の住む町!?」

はっと声を上げた花子に、おれはふっと笑って答えてやる。「ああそうだ。もう日常生活に支障は無さそうだし、お望みとあらば今からでも家に帰れるんだぜ」全ての話が繋がったとなったら、諦めていた家に帰りたくもなるだろう。
しかし花子は「無理ですクロオさん」と目を伏せた。「私は既に別の病を抱えていますから」眉を潜めるその表情はいやに悩ましげだった。おれを見上げて「治してもらうまで帰れません」と言ったその瞳はひどく澄んでいて、本心からの想いであると告げていた。目は口ほどにものを言うのだ。ああもう、負けたよ。きみって人は。

「・・・いいのかい、私は高いよ?」

それでも最後の抵抗として、条件を突きつける。にやっと挑戦的に笑った花子は「払います」と強くしっかりと言い切った。そうか。条件を飲むのなら、おれもきみの気持ちに答えよう。

「そうだな、それじゃあ治療費は前の手術代込みで、きみの人生を貰おうか」

そしておれの気持ちも伝えよう。
花子が目を閉じて口付けを強請る格好を見せたので、そっと口付けを落として、それから見つめあう。彼女のキラキラと輝く瞳を見つめて囁いた。

「おれはきみが思っているよりもずっと前からきみのこと好きだった。愛してる、花子」

目を細めた花子がうっとりと微笑んだ。



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