「ねえエリィ。ドクターって自分から抱きついてきたりするの?」
「なぁに?いきなり。変なクレアさん」
不味いけどよく効く薬を棚に並べながら、エリィは楽しそうに笑う。
質問の意図は比較材料が欲しいのが半分。もう半分はドクターへの好奇心だった。
それを察したのか、エリィは薬を並べるのを止め、私に向き合いにこりと笑う。
「ふふ。ドクターってそういう事しない人に見えるでしょ?」
「うん」
「でもね、2人の時は甘えてくるのよ」
「「キャー!!」」
「君たち。そう言うのは僕がいない時にしてくれないかな!?」
所謂女子トークで盛り上がっていた所に、診察室からドクターが珍しく困惑した顔をして話を中断させた。
そんなドクターを見て、にやけ顏になるのを私は止められなかった。今度詳しくどう甘えるのか聞いてやろう。
「そんなこと聞いてくるってことは、グレイ君は違うのね?」
「ご名答」
ドクターと違い、彼は見たまんまの照れ屋で奥手だった。
「ふふ、可愛いじゃない」とエリィは笑うが、私としては笑い事じゃない。笑える期間はとっくに過ぎているのだ。
「あ、でもね、成長したんだよ」
「まあ、グレイ君が?」
「そう。私から抱きついたりしたら振りほどかなくなったの。ちょっと間を置いてだけど抱きしめ返す余裕も出て来たみたいだし」
「それはかなりの進歩だな」
「でしょ?」
へぇ…と感心したドクターに私は得意げに笑って見せた。
結婚して半年。付き合った頃から換算すればもっと長い期間。人よりずっと長い期間をかけてはいるが、グレイは少しずつ成長している。
「いや……私も成長したかも」
ボヤいた私の言葉に、エリィは小首を傾げる。
前は距離が縮まらないのがもどかしくて仕方なかった。けれど、一生懸命頑張ろうとしてくれるグレイがもっと好きになって、人よりゆっくり進んでいく私たちの時間がいつしか心地よくなっていたのだ。
「クレアさん、幸せなのね」
「うん。幸せ」
私の答えに、エリィはクスクス笑う。
変な顔でもしていただろうか?不思議に思って問いただそうとした瞬間、エリィは後ろを指差した。
一体なんだというのだ。くるりと体を後ろへ向ければ、彼女の笑った原因が解明する。
途端ボッと火が付いたかのように染まる頬。しかし、そんな私以上に燃え上がる勢いで真っ赤の人物がそこに立っていたのだ。
「グレイ、いつからいたの?」
「い、今さっきそこを通りかかったら…その……、ドクターに手招きされたから」
ああ恥ずかしい。やってくれたなドクター。そんな思いを込めてドクターを睨み付けるが、彼は相変わらず涼しい顔を崩しはしない。さっきのお返しね、きっと。
「もう……ドクターったら。丁度いいわグレイ。もう帰るから一緒に行きましょう?あっ、エリィ。つかれとれーるとちからでーるセットでちょうだい。」
「ダメだ、クレアくん。君には処方できないよ」
まだ仕返しが足りないのか、ドクターは首を横に振ってエリィを制止した。
ちょっと……薬が売れないってそんな仕打ちをしていいの!?意外と根に持つ男だったのだろうか。びっくりして固まる私に、ドクターは心の叫びを読み取ったのか、咳払いを零し「言っとくけど意地悪とかじゃないからね」と釘を刺した。じゃあ一体なんだというのだ?
「仕事も暫く無茶はしないように」
「え?私そんなに悪いところあったの?」
「ええっ!?そんな……。もしかして俺が無理させたかな!?」
元気が取り柄の私に対して、ドクターからのこの宣告。グレイの顔は血の気が引いたかのように真っ青になり、私よりこっちの方が重病なんじゃないかと突っ込みたくなった。
軽い健康診断くらいの気持ちで今日来たんだけど私。何が引っかかったんだろうか?嫌な予感がグルグルと脳裏を駆け巡る。
「妊娠してるからだよ。安定期までは無茶しちゃいけない。他は相変わらず健康そのものだから安心してくれ」
「なーんだ」
「良かった……どこも悪くないんだね」
「……ん?」
「……え、ちょ、ドクター今なんて?」
「ん?健康そのものだから安心してくれ」
「いやいや、そこじゃなくて」
「妊娠してるからだよ?」
「「ええええええ!?」」
まさかの展開に開いた口が塞がらない私たち。
後ろでは「まぁ!」といち早く状況を呑み込んだエリィの声が聞こえるが、当の本人である私はまだ現実が受け止めれていない。
「クレアッ!!」
「……!!」
グレイの声で私の思考回路はストップする。
体に伝わる衝撃と温かなぬくもり。力強い腕の力を感じ、今何が起きているのか理解した。
「どうしよう、すげー嬉しい」
「うん、私も」
初めて彼から抱きしめて貰えた事とと、彼の子供を授かった事。どちらもすごく嬉しくてたまらなかった。そっとグレイの背中に手を回せば、我に返ったのか人前だという事を思い出したグレイが慌てだしたがもう知らない。離してやるもんかと、今度は私が力強く抱き締める番だった。
それからは一通り今後の仕事に対する姿勢だとか、定期検診の話だとか、夫婦2人で説明を受けた。私よりやけに真剣に聞いているグレイの横顔が印象的で、正直ドクターの話は半分くらいしか聞いてない。あとでグレイに聞きなおそう。
外に出れば、自然と繋がれる手に私は驚きが隠せなかった。
ついこの間まで手すら繋いでくれなかったくせに、この変わりようは何なのだ。「危ないからゆっくり歩こうか」そう言ってはにかむグレイに、夜でも無ければいつもの平坦な道なんだけどとつっこみたくなるが止めておいた。
「サイバラさんに報告して帰ろっか」
「だな。じいさんどんな顔するんだろう」
きっと貴方みたいな顔するわと、私は笑う。
にやけきった顔のまま「えー?どんな顔?」って聞いてくるものだから、ますます笑いが止まらない。
――グレイがパパかぁ。
結婚してもまだ付き合いたての彼氏の様に、うんん、それ以上に初心な彼が父親だなんて信じられない。
けど、きっと不器用で、でも優しいこの大きな手で、子供を守るいいパパになるんだろうなぁ。
繋がれた、ゴツゴツした職人の手。私はこの手が大好きだ。
「クレア」
「ん?」
ふと、足を止めたグレイ。
わたしもつられて足を止めれば、真剣な眼差しの彼と視線が交わる。
「俺……いい親父になるよう頑張るよ」
そこには何時もの恥ずかしがり屋な彼は居ない。
ふふ、こんな真剣な顔久しぶりに見たなぁ。
やっぱりグレイはカッコイイ。つい誰かに惚気たく成る程、私はまた彼に惚れ直したようだ。
「大丈夫よグレイなら。だって、私の素敵な旦那様だもん」
すると、たちまち真っ赤に染まる彼の顔。
すっかり何時ものグレイに戻ったけど、相変わらず胸のトキメキは治まらない。
「グレイと結婚してよかったなぁ」
出会ってから、付き合うまで。そして結婚してからも、どんどん『好き』という気持ちを溢れ出させてくれるグレイ。勿論これからだって。
私がおばあちゃんになっても『好き』という感情が止まらない自信がある。
こんな人は過去にも、そしてこれからもグレイ1人だけ。そんな彼と出会うことができて、一生を共に出来るなんて、私はなんて幸せなんだろうか。
「俺の方こそ。クレアと結婚できて……家族になれて良かった」
お互い顔を見合わせて微笑み合う。
この2人の幸せに、もう1人加わるんだ。
近い未来に想いを馳せ、私はグレイの手をぎゅっと握り返す。
どんな事があっても、彼とゆっくりこうして歩んで行こう。
――そう誓って。
ヘタレ旦那の成長記録、完結です。
ありがとうございました。
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