今日はよく冷える冬の日だった。
朝から降り止まない雪は、ゆっくりと地面に舞い降りては真っ白な層を厚くする。
そんな窓から見える景色が綺麗で、気が付くと僕はコートを手にして部屋から飛び出していた。
予想以上に、外は寒かった。
ぴりぴりとした感覚が指先に走り、僕はハァと息を吹きかける。当然のように白く染まった息は、夜の闇にじわりと溶けていった。
「クリフ!?」
僕を呼ぶ声にビクリと肩が震える。振り向けば、何故か慌てた様子のクレアさんが立っていた。そんな彼女に驚くけど、直ぐさま笑みが浮かぶのは彼女が愛しい人だから。
小走りで距離を縮めれば、クレアさんの顔の表情が和らいだ気がした。
「クレアさん今帰り?」
躊躇いがちにコクンと頷くクレアさん。じゃあ散歩がてら送るよ、と告げれば、クレアさんはまた首を縦に振り僕の隣に並んだ。
僕等はゆっくり、足跡を付けながら広場へと進む。
ピンク色したマフラーに顔の半分くらいを埋めたクレアさんの頬は、寒いのかマフラーと同じくらいピンク色に染まっていた。それを見て僕と一緒にいるから赤くなってくれてるなら嬉しいのに、と切なる思いを抱く僕。正直、こんな事思う自分に寒気すら覚えたが、残念ながら本心のようで、ちょっと寂しそうに自分の眉が下がるのを感じた。
そんな事を考えてる中、ふと潮の匂いを感じて僕は足を止める。
視線の先には薄暗い海。ボー、と独特の汽笛の音を出して一つの明かりが動いていた。
あの船はどこへ行くのだろうか。ずっと、ずっと遠くに行くのだろうか。
僕の故郷にも、行くのだろうか……
「……!」
懐かしい景色に想いを馳せていた僕を急に現実へと戻した温もり。
それは、しっかりと僕の指を握る細くて白い手から与えられたもの。
驚いて隣を見れば、相変わらず頬が赤いクレアさんは、僕の見ていた所を見つめていた。それも物凄い剣幕で。
かと思えば、彼女はすぐ釣り上がっていた眉を下げ、大きな瞳を泳がせては伏せた。でも、僕の手は離さない。
「……寒い?」
彼女はフルフルと首を横に振って、否定の意を示す。
ほんとは僕だってクレアさんが寒いだけじゃない事は分かっていたんだ。けど余りにも彼女の行動に驚いて動揺してるんだ。ただ、いつも元気で明るくて皆の中心にいるクレアさんが、とても、弱くて小さく、見えた。
僕はもう一度海を眺めた。
先程の船の光は、小さく、小さく揺れていた。
「あっ、」
つい漏らした声に、僕は慌てて口篭る。
寒い、寒い冬の日。
今日のように朝から降り止まない雪の日。
去年僕は一度故郷へ帰ろうとした。今日のように海を見ていたらいたたまれなくなって、気付いたら歩きだしていたのだ。
それを偶然通り掛かったクレアさんに、止められたんだ。泣き出しそうな顔をして、僕の腕を掴んで……
――ちょうど、今と同じように
あの時のようにクレアさんは泣き出しそうな顔をしている。俯き加減の瞳を、ゆらゆらと小刻みに泳がせて。
そしてクレアさんはゆっくり、まるでスローモーションがかかったかのように僕の手を、離した。
すぐに寒い空気が、僕の手からクレアさんの体温を奪う。ひんやりと、まるで何も無かったかのように消し去っていく。
「……っ!」
慌てて伸ばした手。温もりを求めるように、確認するように、僕は必死で彼女の手を掴んだ。
じわりと戻った体温に、不思議と心が落ち着く。僕の顔を驚いたように目を見開いて見つめるクレアさんに、不思議と笑みが零れる。
「僕、何処へも行かないよ」
そう言えば、クレアさんの目は更に大きく見開いた。
何故、と訪ねたそうな顔をしているクレアさんに答える代わりに、ギュッと強く彼女の手を握り、僕は更に続ける。
「こうやって、クレアさんが繋ぎ止めてくれるから、ここに居たいって思えるんだ」
今は僕が繋ぎ止めてるんだけどね、と苦笑いを零せば、クレアさんは再び目を伏せた。
そして、躊躇いがちに小さく口を開く。
「でもね、クリフには家族がいる。クリフはほんとはっ……、」
そこまで言ってクレアさんは口篭った。辛そうに顔を歪ませて、唇を噛み締めて。
でも、これで全て分かった。
彼女が僕を引き止めてくれたのが本心だという事も、僕の手を離したのが僕を思ってだという事も……
「……クレア、さん」
呼べば、ゆっくりと顔を上げるクレアさん。
まるで吸い込まれるような綺麗な瞳に、僕は言葉を詰まらせてしまう。
――格好、悪い……
気持ち一つ言うのに、彼女の瞳すら見れないなんて。こんなにも、情けないなんて。
「このまま、聞いて、くれるかな?」
咄嗟に動いた僕の腕は、彼女を引き寄せすっぽりと覆ってしまった。
繋いだままの手に、つい力が篭る。
頬が、熱くなる。
「……確かに、僕は帰った方がいいかもしれない」
それを聞いたクレアさんは、僕の胸で躊躇いがちに小さく首を縦に振った。そして、微かに震えていた。
僕は更にクレアさんを引き寄せる。小さなクレアさんをしっかりと包んで、そして言葉を紡ぐ。
「でも、それでも僕はここに帰ってきたいと思うんだ。……クレアさんの所に帰りたいって、思うんだ」
きっとすぐ、逢いたくなるから。だから、と続ければクレアさんは静かに顔を上げた。
「……」
再び、僕は言葉を詰まらせた。吸い込まれそうな感覚に、息を呑む。
そして何よりも……
「私も、逢いたくなる」
……君が今日初めての笑顔を見せてくれたから。
そんな不意打ちをされた僕は、案の定全身が熱くなる。安易に想像できる自分の姿。とてもじゃないけど、カッコイイとは……いえない。
「ゴメン、クレアさん」
クレアさんの顔を僕の胸に引き寄せて、僕は少しほっとする。
なんとか自分をクレアさんに見られる心配が無くなった事へと、クレアさんが側にいる事への安心感に。
「今僕凄く情けない顔してるから、もう少し、このままでいい?」
半分ほんと。半分は、うそ。
半分はただ、もっと君の温もりを感じたかっただけなんだ。
そんな僕のエゴに、クレアさんは僕腕の中で頷いて、身を委ねてくれる。
――僕は、ここに居ていいんだ
僕を受け入れてくれる人がいる。僕がここに居たい理由がある。
その幸福感に、この温もりに、僕はそっと笑みを浮かべた。
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