アルコールをたっぷりと吸収して熱を帯びた俺の体を冷ますには、ほんの少し涼んだ夜風はちょうどよかった。
ポケットに手を突っ込み、自宅へと向かう足取りは妙にふわふわとしている気がする。
そう思っていたら、ゴーンと鈍い音が頭の中に響いて、直ぐさま鋭い痛みが俺の頭を襲った。
屈み込んだ俺は何も言わず頭を抑え、目に涙が滲むのを感じた。
隣には図体のでかい木が俺を見下ろしている。こいつに俺の頭はやられたのだと理解するのに少し時間がかかったのは、想像以上にアルコールが回っている証拠だろう。
「あ〜いてぇ」
近所迷惑にならないように、小さく言ってみる。今だにジンジンきてるぞ、コレ。
なんでこんなとこで頭打たにゃならんのだと何かにつけて文句が浮かんで来ては消えていく。
今頃あいつらはベッドでいびきかいてんだろうなと、先程まで共に飲んでいた野郎共の事を思い出さずにはいられなかった。
「クレア、かわいいよな〜」
「はあ?」
時は数時間前に遡る。
先程まで親父の愚痴やらリックの愚痴やらデュークの事やらグチグチグチグチ言っていたかと思えば、急にだらし無い顔でカイはぼやきだした。
ほんっっっっと可愛い。やばい。だのなんだのと妙に力説してるけど、一緒に住んでる俺からしてみれば、こいつの気張りようがよくわからない。
「何言ってんだよ。お前は女はみんな可愛いんだろ?」
「確かに、女の子はみんな可愛いさ。でもな!クレアは別格だ」
「大体、ピートはクレアさんとずっと一緒だから気付かないんだよ」
「意味わかんね。何にだよ」
「お前ほんとに何も思わないの?クレアさんめちゃくちゃ可愛いのに」
タラシのカイだけかと思えば、俺の発言にクリフとグレイまでもが噛み付いてきた。
みんなしてお前はバカだのおかしいだの好き勝手言いだしやがって。
明かに嫉妬全開な男共に囲まれてどんどん俺の肩身は狭まっていく。
「じゃあさ、どんなとこがいいのかあげていって俺を納得させてみろよ」
ジョッキをドンッとテーブルに叩きつけて、目の前の奴らを睨みつける。
そうすれば、こいつらも同じくジョッキを叩きつけやがった。
……3人同時にされたもんだから、少したじろいだじゃないか。畜生。
「クレアさんは天使だ!最初みた時からもう何か違ってたし。俺にも優しいし、何よりじゃがいもを持ってる姿なんかたまんないよなぁ〜」
「はあ?」
「じゃがいも?」
「バカじゃないの?」
俺達の鋭いツッコミにグレイはみて取れる程ガックリとうなだれた。
なんだ、じゃがいもって。理解不能もいいところだぞ。
「クレアさんが愛情込めて作ったんだなぁと思うと、また旨さ倍増なんだよな!」
「言っとくが俺の愛情もたんまり入ってるからな」
「……お前、余計なこと言うなよ……」
ハア…と溜息をついたグレイを見て、してやったりと自然にニヤリと口が動く。牧場の物に対する愛情はクレアに負ける気がしないからな。
そう思いながらジョッキに口づける。
ああ、酒が美味い。
「クレアさんは僕の恩人だからね。彼女がいなかったら、僕今ここにいなかったよ」
「ああ、クレアに果樹園誘われたのがきっかけだったっけ?」
「おい。あの時俺もいたんだけど」
「あれ?そうだったかな?クレアさんしか視界に入っていなかったみたいだね」
ごめんね。とクリフはニコリと微笑んだ。
背筋に寒気が走る。クリフの地味に見えるこの攻撃が一番効くんだよな。笑顔の裏の感情なんて知りたくもない。
「あ、次俺な!」
一番上機嫌なカイは自ら名乗り出た。手を上げてヘラヘラと笑ってる。
大体こいつの言いそうな事はわかるから、正直聞かなくていいんだけど。
「まず、顔だろ」
やっぱりな。
次はスタイルがいいだとかいい匂いがするだとか、くだらないことをつらつらと上げていく。
「で、極めつけに、」
「はいはい。もうお前の主張は分かった」
「あ、おい!なんだよ!」
これ以上聞きたくなかった。なんか胸がムカつく。
ぐいっとカイの口に無理矢理、ジョッキを押し付けて、俺はカイの話を中断した。
それを見てか、クリフはニヤリと笑みを浮かべた。こいつは飲むと性格に拍車がかかるからな。厄介だ。
「さ、じゃあ次はピートが上げてみなよ」
ほら来たぞ。
クリフの言葉に頬の筋肉が痙攣する。
「だから、俺は別に……」
「どうだかなぁ」
ああ、こうなったら質が悪い。
もうこちらが折れるしかない状況に陥って、俺は渋々観念した。
妙に乾く喉に酒を流し込んで、潤いを持たせる。さっきまで確かに美味しかったはずなのに、なぜか味を感じることができなくなっていた。
「強いて上げるなら、仕事に一生懸命なのと、あと、」
「あと?」
「……笑顔」
口から出た言葉に、自分で言っておきながら耳を疑った。
何故か浮かんだのがクレアの笑顔で、それで。
しまったと思ったがもう遅い。カイとクリフがニヤニヤしている。
「で、でもな、あいつパンツは自分で洗えとか、ちょっと買い忘れたぐらいで怒るし、結構口煩いし、」
「見苦しいね」
「ああ。素直じゃなくて可愛くないな」
ああ!ムカつく!どんどん墓穴を掘っていることにも気付かず、必死に言い訳を述べる。
それを見て二人は更ににやけた。(グレイは分かっていないようで、キョロキョロしている)
「まあ、そっちがそうなら僕らには好都合だけどね」
「そうだな。ピート、うかうかしてたら取ってくからな」
「来年の女神祭は僕がエスコートしようかな」
「え!?お、俺が……」
「なんだよ、抜け駆けするなら俺もその日だけ帰ってこようかな……」
ガン、と頭を殴られたような、そんな気がした。
クレアの隣に、誰かが。
あいつだって女だし、いずれそんな日が来るのは当然だ。
当然のはずなのに、どうして今まで考えた事がなかったんだろう。
どうして、あいつらに「勝手にエスコートでもなんでもしてろ」って言えなかったんだろう。
どうして、どうして……
「あっ、おかえり。ピート」
「……え?」
気がついたら、目の前にはクレアがいた。
いつの間にか家に帰ってきたみたいで、きょとんとしていたら、「酒くさい」とクレアは眉を潜めて不快な顔をしていた。
時刻はもうすぐ1時半。
こんな時間まで起きていたのかと、酒くさいと言われた事も忘れ、俺はクレアに近付く。
すると、グラリと一瞬、視界が動いた。
「もう、どんだけ飲んだのよ」
「わかんない……」
「ほら、捕まって」
その場に跪いた俺に、クレアは手を差し延べた。悪いなと思いながら俺はその白い手に手を伸ばす。
重なった手は俺より、冷たい。
「水、持ってこようか」
「いい。いらない」
ブンブンと首を横に振る俺にクレアは呆れた顔をしていた。
いや、困っていたのかもしれない。
しっかりと手を握られては、身動きが取れないのだから。
「待っててくれたの?」
「どうせふらふらで帰ってくるか、上機嫌で玄関先で寝るかのどっちかだと思ったからね」
「……」
どうやら以前の失態のお陰でここまで起きてくれてたらしい。
なんで少しがっかりしてるんだ、俺。
ムスッとしているのが自分でもよくわかる。
それはがっかりしたからだろうか。それとも、こうして手を握ってても、いつも通りの彼女に対してだろうか。
なにかモヤモヤした感情がうごめき始める中、そんな事わかるはずのないクレアが欠伸を一つ零した。
「ごめんな。起きてもらっててさ」
ぽつりと俺は小さく零す。
するとクレアは一瞬目を丸くして、すぐさま柔らかい笑顔を見せた。
「明日も頑張ろうね」
ニッと笑った彼女の笑顔。
ああ、さっき浮かんだ顔はこれかと確信する。
これが、俺が一番好きな……
そこからは勝手に体が動いていた。
すっと彼女の頬に手を添え、握っている手に力を込めて。
そして唇を重ねた。
想像してたより柔らかくて、心が一瞬晴れた気がして、自然と笑みが零れる。
「おやすみ、クレア」
そう言って、何事もなかったかのように俺は寝室へと向かった。
再び浮かんだあの笑顔に、今は罪悪感のみしか感じられない。
もう、彼女は俺にあの笑顔を見せてはくれないかもしれない。もう、一緒にはいられないかもしれない。
ああ、明日どうしようか。
酔った勢いでキス魔になる最低男でも演じたらいつも通りでいられるのだろうか。それとも、記憶をなくした振りをすれば。あるいは−−
思いの外、気付いた恋心は実に厄介で、重い重荷となって俺を襲っているようだ。
「恨むぞ。あいつら」
親友であり戦友になるであろう友に小声で文句を呟きながら、ドアの向こうで固まってるであろう彼女に想いを馳せ、俺は歯を噛み締めた。
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