「あ、クレア。何?サボり?」
「…サボりじゃないわよ。失礼ね。私は仕事終わらせてきたの」
そんなピートはどうなのよ、とクレアは読んでいた本から目だけを覗かせ、口笛を吹いて目を逸らす我が相棒へと目を向けた。
どんどん鋭くなっていくクレアの視線に耐え切れなくなったピートは、気まぐれで図書館に寄らなきゃよかったと後悔する。
「お、俺もだいたい終わったよ!」
「ふーん。大体、ね」
「だから一息つこーかなぁなんて」
あははと渇いた笑いでその場をなんとかごまかそうてするピート。
しかし、ピートの努力虚しく、その場は予想通り凍り付いた。
「ピートくん、来てくれたのね」
「や、やあ!マリー」
本をパタンと閉じ、何か言いたげな顔でギロリと睨みつけるクレアをどうしようかと思った矢先だった。
2階で本の整理でもしていたのだろうか。ひょっこりと顔を出して声をかけてくれたのは、マリーだった。
これぞ神の御慈悲とでも言わんばかりにピートは助かったという顔を見せる。高々とあげた手を2階の彼女へ向けぶんぶんと横に振っていた。
すっかり文句を言うタイミングを失ったクレアは、眉間にこれでもかといわんばかり皺を縦に刻み、再び本を開いて読みはじめる。
ひしひしと彼女の様子が背中越しに伝わってきて、ピートは笑顔を凍り付かせた。
「やっぱり来てくれたんだ!ありがとう」
手に数冊の本を抱えて下りてきたマリーは、笑顔でそう言った。
つい先日雑貨屋でばったり会った時に、図書館への人の入りが悪いため、是非来てほしいと頼まれたピート。今日たまたま寄ろうと思ったのは確かだが、律儀に約束を果すためだったようだ。
じゃなきゃピートが図書館に来るなんて有り得ないと思い、クレアは妙に納得した。
「今日はどんな本を読みに来たの?」
「ん?あ、えと…そうだな…」
ピートの目的はただ図書館に寄ることのみ。勿論、読みたい本などない。顎に手をあて考えるそぶりをみせるが、やはり読みたい本などないようだ。
そういえば、以前バジルさんに自作の本を強く奨められた気がする。
もうそれでいいやと、ピートはマリーにバジルの本を指定した。
「ピートくんにはこれがいいかな」
「ありがとう」
やはり彼女は本が好きなのだろう。自分に有った本を直ぐさま手渡した彼女の瞳は輝いていた。
本なんて読むのはいつぶりだろうかとピートは記憶をたどる。そういえば家に以前の牧場主が残した本を読んだのが一番最近かもしれない。それでももうかなり昔の話だ。
ふとクレアに視線を向けると、マリーと何か話し込んでいた。そういえばなんでクレアはここにいるんだ?と今更ながらの疑問を抱いたピートは、二人の元へ歩み寄る。
「2階にも少しあったみたい」
「ありがとう。マリー。助かる!」
マリーは先程2階から持ってきた本をクレアに差し出した。
ちらりと表紙を覗き込むと、ケーキの写真が載っている。どうやらお菓子作りの本らしい。
「クレアケーキでもつくるの?」
「え?あ、うん」
「そういえばクレアがお菓子類作ってるのは感謝祭くらいしか見ないよな」
「私甘いもの嫌いじゃないんだけど、作ってると甘ったるくて気分悪くなるからだめなの」
「甘いもん美味いのにな。あーだからか!クレアのケーキ俺もう少し甘くてもいいと思うんだよ!」
初めて聞いた感想に、クレアはやっぱりそうかと肩を落とした。
甘い匂いがなるべくしないようにと、無意識に砂糖を減らしていたのかもしれない。
「ん?でも苦手ならなんで…」
「それは、」
「あ、もしかしてユウにねだられたりした?あいつクレア大好きだもんなー。それにいつもカーターさんから貰ってるくせに。俺なんかお前の姉ちゃんにだなあ……」
そう言ってピートはがたがたと震え出した。
悍ましい記憶でも蘇ったのだろう。だったら口に出さなければいいのにとクレアは思った。
青ざめたピートを見兼ねたクレアは、静かにため息をつく。
勝手に言い出して勝手に自分の世界に入るなんてと呆れたが、これ以上このままにしておく訳にはいかない。
少し恥ずかしそうに俯いたクレアは、意を決して控えめに口を開いたのだった。
「この間……ピート、ランのケーキ美味しいって」
「……ん?ケーキ……?」
クレアの言葉に、エリィの実験台事件の思い出は片隅に消えたのだろうか。
疑問符を浮かべ、ピートはふと考え出した。
先日、ランに卵のお礼だとケーキを貰った事がある。
クレアと食べてね、と告げた彼女の意志虚しく、そのケーキはあまりの美味しさに手が止まらなくなったピートの胃袋へと全て納められたのだ。
後にばれて怒られたのは記憶に新しい。
まだそれを根に持っていたのか、とピートはつい苦笑いを浮かべた。
しかし、まてよとピートは思う。
彼女は先程こう言ったのだ。
「作ってると甘ったるくて気分悪くなるからだめ」だと。
それならば何故彼女はケーキを作ろうとしてるのだろうか。
ケーキが食べたいだけならランに頼みに行けばいいのに。
「食べたいなら無理に作る必要ないだろ。元は俺が悪いんだし。俺、ランに頼みに行くよ!」
思い立ったらすぐ行動!そう言わんばかりにピートはくるりとクレアに背を向けた。
しかしいざ歩こうとすると、ぐいっと右腕が引かれて一歩も踏み出せない。
ちらりと後ろを見れば、頬を赤くして口をへの字に曲げたクレアが、がっしりとピートの腕を掴んでいた。
「い、い、行かなくて、いいから!」
「え?でもケーキ食べたいんだって」
「私、一言も言ってない!」
そう言われてみればとピートは自分の記憶の中の彼女の言葉を辿った。
やはり食べたいなどとは一言も言ってない。
だが、そうなると彼女がなぜ苦手なケーキ作りをしようと思ったのか、その疑問だけが残る。
「食べたいんじゃないなら、なんで作るの?」
「だからそれは、ピートがランのケーキ美味しいって……!」
「うん?」
小首を傾げ、ピートは彼女の意図が読み取れない様子だ。
クレアは、「だから!」とじれったそうに言うが、先の言葉を中々言い出せない。
出来ればここまで言ったのだから自分で気付いてほしい。それがクレアの本音だ。
しかしピートは気付くそぶりすら見せない。クレアは顔に血が集まるのを感じた。
「ピートにケーキ作ろうと思ったの!」
「……ん?」
「ランのケーキ、一人で全部食べちゃうくらいだから……それなら私も作ってあげようかなって……。あーもう!全部内緒でしようと思ってたのにさ!全部言わせちゃうんだから!ピートの馬鹿!!」
恥ずかしい!と顔を仰ぎながら、クレアはピートから目を逸らす。
対するピートはキョトンとして、状況を必死に把握しているようだった。
そしてピートは急激に顔を赤くして、口を手で覆う。状況をようやく把握したようだ。目を泳がせながらも、クレアを捕らえようと努めている。
「あー……その。俺の……ため?」
「……言わないで」
「うん。何て言うか……」
込み上げて来る感情に、ピートは言葉を詰まらせた。
お互い顔を赤くして押し黙る光景はなんと滑稽なものだろうか。
この沈黙に耐え切れ無くなったピートは、咄嗟に彼女の手をとり受付へと足を運んだ。
引かれたクレアも、目の前に本を積まれたマリーも、目を丸くしている。
「この本と、あー、あとバジルさんの本と。借りてくから」
「え、ええ」
積まれた本の処理をして、マリーはピートに渡す。
受けとったピートは、その場で数冊パラパラとページをめくり目を通す。
そして一冊だけ手に取り、残りは鞄にしまった。
「じゃ、マリー。また来るよ」
「うん。クレアさんもよろしくね」
「あ、今日ありがとね!ってピートどこいくの?」
マリーに礼もままならないまま、ぐいぐいと引かれる腕に、クレアは慌てた。
牧場に帰るのかと思ったら全く逆方向に向かっている。さっきからクレアはピートの行動が理解できない。
「ちょうどよかったなあって」
「何が!?」
「俺も買い出し終わってないし、クレアもこれ、作る材料買わなきゃだろ?」
そう言って開いた本のページには、一枚のケーキの写真。さっきこれを選んでたのかとクレアはようやく納得した。
「クレア」
「うん?」
「嬉しい」
ぽつりと呟いたピートの耳は真っ赤だった。
何だ、可愛いとこあるじゃないかとクレアからは笑みが零れる。
同じ事をピートが思っていたとはつゆしらず。クレアは、嬉しそうにケーキを食べるピートを思い浮かべた。
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