「なんだい、そのもの言いたげな顔は」
「いえ。ただどうしてこうなったのかなあと」
ポンとコルクの抜ける音を耳にしながら、クレアは隣に座っている男をじっと見た。
白衣も、額帯鏡もなく、いつも白衣の下にかっちりと着こなしているワイシャツも、今日は上からボタンを数個あけていて肌が覗いている。
海開きの時も思ったが肌白いなあとかどうでもいいことを考えだして、クレアは頭を横に振った。今はどうしてこの状況に陥ったかが重要なのだ。
「どうしてって。君が言い出したんじゃないか」
「は?私?」
「僕に酒を飲めるのか聞いてきたのは君じゃなかったかな?」
そういって、ドクターはクレアに持たせたグラスにワインを注ぐ。ゆっくりと注がれていくワインを眺めながら、そういえば少し前に聞いた気がするなとクレアはぼんやりと思い出していた。
ただ疑問に思っただけだった。夜は酒場となる宿屋で彼女はリック、クリフ、グレイ、カイとは飲んだことがあったのだが、ドクターだけは宿屋で見かけた事すらない。医者だから健康に気を使っているのだろうか、とか色々考えてみたものの疑問は膨らんでいくばかりで。
ついに先日尋ねたときには、「どうしてそう思うんだい?」と言われ、ただ疑問に思った事を伝えれば「そうか」とそのまま流されたはずだ。
それで今日は急に呼び出され今の状況。やはりわからない。
「うーん…やっぱりわからないんですけど」
「クレア君の疑問に答えてあげようと思っただけだよ」
「飲めるか飲めないかの疑問にですか」
「そうだ」
そうならばただ飲めると言えばいいだけなのに。
やはりドクターが何考えてるのかクレアには理解ができなかった。
「じゃあ、なんでわざわざ私を呼んでまで…」
「君は僕以外の人とは飲んだんだろ?」
「ええ、そうですけど」
「だからだよ」
「……?」
「僕だけ君と飲んでないのは不公平だ」
一瞬聞き間違いかと思ったが、その言葉はしっかりとクレアの耳に入っていた。
無表情でさらりとこういう事言ってしまうものだからすごいなと感心してしまう。
ドクターにしては変な理屈だったが、何故か嫌な気はしない。
掲げられたグラス。
それにクレアも同じように掲げると、もうそれ以上追求せずにグラスを近づけた。
「かんぱーい!」
「乾杯」
グラスのぶつかり合う音が心地良い。
早速グラスに口づけ、ワインを飲む。ちらりと横目でドクターを確認すれば、ワインの香りを楽しんでいるようだった。あまりにも似合いすぎていて、つい笑みが零れる。
それから、数時間ぐらいだろうか。
過ごした本人達は一瞬のように感じるが、時間が着実に過ぎているのをテーブルの上のいくつかの空き瓶が証明していた。
「あー!もうギブ!」
頬を赤くして、クレアはグラスをテーブルに置いた。相手は医者だし、彼がどれくらい飲めるのか確認するため、決して無茶な飲み方はしてないし、ペースも遅かったはずだ。
その結果がこれだ。
彼はほんの少しだけ。うっすら頬をそめただけで、まだ平気そうな顔をして飲み続けている。
強いか弱いかのどちらかだとは思っていたが、正直、ここまでとは思わなかった。
悔しそうな顔をしたクレアは恨めしそうにドクターを睨んだ。勿論、ドクターは視線を向けただけで飲み続けてるのだが。
「女性がするような顔じゃないね」
「いいですよ、別に。私かわいくないですから」
「可愛くないとは誰も言ってないよ」
「無理に言ってくれなくても結構ですよ」
さも面白くなさそうにクレアは吐き捨てた。
可愛いだとか、可愛くないだとかの前に何にも変化のないこの男が面白くないのだ。それなのに自分はもう限界だ。何故か悔しくてたまらない。
もしかしたら彼は酒が入ったら、どんなふうになるのか知りたかったのかもしれない。
気付かないうちにまたもや何か疑問ができていたのかとクレアは自分に呆れた。
そもそも、謎が多過ぎるのだ。おまけに普段何考えているのか読み取れない。
この男はクレアの大きすぎる好奇心を掻き立てるには十分だった。
何もかもが気になってしょうがない。
「ドクターは何にも変わらないのね」
「……人格が代わるのでも期待してたのかい?」
「……そうかも」
「……」
ドサリと倒れ込むようにクレアはドクターの膝に頭を乗せた。
当然、何事かとドクターは唖然として彼女を見つめる。
妙に垂れた目は、彼女の限界を語っていた。それでもなお、クレアは話を続ける。
「ドクターのこともっと知りたいの」
「……僕を?」
「うん。私全然ドクターの事わからないから。だからお酒入ったら素直になるかなあってどっかで期待してたみたい」
そう言って、クレアは目を細めた。ふっと笑ったクレアの表情が、妙にドクターの脳裏に焼き付けられる。
「あ、でも今日はいくつかドクターのこと分かったわ!」
「……それは?」
「ドクターはお酒が強い。そしてお酒が好きだわ。あと」
「……あと?」
「負けず嫌い」
「負けず嫌い?」
「だって他の皆と飲んだのにって。ドクターは負けず嫌いだわ」
それとも仲間外れが嫌とか?あーやっぱりまた解らないことが増えた、とクレアは頭を悩ませた。
そうかと思えば、今度は急に黙り込む。不思議に思ったドクターは彼女の顔を覗き込んだ。
「……寝てる」
静かな寝息が聞こえて来る。自分と違って正直な人だとドクターはつくづく思い知らされた。
「負けず嫌いか…」
あながち間違いではないなと思う。
確かに、嫉妬がそこにはあったのだ。
「クレア君の前では、大分正直に生きているように思えるんだが…」
だから理由をこじつけて二人きりで今日は飲んだ。あまり他人を自宅に呼び込んだことなんてないし、随分心は開いていると思う。
それでもなお知りたいと自分に興味を持っているクレア。しかし悪い気がするどころか、興味をもたれたことが嬉しい。
「まだまだ分析不足だな。クレア君」
彼女の頬に手を添え、ドクターは微笑んだ。
このままずっと興味をもち近づき続けてくれたら、自分の気持ちにいつか気づくのだろうか。
それとも先に自分からさらけ出すのだろうか。
いずれにせよ、そう遠くない未来の事に思いを馳せ、ドクターはそっと暖かい頬を撫でた。
それにしても、相変わらずクレアはドクターの膝の上で気持ち良さそうに眠っている。
そんな彼女をみて、困ったようにドクターは眉を下げた。
「やっぱり僕が我慢出来ないかもな…」
さて、この状況をどうしたものか。
ドクターの盛大な溜息が静まり返った部屋に響き渡った。
[
TOP]