夏と言えば青い空に青い海。そしてギラギラと焼き付ける太陽がシンボルだろう。
しかし今日は違った。
空はどんよりと雲が覆い尽くして、自慢の太陽はすっかりと出番を失っている。そしてまるで地面に叩き付けるかのような激しい大粒の雨。波も荒れ始めて、いよいよ夏のシンボルは影を薄くしはじめたのだ。
「あーあ。今日はもう営業は無理だな」
ぼんやりと外を眺め、真っ黒に焼けた海の家の経営者はぽつりとぼやいた。
出るのはため息ばかり。
もう、夏は終わると言うのに。
この町じゃこの季節の激しい雨はとても珍しい。
この天気じゃ普段から客足が少ないこの店が店を開いたところで無駄という訳だ。しかし、店を閉めたところで行く場所といえばいつもお世話になっている宿屋しかないわけで。
幸い海からあまり距離はないものの、先程も述べた通り、この時期の雨は珍しいのだ。当然傘など持っている訳がない。このまま宿に帰っても、必然的にこの激しい大粒の雨に自身が叩き付けられなくてはならないのだ。
誰が好き好んで傘もささず外にでるだろう。
勿論、カイも例外ではなかった。
仕方がないので、少しでも雨が弱まるのをここで一人待つことに決める。
じっと過ごすのは慣れている。けど雨音が耳障りで多少カイの心に乱れが生じる。
カイは不愉快そうに窓をたたき付ける雨を一人睨みつけていた。
「カイ、いる?」
雨音に混じり、聞き慣れた女性の声がカイの耳に届く。
とっさに声のする方へと向かい、そっと店の戸を開ければ案の定そこにはクレアの姿があった。
カイは息を呑んだ。
傘をさしてきてはいるものの、この雨だ。クレアは大分濡れていた。
その姿がとても色っぽく感じるのだ。白い頬に張り付いた金色の髪さえもその雰囲気を掻き出している。
このままだと更に濡れる。まだ弱まらない雨を見て、カイはクレアを招き入れた。
とりあえず座らせて奥にあるタオルを取りに行く。
体冷えてるだろうから温かいもん出さないとな。そんな事を考えながら、カイはタオルを握りしめクレアの元へと急いだ。
「なにしにきたんだー?クレア!」
タオルを頭から被せ、わしゃわしゃと彼女の髪を乱す。
咄嗟の事に軽く悲鳴を上げながら、クレアはされるがままとなっていた。
ある程度髪の水分をとったら今度はそのまま肌に纏わり付いている水分を拭おうと手を伸ばす。しかしそれはクレアの腕に捕まれ、叶うことはなかったのだが。
カイは残念そうに肩を落として見せた。
それを見て「もう!」と口を尖らせて恥ずかしがるクレアは可愛く映ってしょうがない。
そんな反応するからからかいたくなるのに。カイは胸の内でぼやいた。
「で?何しに来たの?」
こんな雨の中出歩くなんてさ、と続けカイは調理場へと足を運んだ。
うーん。と曖昧に唸りながら、クレアは濡れた体を拭きあげる。
「雨だから、暇になったの」
「まぁそうだな。俺も暇を十分持て余していた訳だし」
「そうだろうなって、思ってさ」
クレアははにかみそう言った。
話を聞いても全く意味がわからない。つまりは暇だから暇してそうな自分のとこに来たのだろうか。もっとロマン染みた事を期待してた己が恥ずかしい。
そうこうしているうちに温まった二つのカップを持って、クレアの向かいに座る。湯気の出ているそれを「ありがとう」と受け取り、クレアはそっと口づけた。
「雨酷いな…」
カイはぽつりと呟いた。
いっこうにやむ気配のないそれだが、何故か先程のように心の乱れは感じない。
「私、雨はすき」
「へぇ、珍しいな」
「雨は恵みの雨よ。それに水やりの手間が省けるの」
「なんだよ。真意はそこなんじゃないか」
ぷっ、と同時に吹き出して、二人は声を上げて笑い合う。
小さな海の家に二人の笑い声と雨音が混じり合って響いていた。
「なんだか不思議ね」
「ん?何が?」
「まさか海の家でしかもカイと温かい飲み物を飲むなんて思っても見なかった」
言われて見れば不思議だ。海の家と言えば夏の象徴であってかき氷だとか、涼しいメニューが比較的人気で。
そんな中メニューにないホットミルクとホットコーヒーを二人して飲んでるだなんてかなり異様な光景だろう。
もし、もしもだ。冬をクレアと過ごしたら、毎日がこんな光景なのだろうか。
カイは有り得ない仮定をひっそりと考え込む。
冬を過ごすだなんて、考えた事すらなかったのに。
そんな自分につい苦笑いが零れる。完全に夢うつつな自分を消し去るかのように、カイは温かく苦いコーヒーを喉を鳴らして飲み込んだ。
カップをテーブルに置けば、ふとクレアと目が合う。にこりと微笑んだクレアにカイも同じくにこりと返すと、クレアは静かに口を開いた。
「今日ね、ほんとは気付いたらここに来てたの」
「……気付いたら、ねぇ」
「雨に濡れても全然気にならなくて、ただ足が動いてて」
「それ、無意識に俺に会いたくなったってこと?」
頬杖をついてニヤリと不適な笑みを浮かべカイは尋ねた。
いつもの調子でただ言っただけなのだ。
ただそれだけなのに、クレアは鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしたかと思えば、白い頬をほんのりピンクに染めた。
まさか本当に無意識のうちだったなんて。
そしてこんな反応をするわけだから、カイもなんだか照れ臭くなる。
「あのさ。クレア」
まだ少し頬を染めた彼女は、名前を呼ばれ目の前の男に視線をしっかりと向けた。交わった視線が妙にこそばゆい。
温かいカップを両手で包み込み、カイは言葉を紡ぐ。
「そんな顔、されたらさ。俺、本気にしちゃうし、喜んじゃうけど」
いいの?と確認を取りカイはふわりと微笑む。
その言葉に口ごもったクレアは、目を伏せ少し考え込むそぶりを見せた。
しかしそれはすぐに終わり、再び彼に視線を戻したクレアは決意を固めたような、妙に真剣な表情を作っていた。
「本気にしていいよ」
たった一言。彼女の口から放たれた言葉に、カイは自分で聞いたにもかかわらず目を丸くする。
まさかこんなにはっきりと彼女が答えを出すだなんて思わなかったのだ。
「だから、来年も帰ってきて」
「え?」
「私、カイに会いたいから。絶対帰ってきて」
約束。最後にそう呟いてクレアは小指を差し出す。
そんな事約束するまでもないのに。カイが夏にやって来るのは当然の事だ。
けれど、クレアは怖かったのだ。
何か決定的なものがないと、自分自信がこの先乗り越えられない気がした。
その決定的なものが、この約束。
そっと絡まるカイの小指と自分の小指を見つめながら、クレアは自然と満たされて行くのを感じた。
「クレアに、一番に会いに行くよ」
「約束したからね」
「ああ。約束だ」
こんな約束を交わして、早くまた来年の夏が来ればいいのにと思ってしまうのが、実に滑稽に思われる。
まだこの気持ちにはっきりと答えを見出だす余裕などなく、ただもう少し彼女に触れていたくて、カイは約束を誓った小指に力を入れた。
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