おさななじみ



すっかり仲良くなった珠美ちゃんからある日深刻な相談を受けた。
いや、珠美ちゃん本人は随分真面目に悩んでいるんだけど、相談を持ちかけられた私からしたら非常に愉快で滑稽でくだらないものだ。

菫は、キスしたら結婚しなきゃならないと信じ込んでいるらしい。

かくかくしかじか、入院先に見舞いに言ったところ双子からほっぺチューをされたらしい。
そしてその日の夜、珠美ちゃんに菫から「キスしたから結婚しなきゃならないな」というような主旨のメールが送られてきたとのこと。

菫、お前、ほっぺチューで結婚とかそんなこと言ったら幼稚園時代に何回も何回もチューした私と結婚することになるんだぞ。

いや、むしろ、珠美ちゃん、先生として生徒とチューはマズイっしょ。
昔先生と生徒の恋愛モノで「魔女の条件」ってやってたんだけど知ってる?

言ったら珠美ちゃんも「そうだよねぇ……そうなんだけど……」という言葉から始まり、延々と宝生の男達についてのグチを聞かされた。
珠美ちゃん、モッテモテだね、羨ましい限りだよと言ったら溜息をつかれた。

決してイヤミではない。
素直な感想である。




そんなわけで私は菫と結婚しようと思い、真佐江さんのいない時間を見て奴の家へ乗り込んだ。
時刻はとうに夜中の12時を回っている。

菫は嫌そうな顔をしたけど、私の手土産の「世界の恐竜展2008」のチケットを見るとそわそわして招き入れてくれた。

菫は電気の消されていたリビングへ進んでいく。コンロに火をかけて、なにやらお茶の準備を始めた。
こちらに視線も向けず、真剣な表情で作業をしている。


「普通、夜中の12時過ぎに女は一人で出歩かないだろ」

「普通じゃないもん。そんなこと言ったら、すぅちゃん、普通の高校生男子は夜中の12時過ぎに女の子を家にあげませんよー」

「お前はそういう対象に見れないから安心しろ」

「そういう対象ってナニナニ? すぅちゃんいまやらしーこと考えたでしょ?」


返事は無い。シカトかよ。

これが訪ねてきたのが私じゃなくて珠美ちゃんだったら、顔を赤らめて挙動不審になりながらも部屋に上げてそわそわするんだろうな。
あー、でも珠美ちゃんもドキドキしちゃってきっと変な空気が流れるんだ。

菫は私に対して顔を赤らめるということがない。
珠美ちゃんの話を聞いていると、菫はよく恥ずかしがったり、拗ねてみたり、とにかく色々な表情を見せるらしい。
私の前では菫はいつもふてくされたような無表情でいる。

最近は少しずつ表情に変化が出てきたものの、やっぱり珠美ちゃんの言うような菫は想像できない。
それこそ、菫の笑った顔なんて幼稚園以来見た記憶がない。


「すぅちゃん、灰皿ある?」

「あるわけないだろ……誰も吸わないのに」

「だよねー。そうですよねー。そういうと思って携帯灰皿持参しました」

「吸うなよ。俺、タバコ嫌いだ」

「くっ、どいつもこいつも喫煙者に厳しいこと言って……」

「アザミ、未成年だろ」

「あーハイハイ」


というか、タバコを吸いに菫の家までやって来たわけじゃないんだ。


「すぅちゃん、おいでおいで。イイモノをあげよう」

「……うさんくさい」

「ああもう、あんためんどくさいなぁ。ともちゃんならソッコー尻尾振って寄ってくるのに」

「ともはともだろ」


――あ、笑った。菫が笑った。

くすっと笑った菫は手にティーカップ二つ持って、よたよたと私の座るソファへと寄ってくる。
随分へっぴり腰なのは、奴の不器用さが前面に現れているからだろう。
「あっ」という声が聞こえて、きっとカップソーサーに中身を零したのだろうけどそんなことはどうでもよかった。

だってあの菫が私の前で笑ったのだ。

その瞬間、私はなんともいえない気持ちになった。
菫が私に笑顔を浮かべてくれて、とっても嬉しいはずなのに胸の奥が痛むのだ。

ロゴスの解放が菫たちを少しずつ変えていることは珠美ちゃんからも桔梗ちゃんからも聞かされて知っている。
知っているつもりなのに、その変化を見ると胸がどうしようもなく痛いのだ。

だって、菫を変えているのは17年間一緒にいたともゑでも私でもなくて、最近この町へやってきたばかりの珠美ちゃんだから。

私にはできない事を、珠美ちゃんはしている。

あれ、なんでこんな気持ちになるんだろう。ヤキモチかなぁ。

胸がきりきりするし、なんだか目尻が熱っぽくなって、私はひとつ深呼吸した。吐く息も熱い。


菫がティーカップを置いたのを目の端に捕らえて、私は菫の首根っこを引っつかんでそのままソファへ倒れこんだ。
文句を言いかけた菫の唇をキスで塞ぐ。

キスと呼ぶにはあんまりにも乱暴で、衝動的。
ロマンチックの欠片も雰囲気もなんにもないものだった。

しかも唇を重ねた瞬間、私の頭の中には「やってしまった」という後悔が走り抜けていったのだ。
すぐに唇を離す。

菫はどんな顔をしているかな。

閉じていた目を開けば、すぐ目の前にある菫の顔は驚いているだけで赤くも白くも、まして青くもなかった。何も感じていないのだ。
背中が少し、寒くなった。


「……すぅちゃん、私と結婚する?」

「はぁ? いきなり……キ、キスしておいて何いってるんだ?」


菫は「キス」という言葉の時だけ、すこし言葉を詰らせた。


「だって、すぅちゃん珠美先生にほっぺチューしたから結婚するんでしょ? なら、いま私と口にキスしたんだから、私と結婚するべきじゃない?」

「お前っ……どこでそれっ!」

「…………」


珠美ちゃんの名前が出た瞬間、菫の顔が耳まで赤く染まったのを私は見逃さなかった。
真っ赤になって、うろたえて、私から身体を離す。
今頃になって菫は自分の口元を手で隠した。

なんとなく予想できていたリアクションなのに、こんなに悲しいのはなぜだろう。
あーイヤだ。
自分で自分の気持ちが分からない。
まして恋愛もしたことないから、これが恋愛感情故の気持ちなのかもさっぱり。


「私、すぅちゃんのこと、スキなのかなぁ……」


ふと頭を過ぎった疑問を口に出したら、一緒に涙まで出てきた。

あっ、誰の許可を得て出てきてるんだよこの涙……。

心の中で文句を言ったところで、涙が止まるわけも無く、むしろ今まで溜め込んでいたものが全部出ようとしているのがわかる。


その時菫が笑ったのが久しいように、私が泣くのも何年ぶりかのことだと気付いた。
菫が笑わなかった期間と同じくらい、泣いていなかったような気がする。

珠美ちゃんがロゴスを解放して、菫たちを変えていることが私にも影響しているように感じた。
だって、菫が今までみたいに笑わないままだったら、私だってこんな事をしようなんて気にはならなかったはずだ。


菫は泣き出した私を見てどう対応したらいいのか考えあぐねているようだった。
赤かった顔が一瞬で不安そうに歪むのがわかる。

いきなりキスして慌てふためく様をみて笑ってやろうと思ってここへ来たのに、そのキスで自分がこんなに辛い思いをするなんてまったく思ってもみなかった。
それに、菫をこんな風に不安にさせたかったわけでもない。

これって、どんな感情なんだろう。
辛いということしかわからない。
でも辛いだけ?
いいや、辛いだけなら何度も経験した。
それとは明らかに違う。


「おい……大丈夫か?」

「駄目かもしれない……あー、ごめんねすぅちゃん。明日も学校あるのに、ごめんね。もう寝ていいよ……」

「寝ていいよって……寝れないだろう、普通」

「帰るから。ごめんね、折角コーヒー入れてくれたのに」

「そんなこと。お前、この時間に外出る気か? ……部屋は空いてるし、泊まって行った方がいい。俺もお前が心配だし……」


菫はそう言って、持て余していた手を伸ばして私の頭を撫でてくれた。
菫の手はとっても大きかった。
それに、優しい。
いつの間にこんなに優しさを身につけたんだろう。


「……どうしてこんな気持ちになるかなぁ?」


思ったことを口に出して、涙が一層溢れてくるのに気付いて私はまた項垂れた。

両手を伸ばして菫の身体に抱きつけば菫の緊張が伝わってくるものの、そろりそろりと両腕で身体を抱き締めてくれる。
頭を撫でてくれた手と同じように、菫の身体も大きくなっていた。
無邪気にじゃれあった昔みたいなやわらかさがなくて男の子らしいしっかりした身体つきに、抱き締められると妙な安心感に包まれた。

きっと今までの菫に泣きすがったら、直ぐに拒まれて悪態をつかれたことだろう。
でも今の菫はなんにも言わないで私をあやすように抱き締めて、優しく背中を叩いてくれる。

そんなことをされたら余計に泣けてしまうというのに。
でもこの心地よい腕から自分から出て行こうとは思えなかった。

泣きながら抱きつくなんて、卑怯だよね。
この優しい菫が拒めるわけない。なんだか私、そこらへんの女の子みたい。


もしかして、珠美ちゃんにも同じようなことしてるのかな。


考えなければ良かったのに、珠美ちゃんが頭に浮かんできてまた胸が苦しくなった。

今の私を苦しめてるのは菫の優しさじゃなくて、私のこの正体不明の感情と、珠美ちゃんへの得体の知れない気持ちが原因だろう。





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