野ばら理容室 1-2



「いらっしゃいませ!」

反射的にその言葉が出た。野ばら理容室には久々の、私が店を引き継いでから初めてのお客様に自然と胸が高鳴った。

あかるい外の光を背負ってやって来たのは銀色のパーマ頭に着流しと死んだ魚のような目が特徴的な男性だった。

彼は私の顔を見ると「アレ?」と一言呟いて、外へと引き返して……。

「えぇー……帰っちゃうの……?」

あまりに短い滞在時間に体中の力が抜ける。漲った気合いと感動が一瞬で消えてしまった。

しかし、

「アレ? やっぱりココ、野ばら理容室だよね? 何アンタあのハゲ散らかした店長の愛人? つーかあの親父は? ついにハゲ拗らせて死んだか。だからハゲを甘くみると痛てー目見るっつたのによォ。なんで死んじまったかなァ」

即座に戻ってきた彼は何かと失礼な人だった。

「確かに店長はハゲてますけどハゲにもめげずに生きてます。店長が隠居するというので私が店を引き継いだんです。私が現店長の雨宮ツバキです」

名刺ケースから一枚、名刺を取り出して失礼な彼に渡す。店名に因んで、文字を取り囲むようにしたツタに咲く野ばらのイラストがかわいい名刺だ。ヒマすぎて先週の土日で消しゴムに彫ったハンコによる力作である。何を思ったか多色刷りだ。

「アラご丁寧にどーも。俺はそこの万事屋の銀さん。前の店長とはよく飲みに行ったりなんだりしてたモンで。しかし、辞めちまってたとはねぇ」
「余生は旅をして過ごすといってました」
「イヤ、余生ってまだ40そこそこっしょ。確かにハゲ散らかしてたけど。ところで何? 現店長ってコトはツバキちゃんが髪切ってくれんの?」

銀さんは私の指に嵌まったままのハサミを指差しながら言った。

「はい。ハゲに会いに来てくださったとのことで申し訳ないのですが。私でよければ今空いてますし、どうぞ」
「ハゲより若い女の子のほうがいいに決まってら。あのハゲ、油断すっと常にバリカン構えてたからなァ」

ぼやきながら銀さんは私の指し示したカット台へと歩き出した。もっさりした頭に引っ掛かっていた桜のはなびらが何枚かはらはらと舞い落ちる。

のらくらと現れた銀さんは、新生野ばら理容室初めてのお客様だ。ちょっと失礼な人だけど、それでも私の胸は感動と喜びで弾けそうになっていた。ハサミをきつく握りなおす。

これからこのお客様といい関係を築いていけたらいいなとか、今日はとびっきりのコーヒーをご馳走しようとか、うかれきった私は彼の連れて来た春色の空気にすっかり染められていた。





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