0.5



「じゃあ、私は帰るわね」
「送ります」

そう言って立ち上がったのはまどかとリンの二人だ。ナルは視線だけをまどかに向け、先に立ったリンが部屋のノブに手をかけたところで口を開いた。

「まどか」
「なあに?」

すこぶる不機嫌いっぱいの顔と声にすくむこともなく彼女は笑顔で振り返る。ナルは指を自分の隣に座るリグへと向けた。

「連れて帰れ」

久々の再会だというのにリグに対するナルの態度は限りなく無愛想で冷たいものであった。しかし彼にとってはそれが当たり前のものであり、また周囲のーーSPRの人間は彼という人物をよく知っていた。そのためまどかは極上の笑顔で、「ノーよ」と拒否をする。

途端にナルの眉間に深い苛立ちが刻まれる。まどかはあらあらと笑いながら続けた。

「あなた、本当に変わらないのね。もう子どもじゃないんだから、自分の我ばっかり通そうとするのはやめなさい。リン、あなたもしつけはしっかりしなきゃダメよ。本当に谷山さんたちに嫌われちゃうわよ」
「麻衣に嫌われようが関係ありませんし、そもそも好かれようなんて毛頭思っていませんが、」
「ナル! そういう態度がいけないの! そもそもあなたはねぇ……」

ああ、始まってしまった……。

リンは踵を返してナルに突っ掛かっていくまどかと、売り言葉に買い言葉で舌戦を始めたナルの二人をみて小さく息を吐いた。この二人の口喧嘩が始まると長い。短くて五分。長いと三十分近くやり合っている。

しかしリンはこの二人の言い争いが悪いとは思っていない。むしろ小難しい言葉を並べながら、結局はまどかに丸め込まれるナルの様子はその時だけ十七歳の年相応に見えるので好ましいとすら感じていた。

案の定ナルは返す言葉を失い、ぐうの音すら出なくなって黙り込んだ。恐らくナルが頭の上がらない人間は両親以外に彼女くらいのものだろう。

「いい子いい子」と頭を撫でられても文句を言えずに甘受しているナルの姿を渋谷サイキックリサーチの面々が見たらさぞかし戦慄するだろう。

そんな失礼極まりないことを考えながら、リンは上機嫌のまどかと一緒に部屋を出た。



「……一体何をしに来たんだ」

苦々しくそう言って、ナルはリグを見た。彼女はまどかたちのやり取りすら気にせず読み耽っていた本を栞する。そのまましばらく黙り込む。

部屋の中は先ほどの喧騒が嘘のように静まり返り、雑踏のざわめきが遠く響いて来る。

「ナルに会いに来たの」

そう言って静かに微笑む彼女の真意が汲めずにナルは押し黙る。彼女の好意を言葉の通りに受け止めたものか考えているとリグの方から口を開いた。

「会いたかったのは本当。でも今回の来日目的はナルの監視二号。まどかの上司命令」
「……」
「リンだけじゃ頼りないって。まどか、プンプンしてたよ。そこであたしの出番です。……さて、心当たりは? ある?」

心当たりもなにも。

リグの話が以前の事件で極度の貧血を起こして入院までする羽目になったことを指しているのは明らかだった。

タブーを侵した末の失態である。両親との約束を反故した以上、監視が増えることは致し方ない。緊急事態だったとは言え、PKを使えばどうなるか分かっていた。落ち度は充分にあると自覚しているし自省している。

しかし、それにしたって、

「どうしてお前なんだ」
「だから、ナルに会いたかったの! いくら手紙書いても返事くれないし、当然電話もくれないし! リンの定期報告受けてあたしや教授たちがどれだけ心配したと思ってるの?」
「そういうのを、」
「余計なお世話だとか言いたいんだろうけどね、あたしが世話焼かなかったらますますふてぶてしくなるだけじゃない。どんな事情があろうと約束くらい守ってよ!」
「お前と約束した記憶はない」
「ああ言えばこう言う。あたしね、ナルのそういうところ嫌い。まどかも言ってたけど子どもじゃないんだから少しは屁理屈ばっかりこねるのやめたら?」

ナルはうんざりして吐息をつく。半年ぶりに再会した彼女はあいかわらずだ。

言い争う相手はまどかだけで十分だと言わんばかりにナルはチェアを鳴らして立ち上がった。そのまま吠えるリグを無視して部屋を出た。



うるさい客人たちの去った事務所の中は静けさに耳が痛いくらいで、ソファーに体の沈む音が印象的に響いた。

真夏にも着崩すことのない黒いシャツの衿元を外す。ナルは静かに目を閉じて静寂に耳を傾けた。部屋を満たす夕日が目を優しく支配する。

ぱたんと軽い音を立てて機材室から出てきた足音は軽快にこちらに近づいて来る。隣で止まったかと思うと、勢いよく座り込んできた。もちろんリグだ。体がふわりと持ち上がり、沈む。

リグはナルの顔をそっと覗き込んだ。間近で深い黒色が視線を投げかけ、ゆっくりと閉じる。

「なんで見てくれないの」

少し怒ったように言えば、

「なぜついてくるんだ」

そんな風に質問で返された。

互いの息が感じられる距離でのやり取り。しかし不快ではない。試しに閉じられた瞼に接吻けてみる。ぴくりと瞼が震える。しかしそれだけで受け入れも拒否もされなかった。

つまらない。そう思いながら彼女は反対の瞼にも同じようにする。なだらかな額、高く通った鼻筋、雪を欺く頬、そして唇。軽く触れて、何度も何度も繰り返す。さっきより近づいた彼の瞼は、眠ったかのように閉じられている。

下唇を優しく噛むように何度も、時に音を立てて執拗に繰り返す。何も言ってこないのをいいことに華奢な首に手を回して膝に上がってもやはり何も言ってこない。

いい加減飽きて身体をそっと離そうとした時、その気配を感じたかナルが閉じていた瞼を開いた。首に回っていた腕を捕まえてそのまま押せばリグが驚いた声を上げて目を見開く。そのままソファに身体が沈んだ。

相変わらずの無表情がそこにある。無表情がゆっくりと下りてきて首筋に埋まる。頬を撫でた髪の毛に背中が泡立った。

首筋に自分のものではない生暖かな体温を感じてリグは身をよじった。ゆっくりと下から上に移動するざらついた感触は心地良くもあり不快でもある。まるで猫のように何度か繰り返すうち快感が勝り上擦った声が漏れた。ナルの表情は窺えない。

脇腹に伸びてきた手が胸を掠め一つ、シャツのボタンを外す。もう一つ外され白い肌があわらになった。直に冷たい手が触れてリグは制止の声を上げる。

「ナル、ストップ」

返事の代わりに胸元を強く吸われてリグは唇を噛んだ。

まずい、このままでは完全にペースに乗せられてしまう。

イニシアチブはすでにナルの手中にあった。奪い返すことができなければ、やめさせるしか手段はない。身をよじりナルから逃げようとするが所詮力では敵うわけがない。

「ストップ!!」

何度目かのその声が耳に心地好い、聞き慣れた発音だったのでナルはようやく手を止めた。日本語をうまく操る彼女から母語が出るのは本気で嫌がっている証拠だ。

リグから降りる際に腹を蹴られたのが勘に障ったが、あっさりと引き下がった。脱力仕切った様子でこちらを睨む姿は官能的という言葉がぴったりと当てはまるが、べつにそういう気分でもなかったのでナルはそのまま所長室へと戻る。

目に涙を浮かべたまま乱れた衣服を正す。そんなリグを振り返り、顔だけドアの向こうから出して、

「自分がされて嫌なら人にもするな」

ドアが閉じられた。

無情に閉められたドアを見つめ、リグは赤らむ頬を膨らませた。半年ぶりに再会した彼はあいかわらずだった。





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