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異変が起きたのは、その日の夕方だった。

あたしたちはナルの指示に従って暗視カメラやサーモグラフィーの設置をしていた。同時進行で屋敷の平面図の制作を行いつつ、集合時間が近づいてきたためにそれらを切り上げて集合場所である食堂へと向かったのだった。

食堂には他の霊能者たちが何人かいて、それぞれに食事をとっている様子だった。脇目に見ながらあたしたちは見慣れた顔が集う大きなテーブルへと向う。

すでにナルとリンさん、ジョンと綾子、そして真砂子が席についていて、そこにあたしとぼーさん、安原さんが合流してあとはリグを待つのみとなった。

「あれ? リグは? ナルと一緒じゃないの?」

あたしはてっきりナルとリンさんと一緒に頭脳労働をしているものだと思っていたのだ。

なぜなら日中あたしたちが肉体労働をすべく重い腰を上げた時、リグのことも誘ってみたのだが、

「あたしは頭脳派の人間だから」

とあっさり同行を断られたからだ。

あのハデな見た目のせいか正直なところ頭脳派の人間は見えないのだけど、どうやらそもそもあたしたちとは頭のデキが違うらしい。ま、日本語ペラペラな時点で英語の喋れないあたしより当然上なわけだけど、驚くことに奴は中国語とドイツ語も操るそうなのだ。

ドイツ語はリグの国籍を思えば当たり前なんだけど、なんで中国語なのか訊ねたらリンさんと喋るためだけに覚えたらしい。その話を聞いて、そりゃ頭がよくなきゃ覚えられないよなぁと感心するばかりだった。

「リグ? 見てないわよぉ。あんたたちと一緒だとばっかり」

そう答えたのは綾子だ。ねぇと隣の真砂子に同意を求める。真砂子はそれに小さく頷いた。

おやおやそうかいと席について、職員のおじさんが持ってきてくれたお茶を受け取る。口をつけると体中に温かさが沁みるようだ。

一日中だだっ広い屋敷中を歩き回って足が棒のようだった。椅子に座ったまま背中を思い切り伸ばせばあちこちの骨が小さく音を立てた。今夜はぐっすり眠れそうだ。

伸びた拍子にお腹の部分がちょこっとめくれて慌てて上着を引っ張ると真砂子と目が合った。真砂子のお嬢様は白い目であたしを見て、すっと顔を反らした。

なんだっつーの、はしたなくて悪かったな。どーせ肉体労働してないあんたにゃ無縁の疲労感だよ。相変わらず腹の立つ奴だ。

「お嬢さん、こっちにまで骨の悲鳴が聞こえてるぜ」
「ぼーさん、肩を揉ませてやっても構わんぞ」
「馬鹿言え。逆だろーが」

隣に座ったぼーさんの大きな手が伸びてきて、あたしの肩の凝りきった部分を思い切り押してきた。

「いだだだだ!」
「いやあ、見事なテクニックですね滝川さん」
「おうよ。お山に籠ってた時ゃ毎晩師匠の肩もみ担当してたからな」

そりゃ上手にもなりましょーよ! あたしはぼーさんに肩をがっちり掴まれて逃げるに逃げられず、ぎゃあと悲鳴を上げ続けた。

本気で痛い! 今度こそ本当にセクハラで訴えてやろーかこの坊さんは。

「リグと……」

大騒ぎのあたしたちを丸っと無視して、ナルは呟いた。小さな声だけどよく通るその声に、あたしの肩を揉んでいたぼーさんの手が止まったのでぺしっと払い落してやった。

ナルはあたしたちの顔を見回すと、その顔に影を落として続けた。

「この中で、最後に彼女と会った者は?」

その表情があまりにも深刻で、あたしたちは誰ともなく顔を見合わせた。皆、誰一人として名乗りを上げない。

「彼女はぼくたちと一緒に職員の証言を纏めていた。それが四時あたりだ。そのあと、リグは麻衣たちと合流すると行って部屋を出たんだが……麻衣、会っていないか?」
「会ってない……よ」
「…………」

ナルは考え込むようにして下を向いた。むっつりとしてあたしたち一人ひとりの顔を見て、最後にリンさんと目配せをした。リンさんがひとつ、頷いた。

無言の中に、あたしは不穏なものを感じずにはいられなかった。心臓がゆっくりと早鐘を打ち始める。

この場に現れないリグ。ナルの問いかけ。人間の消える幽霊屋敷。

そこから導かれる物はひとつしかない。けれど、それをにわかには信じられない。まさか、という思いが頭を占める。

ナルが、口を開いた。

「消えた可能性がある」

その言葉にあたしは全身の血の気が引いて行くのを感じた。想像がついていたにも関わらず、気分が悪くなってくる。

「ちょっと! 消えたってどういうことよ!」

大声を上げたのは綾子だ。ナルはそんな綾子を睨めつける。ナルは平然として、

「そのままの意味です。もっと静かにできませんか。あまり周囲に聞かれたい話ではない」
「……だって、アンタ」

小声になって綾子が続ける。何人かの霊能者がこちらを振り返り、すぐに興味を失い視線を外したのを見届けてナルは見解を連ねていく。

「ぼくは定刻以降決して一人で歩き回るなと彼女に釘を刺しておいた。彼女がぼくとの約束を違えることはまずない。そうするとこの場に現れないのは何らかの理由があってだ。単純に迷って遅れているだけなら問題はないが、この屋敷に関しては前提条件が多すぎる」
「消えた……とすると、他の失踪者と同じように、ってことですよね」

安原さんの言葉にナルは深く頷いた。

「だが断言するにはまだ早い。あくまでも可能性の話だ。この屋敷に棲む何かに連れ去られたか、自ら消えざるを得なかったか、判断がつかない」

その言葉にあたしは違和感を覚えた。リグが自分から消えざるを得ない。つまり、それはリグ自身の意思だ。リグが自分から消えなくてはいけない状況って、たとえばどんな場合だろう。

「ねえ、探しに行こうよ。迷子になってるだけかもしれないし……」
「さいですね。彼女は最新の測量データを見たわけやなし、疲れて座り込んではる可能性もあります」
「駄目だ」

言いきったナルの声はどこまでも厳しかった。

「定刻以降の活動は一切禁止だ。第一、まだ初日だ。相手がどう出てくるかもわからないのにうかつには動けない」
「じゃあ、リグの事は放っておけっていうの?!」
「様子を見ると言っているんだ。四時前後に消えたとしてすでに一時間。やはり連れ去られたと考えるのが妥当な線だが……あと四時間、様子を見る。九時になっても戻ってこない場合失踪したとして明日から捜索を始めることにする。いいな」
「いいなって……いいわけないでしょうが!」
「麻衣!」

頭に血が上って、思わず掴みかかろうとして後ろからぼーさんに抑え込まれた。

ナルのいつも通りの態度にあたしは腹が立って仕方がない。だって、仲間が消えたかもしれないのに探しに行くな、様子を見るって。万が一のことがあったらどうするつもりなんだ。

「くれぐれも周囲の人間に知られないように。とくに麻衣。他言した場合問答無用でオフィスに送り返すからな。ぼくとリンはベースにいる。もし、あのバカが能天気に戻ってきたらぼくのところまで連れてきてくれ。そして、もう一度言うがこれ以降の活動は一切禁止。決して一人で行動しないように」

あたしを睨めつけて、ナルはリンさんと一緒に食堂を出て行った。あとに残されたあたしたちは皆心許ない表情を交わし合う。

そのうち職員のおじさんが夕食のオードブルを運んできてくれたけれど、空腹とは裏腹にとても喉を通らなかった。

形だけの食事をとって、食後に出されたコーヒーを持て余しながらあたしたちは食堂に居続けた。部屋のドアが開くたびに、リグが戻ってきたのかとわずかな希望に縋ろうとして打ち砕かれる。ドアの向こうにいるのは、いつもリグじゃなかった。

時計はもうすぐ七時を指そうとしている。気休めに含んだコーヒーは、ずいぶんと苦く感じられた。





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