心に広がる曇り予報





台所で晩御飯の支度を進める手を止めて、雛はエプロンのポケットから携帯を取り出して時間を見た。


(快斗、そろそろ帰ってくるかなぁ)


「寺井ちゃんに借りたバイクを返してくる」とだけ連絡があったから、きっと遅くならずに帰ってくるだろう。

本当は雛自身も御礼がてら数年ぶりに会えるのを楽しみにしていたのだが、学校から帰ってくる前に出掛けてしまったらしいので、日を改めることにして諦めていた。


(二人でどんな話ししてるんだろ…盗一さんのこととか…マジックのこととか、かなぁ…)



そんなことを考えていると、ふと玄関の呼び鈴が室内に響いて思わず首を傾げる。

防犯の為に普段から鍵をかけるように言われているが、快斗なら自分で開けて入ってくるはずだ。


更に続く二回目の呼び鈴に、慌ててガス台の火を消して廊下に出た。

「はぁい、?」


「ただいまぁ〜、雛ちゃん!」


「ぇ、千影さんっ!?」


その声に急いで鍵を開けると、大きな二つのキャリーケースごと勢いよく玄関に入ってきた千影にぎゅぅっと抱き締められる。


「わっ!?」


確かニ、三日前に連絡を交わしたときは帰ってくる話なんてしてなかったし、ましてや鍵も持っているはずなのに……きっとこうやってビックリさせる為に違いない。


驚かせるのが好きなのは快斗と似てるなぁ、と笑みが零れるのをそのままに、照れながら服の裾にそっと手を回せば、千影も微笑んでくれた。


「おかえりなさい、千影さん…帰ってきてくれて嬉しい」


私も会いに帰って来れて嬉しいわ、と再び荷物に手を伸ばした千影の後ろで先程閉められた扉が鳴き、快斗が顔を覗かせた。


「雛ー、鍵開いて…か、母さんっ!?;」


「あら、おかえり快斗」


「おかえりなさい」


「どうしたんだよ、急に連絡もしねぇで;」


「やーね、決まってるじゃない。雛ちゃんの劇を観に帰って来たのよ」


だって保護者だもの♪と楽しそうに笑う千影に、雛も照れたようにはにかんだ。




* * *




夕飯後のリビング。

先に入浴を済ませた千影は、目の前に座る快斗に不敵な笑みを浮かべてながら雛に淹れてもらった紅茶を楽しんでいた。


交代でお風呂に向かった雛はしばらく戻らないだろうと踏んで、彼に口を開く。


「快斗…念のため聞くけど、雛ちゃんに何もしてないでしょうね?」


ガタンッと椅子から転げ落ちそうになる快斗に思わず笑ってしまいそうになる。


(ホント、雛ちゃんの事となると余裕無いわね〜。ポーカーフェイスは何処にいったのよ)


「な、何ってなんだよ;」


「別にぃ〜? 私が勧めたとはいえ、可愛い雛ちゃんをオトコと一つ屋根の下に置いていくのは心配もあったからね」


「ったく、自分の息子だろ。……俺が、アイツが嫌がるようなことするかよ」


「…ふふ、解ってるわよ。私と盗一さんの子だもの」


でも、と手にしていたティーカップをソーサーにカチャリと置いて瞳を伏せる。



「でも…『仕事』の話、してないんでしょう?」


「……言えねぇだろ」


「そうかしら?雛 ちゃんなら大丈夫だと思うわよ」


「…母さん達とは違うんだよ」


そう言って視線を逸らすのは、確かに彼女を想ってのことなのだろうが…私達のように寺井以外の理解者が居ても良いはずだと千影は思う。


「…ま、さっさと告白でもしちゃいなさいよ」


「なっ…////」



快斗が反論しかけようとした時、廊下の向こうで風呂場の扉の音が聞こえて慌てて口を噤んだ。
案の定廊下を進む足音が近づいてきて、雛がリビングに入ってくる。


まだ少し湿った髪と、火照ったままの可愛らしい彼女のピンク色の頬に、一瞬目を奪われた快斗が慌てて視線を逸らしている。


(あらあら♪ これじゃ当分告白も出来ないかしらね?)


二人からの視線を感じた雛は、不思議そうにきょとんと首を傾げている。


「ぁ、雛ちゃん。劇のお話聞かせてくれる?」


「千影さん、そんな期待しないで…私今から緊張しちゃって…///」


「だって主役のお姫様なんて素敵じゃない♪ 相手はどんな子なの?」


「雛の女友達だってよ」


「ぁ…それが、園子練習中に怪我しちゃってね? 男の先生が代役に決まったの」


「はぁっ!?」

「ひゃっ、」


勢いよく立ち上がった快斗が、息を飲んで立ち尽くしたままの雛に詰め寄る。


「だっ、ダメだそんなの! キスシーンだってあっただろうが!?」


「そ、そんな事言われても…それにフリだけで本当にする訳じゃ…」


「当たり前だっ!!」


「っ、」


「あらあら。もう、落ち着きなさい快斗。心配なのは解るけど、雛ちゃんがビックリしてるじゃないの」


珍しく苛立った瞳を向ける快斗に怯える雛が、不安そうに胸の前で手を重ねている。


「…快斗、」


「〜〜〜っ、…俺も風呂入ってくる」


バタンと部屋を出て行った快斗を見ながら、ふぅ、と溜め息を吐いた千影は雛に優しく笑いかけた。


「子どもっぽくてごめんなさいね、雛ちゃん」


「いえ…」


「でも、仲良くしてくれてるようで安心したわ」


「千影さん…私、」


「大丈夫よ、雛ちゃん。快斗だって解ってるわ」


そう雛に笑いかける千影の言葉が、廊下の壁にもたれかかった彼の耳にも届いた。





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