「なあ、遠坂の親父さんってどんな人だったんだ?」
「どうしたの? 藪から棒に」
何となしに聞いてみたかった事をぶつけると、凛は少し怪訝な顔をした。
藪から棒に、という訳ではなく同じ魔術師を親に持つ――と言ったら凛には殴られるだろうが、とにかく似たような境遇である凛と、凛の父親が士郎としては純粋に気になったのだ。
「……そうね、お父様は厳格だったけど、……優しい人だったわよ」
遠坂の家訓をそのままに現したような人よ。魔術師としても、人としても素晴らしい人だったわ。
その声は少しだけ照れている様な、誇らしい様な感情が混ざりあっている。
「遠坂は親父さんを本当に尊敬しているんだな」
「当然じゃない。子どもは親の背中を見て育つものよ」
「…………そういうものなのか?」
「あら。衛宮君だってある意味お父さんを尊敬しているんじゃないの?」
確かに士郎の養父は、衛宮士郎という人間の生き方自体の指針を決定づけたような男だ。その感情は尊敬や、憧憬に値するものだろう。
「そりゃ――――、」
「キリツグはダメね」
士郎が言葉を続ける代わりに少女特有の高い声がきっぱりと、そしてそれがさもこの世の理で在るかのように言い切ってしまった。
声の方向を見ると、ずずずと音を立ててお茶を啜っている少女。明らかに外国人である彼女が正座をして茶を飲む姿は、アンバランスであるのに違和感を覚えないのは何故だろうか。
「イリヤ……」
「キリツグはダメよ。頼りないし、嘘つきだし」
その口ぶりはまるで反抗期の娘のようだ。頑として譲らないらしく、ツンとそっぽを向いてしまったその姿に、今まさに彼女が駄目だと言った父親を重ねてしまったといえば、きっとイリヤは怒るだろう。そういう無駄に頑固な所は親子なのか、似ているなあと士郎は苦笑する。
だが色々と折入った事情があるとはいえ実の娘がこの言い様では父親の立場というものがないだろう。今は亡き養父に士郎は心の隅で憐憫を抱き、溜息をついた。
そんなイリヤの様子に凛はふうん、とだけ言葉を返す。
「じゃあ、魔術師としては?」
「…………知らない」
ああ、さすがに広げるには拙い話題だったかとこの場に居た全員が思ったが、イリヤは俯いたまま何かを考え込んでしまっている。
「……あっ、お茶が冷めちゃっていますね! 私、淹れ直してきます」
そもそも今この場に居る人間は早くに両親を亡くしていたり、養子に出されていたりと個々に色々と複雑な家庭環境だと言う事に気付いた時には既に遅い。
このどうしようもない空気に耐え切れなくなった桜がお茶を淹れに行こうとしたところで、慌てていた為かその腕が湯呑の一つに当たり、倒してしまった。
「…………ご、ごめんなさいっ、布巾持ってきます!」
バタバタと台所へ行った桜の足が床に置いていたイリヤの帽子にかかり、バランスを崩してしまった。
「きゃっ」
「ちょ、ちょっと桜、アンタ落ち着きなさい!」
泣きっ面に蜂か、焼け石に水か。慌てる桜を制止して、士郎は自分で立ち上がり、台布巾を持って居間へ戻った。幸いにも中身はほんの僅かしかなく、それ自体が冷めていた事もあり、火傷などないようだ。
この騒ぎの中でもイリヤは俯いたままで、何か考え込んでいるままだったが、突然、何かを思い出したように言葉を漏らした。
「イリヤ?」
「思い出したわ。帽子」
「……帽子? その帽子がどうかしたのか?」
「昔キリツグに言われたの。この帽子には魔法をかけたって。だからイリヤが良い事をすれば帽子はそれを見ているんだって」
そんなバカみたいな子供騙しのような魔法があるのか、と三人が同じ事を思ったのだろう。それは三者三様に顔に出ていたようで、イリヤは慌てて弁解をした。
「わ、私だってまだ小さい頃の話よ!」
心なしか声を荒げたイリヤはどう見ても幼い少女にしか見えないが、それは外見だけで実はこの中で一番年上だ。甘えたい盛りに甘えられる相手が居なかった事も影響してか、その言動は小さな子どものそれと似たようなものを見せる事もあるが、年相応の落ち着きも持っている、不思議な少女なのだ。
その『魔法』が子ども騙しであっても、小さな子供だったイリヤには効果的で、実際にイリヤが良い事をすれば良い物が翌朝に帽子の中に入っていた。それは綺麗な花であったり、本であったり、まちまちだった。
「帽子が見ているって、どういう事?」
「何か良い事をしたり、キリツグやお母様との約束を守ったりした日の次の朝には、帽子の中に良い物が入っていたのよ」
「……クリスマスじゃないんだから……」
「それはまた……随分ざっくりとした魔法だな……」
「……でも、すごく素敵ですね」
ふふふ、と桜が笑う。確かにそんな魔法、あれば素敵だろう。尤も術者である男はそれなりに大変な思いをして、娘の為に『良い物』を集めていたのだろうけれど。
「魔法ってその過程を飛ばして実現できるものだから、あの頃はすっかり信じていたけど、騙されていたわ」
そんなもの、魔法でもなんでもなかった。
切嗣が、両親が帰って来なくなった時から、どんなに良い事をしても、どんなに良い子で居ても、翌朝に帽子の中には何も入っては居なかったのだから。
冷たい空洞が残っているだけだった事が寂しくて、悲しくて。まるでもう帰ってこない人を待っている自分の様で虚しくて、いつしか帽子を朝に確認することをやめてしまった。
少し考えれば分かる事だった。そんな魔法も魔術もどこにもない。あの頼りない父親が、色々と仕組んでいたという事くらい。
術者は、きっとそれを信じた自分の為に『良い物』を探していたのだろう。そうでなければ、あんなに自分の欲しい物が分かる訳なかった。
考えてみたら、簡単な事だったのだ。
「でもそうね、魔術師としてはきっとダメダメだったけど。魔法使いとしてなら、きっと一流だったわ」
「……そっか」
過程を悟らせないという部分では、切嗣は抜きん出ていた。さも何でもなかったと言いたげに、すんなりと、当然のようにこなしてしまうのだから。
ちゃんと、見ているよって。
だからずっと、良い子で待っていたのに。
もしかしたら、自分がもっと良い子で居れば、戻ってきてくれるかもしれない。そう思って、待っていた。
淹れ直したお茶がぬるくなった頃、時計をふと見た士郎が声をあげた。
「――わ、もうこんな時間か。買い物に行かなきゃな」
そろそろセイバーも戻ってくるだろう。剣の練習だとアーチャーと共に出かけていったセイバーを思い出す。散々動き回ったのだろうからいつも以上に空腹だろう。
食に意外と煩い騎士王は気持ちいいくらいに良く食べてくれるので、作る側としても嬉しくなる。
「イリヤは何か食べたいものはあるか?」
「…………ハンバーグ」
「ぷっ……ふふっ……」
少し考えた後の答えに、士郎は堪えきれずに吹き出してしまった。ああ、やっぱり二人は親子なんだなあと。
「今! 子どもっぽいって思ったでしょ!」
「いや……、ごめんごめん。ちょっと……あははっ」
憤慨するイリヤにやっぱり似ているよ、という言葉は飲み込んだ。それは言葉にしてしまえば少し寂しいから自分の中に留めて置きたいと思うのは、酷いのだろうか。
それでもきっと、自分がもう少しだけ大人になれれば、彼女に伝える事が出来るのだろう。長いようで短い時間だけれども自分が見てきた、確かに頼りなくて、どこか子どもっぽい部分が抜けない、衛宮切嗣という男を。
どうせだからみんなで買い物に行こうと言う提案に、最初からそのつもりだったから拒否の声は出ない。玄関に向かう士郎と桜と、動こうとしないイリヤ。まだ不貞腐れているのかと凛が呆れて声をかける。
「行かないの? 衛宮君行っちゃったわよ?」
「よろしい。じゃ、先に行ってるわね」
にんまり、と満足そうに笑う凛に、彼女もとんだお人よしでお節介だとイリヤは思う。そうだ。士郎や凛に限った事はない。此処で出会った人達はみんなそうだ。
「……これも『良い物』なのかしらね」
この暖かい家と、暖かい兄弟。意図せずとはいえ、確かにそれは切嗣が最期に残したものだった。それならば不器用で頼りなくて嘘つきな魔法使いを少しだけ、ほんの少しだけ許してあげようとイリヤは笑う。
拾い上げた帽子は、僅かに暖かかった。
魔法使いの帽子
(彼の遺した最後の、)
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