・24話のあのシーンにもし綺礼様が乱入したら
・泥切嗣(らしきもの)がいたり








               
やめてくれ、やめてくれ。
それは目の前の惨劇に対してではなくて、機械越しに聞こえてくる声に対しての拒絶だった。電話先の見知らぬ、いや、良く知った声は命の秤と共にその末路までも事細かに説明してくるのだから。



 『――まだ息を残している人間の心臓を君は用心深く撃ち抜いた』

 「やめて、くれ」

 『そのまま手元のナイフで最後に残った一人を刺すんだ。助けてくれと懇願する声を無視して』

 「お願いだから、やめてくれ………っ」

 『どうして? 君の計算は正しい。これでみんな死んでしまったけれど大丈夫、君の天秤は確りと機能しているよ』



違う、そうじゃない。僕が天秤で在るには、この声はあまりにも無駄な雑音過ぎるのだ。現状を突き付けられて動じない程僕は強くはない。今ここに、天秤である衛宮切嗣に迷いは要らない。ゴトリ、と質量のある機械が落ちた音がした。もうこれ以上聞きたくないと、拒絶するようにそれから手を離したのは僕自身だった。




 「どうして泣いているんだい?」



機械越しから聞こえていた声が急に明瞭になった。耳元で、直接脳に語りかけられるようなその音が憎い。それは後ろから僕を抱きすくめるように覆いかぶさっている。機械越しだった雑音が、明瞭に聞こえる事が、怖い。脳みそを揺さぶるその声は、自分の声に酷似した、違ういきものの声だった。目隠しをするように当てられた手は目から零れそうになる涙を小さく拭った。
そもそもこれはいきものなのだろうか。まだ生まれてはいないこのいきものは、生まれてはいけないいきものであって、僕は、こんなものに祈りを託そうとしていたのか。そして、彼女は。彼女達は、これの、為に。


死屍累々の船上にいたはずの自分はいつの間にか見覚えのある島の砂浜へと戻っていた。目を開ければあれは夢だったのかとも思う。だがしかし、この手に残った、肉を抉った感覚は本物だ。僕はきっと、あの船の人たちを殺した。いや、今更だ。今更過ぎてどうしようもない。それでも僕は、そうやって切り捨ててきたのだから。
抱きすくめられていた手の力はいつの間にか弱まっていた。纏わりついていた手を払うように落とせば、抵抗もされずに落ちる。それが離れた事に重さが消えた事で気付くが振り返る事はしない。その代わりに顔を上げれば、ここに来る前に交戦していた男が立っていた。


 「何故…………此処にいる…………」



狼狽を隠さない僕に対して、つまらない映画でも見たように、男――言峰綺礼は無感動にそこに立っていた。まさか、これも幻なのか、それとも。



 「さぁな。…………ただ、私はどんなものであれ、誕生を拒むお前を理解出来ない」

 「…………理解出来ないのは僕の方だね」



同じものを見ていたのであろうに、この男は一体何を言っているのか。そうだ、聖杯は願望機なんかじゃなかった。最初から狂って、間違っていたんだ。奇跡に縋る事も、そしてこいつはそんな狂っているモノを、そんなものを産み落としてしまおうと本気で思っているのだろうか。
アレが生まれてしまったら、全ての命が無に返る。そんな事は許されない。それこそ天秤が、横転してしまう。
 
言峰はそんな僕を見て、何かを理解したのか口角を少しだけ釣り上げた。



 「…………成程、それはお前の父親か? よく似ているな」

 「―――――っ?!」



身体を引き、振り返った僕は、見なければ良かったとすぐさま後悔する。

 

 父さん。
 あの日、僕が殺した、
 父さんが。




 「っうあ、あ……………あああああああっ」

 「切嗣……」

 「ひ、いや、だ…………………」



お願いだ喋らないでくれ、お願いだ、やめてくれ。父親の形をしたそのいきものから必死で逃げようとしても、砂浜の砂が足を取り、上手く進めない。嫌だ、やめてくれ、お願いだ。
足が縺れるままに転んでしまった僕を言峰は冷たく見下ろす。まるで何かを観察しているように、何かを見極めているように。その眼には一つも感情は籠って居ない。



 「逃げるだなんて酷いじゃないか、坊や」

 「―――――――っ…………」



父親の姿をしていたそれは今度は師である女性の姿になる。お願いだ、やめてくれ。心と身体を切り離したとはいえ、それは、痛みを伴わない訳ではないのだから。そう、本当はいつだって痛みを、傷を負っていた。完全に切り離せる訳なんてないのだから。



 「くくくくく………っ 茶番にしては上々の出来だな」

 「言、峰……………?」



それまで観察するように此方を見ていた言峰が、突然笑い出した。そのまま片膝をつき僕の頬を撫でる。その言峰の指が濡れている事で初めて、自分が涙を流している事に気付いた。



 「な、にを………………」

 「―――――そうだな、衛宮切嗣。お前は私より余程聖人だろうな」



ならばその傷は、私が開き、癒してやろう。
笑った代行者は、懺悔する敬虔な信徒を迎える神父のように優しく、慈悲に満ち溢れていた。









泥の中の洗礼
(聖者と愚者と、)