湯を被ればいつもの自分に戻る。いつもの自分、つまりは男である自分だ。あの少しだけ心許無い違和感からも、腹を這いずり回るような気怠さも、全部なくなる。
どうしてこうなったんだろうかは分からない。恐らくは泥の影響か、それともドイツの魔術のせいか。どちらにしろ厄介な呪いなのだと認識している。水を被ると性別が変わるだなんて、不便以外の何物でもない。
湯を浴び、用意された服に袖を通す。大き目なワイシャツ一枚だけが用意してあり、どういう了見なのかと問いただしたくなる。何を考えているんだこいつは。
「君って奴は………最悪の趣味をしているな」
「何の事だ?」
「最初から気づいていたんだろう! この外道! 悪魔!」
「具合が優れないご婦人を介抱しただけで何故そこまで言われなくてはならない」
「………っ」
駄目だ、完璧に埒が明かない。せめてズボンかなにかが無いのかと問えばサイズが合わないと思うが、と返される。お前はそれもしも僕が女性の姿のままだったらそんなきわどい恰好をさせるつもりだったのか、と聞こうとした言葉は寸での所で飲みこんだ。どうせ碌な答えが返ってこないだろうと自己完結したからだ。更には普段が着流しならズボンなど要らないだろうとまで言われる始末で、此奴の脳内はどうなっているんだ。サイズが格段にデカいとはいえシャツ一枚と着流しを一緒にする気かと憤慨しそうになったが、それさえも疲れる。もうやだ、早く帰りたい。
寒いのならこれを羽織っておけ、と渡されたカソックも相俟って何ともニッチな格好になっている。それが仮に若い女性ならば、元が禁欲的な衣装であることも作用して、それなりに欲をそそる格好になるだろうが残念ながら中年の男性である僕がそんな恰好をしても意味がないし、目の前にいるのはストイックを絵に描いたような男だ。ただの辱めにしか思えない。
睨み付ければ何が楽しいのか言峰は笑った。笑うというよりは、嘲笑うように近かったが。
「ところで衛宮切嗣、お前はいつから性別を変えられるようになったのだ?」
「……………君に話す筋合いはないね」
「……ほう」
ああ、居心地が悪い。じろじろと此方を見る視線が、何もかも。とにかくここは居心地が悪い。質のいいソファに腰かけた僕を、水を用意し、見下ろす言峰はとにかく巨大に感じる。外であった時には自分が縮んでいたからかとも思っていたが、前よりデカくなってないかこいつ。どういう事なんだ一体。
「しかしあまり肉付きは良くない方なのだな」
「っ、お前…………っ」
何についてか、等と聞きたくもない。目線がありありと物語って居たからだ。別に自分の胸が小さいからといって嘆く事でもないし、そもそも僕は男だ。呪いだか何だか分からない力でそうなってしまっているだけであって、そもそもは男でそれは今後も変わらないのだから、胸の大きさなんかで一喜一憂している場合じゃあないのだ。そう、別に、嘆いて何て、いない。聖杯を争った時にサーヴァントとして召喚した彼女より小さいとかそんな事を気にしてなど、別にいないのだ。そんな事は、ない。
「少なからずコンプレックスに近い物だと言う事は把握した。気分を害したなら謝ろう」
「うるさい」
「ところで衛宮切嗣」
「何だこのクソ神父」
お前なんか死んでしまえ、と言わんばかりに睨み付けるとそんな事は気にもしないと言わんばかりに言峰は笑みを貼りつけたまま、手にしていたコップを此方へと傾けてくる。並々と入っていた水が頭上から降り注ぐ。
「つ、めたっ…………なに、して」
「なに、てっとり早く、そのコンプレックスを潰す方法を知っているが、どうだ?」
「は、何言って」
「ついでに言えば私には興味がある。仮初の姿で精を喰らうと、その身に生命を宿すのかと」
「…………え、ちょっと待て、ふざけるな、待て本当にやめろやめろっておい」
「成程、本当について居ないのだな……」
「おいどこ触ってるんだふざけんなっ!」
「そんな男を誑かすような恰好をして良く言う」
「それは…っ、ん………っ」
それはお前が用意したからだろう、と繋ぐはずの言葉は言峰の唇に食われた。文字通り言葉ごと、食べられてしまった。口内を蹂躙する言峰の舌に、食われる、と本能が告げている。まずい、まずい。この状況もそうだが、彼から与えられる魔力が存外にも身体に馴染むと言う事も、拙い。
同じ泥を浴びたからなのか、それとも別に起因があるのか。思考は全く纏まらなく、ふわふわと切り離されていくようだ。たかがキスひとつで、だ。
「ふ、あ………、………いっかい、しね………」
「残念ながら、私は既に死んでいるのだがね」
他でもない、お前に殺されてな。
そう笑う言峰に、ぞわりと心臓ごと粟立つ。食われる者と食う者、今の僕と言峰は、まさにその図式をこれでもかという程見事に形成されていた。自分が食われる側である事には遺憾だが。
「…………もう一回殺されたいのか」
「まさか、今度は私がお前を」
食い殺してやろう。
言葉こそ冷え切って居たものの、その眼は煮え滾ったように熱く、僕を捉えて離さなかった。
99.974℃
(沸点で凍る)
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