第四次聖杯戦争の終焉は、酷く呆気ないものだった。
 その地に齎した甚大な被害を考えれば呆気ない、という言葉一つで片づける事には些か語弊がある。だがそれでもやはり終わってしまえばこんなものか、と言いたくなる程に幕引きとは味気ないものだった。

 衛宮切嗣は初めから言峰綺礼の欲した答えを持ってはいなく、言峰綺礼は結果として自身の歪みを正面から受け入れた。ただそれだけだった。
ただ一度だけ言峰綺礼と衛宮切嗣は対峙した。その一瞬で、全てが終わったのだ。

 全てを喪った衛宮切嗣が唯一救えた少年と始めたという生活に興味が沸かなかった訳ではない。だがそれを今更どうこうしようという考えが起きない程、綺礼は既に切嗣に対する興味が失せていた。
 自分を埋める空虚はあの男には埋まらない、そして己の歪みを受け入れた。だからといって彼を今更どうしようとも思わない。取るに足らない雑踏の中でそのうちに息絶えるのだろう。泥の呪いの中、たった独りで。

 綺礼と切嗣が再び対峙する事になったのは、冬木の災害から少なからず一年は経過していた。

 偶然だった。偶然綺礼は普段は通らない道を通った。特に意味などはない。公園の前へと差し掛かった時、その父子は居た。草臥れたスーツに煙草ではなく、着流しを着た男は、まだ壮年である筈なのに覇気は見られず、嘗ての彼を知っている人間が見たら驚愕するほどに穏やかだったのだ。
 そう、彼はとても穏やかだった。彼は養子と幸せそうに笑っていた。それは本当に幸せそうに。まるで彼のそれまでの人生が無に還ってしまったように笑っていた。
 綺礼はその表情を見て、胸がざわついたと同時に焦燥に駆られた。どうして彼はあんなにも穏やかで居られる? あれほどまでに熾烈な世界を生きていたというのに、一端の人間のように、穏やかに笑って居られるのだろうか。

 全て手にしておきながら。
 全て手放しておきながら。

 衛宮切嗣は常に天秤であり続けた。多数の幸福を比重に置き、秤にかけ続け、そして喪失の絶望と罪の意識に苛まれる。正義を掲げたそれとただの虐殺と、違いはどこにあるのだろうか。否、きっとそんなものは最初からなかった。
 何故、彼はまだのうのうと生きているのだろうか。込み上げてくる怒りに近いそれはあまりに痛烈で、綺礼にとっては初めて抱くに等しい感情だった。問いに答える相手は居ない。内臓からせり上がってくるかのような吐き気を覚えた。









こんな感じで始まる綺礼と切嗣の四次後のお話。
HFルートの割とネタバレがあるのでご注意をば。