保健室の一番奥、窓際から陽が差しこむベッドは彼女の専用だった。いつ、誰が決めた訳ではないけれど、いつの間にか浸透して、暗黙の了承の様になっていた。

 そのベッドの主である彼女は夏季休暇が終わるころにやってきた。元来の性格の所為か、彼女は周りと馴染むことが出来なかった。休み時間には一人で本を読み、いつの間にかふらふらと居なくなっている、掴み所のない少女だった。
身体が悪いと言われているが真偽は分からない。本人は否定もしなければ肯定もしないし、そもそも彼女とまともに会話を交わせる生徒がこの学校に存在する事自体が怪しい。



 「――…………だから、何だって言うんだ」

 「他ならないお前の噂だからな、知らせてやろうと思って」

 「…………」



 ぼんやりと、先に話題に出ていたベッドの主である僕は、今まさにそのベッドに寝転がって、保健室の主である保険医に押し倒されて自分の噂話を聞かされている。だなんて、今時三流ドラマでも起きない事実を一体誰が信じてくれようか。

 連日続いた陽気が今日も続いて外は暖かく、外からはクラスメイト達が体育の授業をしているのだろう。ホイッスルの音や歓声がやけに響く。自分の上にこの男が覆いかぶさってさえいなければここは最高のサボりスポットだと思う。柔らかく差し込む日差しが昼寝にもちょうどいい。



 「……んっ」



 太腿に唇を寄せられる。痕をつけるな、という願いを聞き入れてはもらえない事くらいは分かっていた。それでも抗議したくなるものだ。制服のスカートに隠れるギリギリの部分に毎回嫌がらせのように鬱血痕を残す男を睨めば、愉しそうに笑われるだけだ。案ずるな、私は胸のサイズは気にしない。と至極真面目に言われた時には本気で殴り飛ばそうと思ったが、武道を極めているらしい彼にとっては子供の足掻きにも満たなく、片手で簡単にあしらわれてしまった。

 そもそも体育の時間になると保健室に連れられるのはいい加減どうにかしてほしい。クラスメイトは自分を心配しての行動だと分かってはいるが、それが自分を更に追い詰めているというのに。だけどそれでクラスメイトを責めるのは筋が違う。前の学校では見学者も普通にグラウンドまで出ていたのだけど、学校の違いかと思えば原因が保険医にある事に気付くまでに時間は要さなかった。
 別段身体は悪くない、華奢だと言われる事はあっても至って普通の健康体だ。走る事も運動することも別に嫌いではない。クラスメイトに混ざって授業を受けたいというのが本音だが、目の前の男がそれを許さない。

 悪い偶然が重なった、そう思っている。転入初日に体調が優れなく保険医である言峰の世話になっただけだった、だけだった筈が、どうしてこうなってしまったのかは今はもう分からない。ただ明らかなのは、柔らかい色のカーテンと強化ガラスを二枚隔てた向こう側で日常が続いてる中で、自分はまたこの男に犯されるという事だけだ。









  
 「―――――」

 「―――そうですか……」



 遠くから声が聞こえる。緩く身体を起こせば、先ほどまでの情事が嘘のように身なりはキチンと整えられていて、下半身に若干の違和感を覚えるだけだった。会話をしている低い声が優しい声に誂えられているという事は誰かが来ているのだろうか、ただ会話相手である女生徒の声には憶えがある。確か、そう。


 
 「セイバー……?」

 「! 切嗣、具合は大丈夫か? 体調が優れないと言峰先生から聞いたんだが」

 「……………大丈夫だ」

 「それじゃあ体調が回復したら教室まで……来られるか?」

 「僕は小さい子供じゃない、一人で大丈夫だ」


 
 少しだけむっとして言い返すとセイバーはくすくすと笑った。カーテン越しでその表情は見えなかったが。それならば大丈夫だな、と言峰に挨拶をして部屋を後にした。閉まるドアと、不気味なくらいに静かな空間に吐き気がする。
 言峰は、何も言わずにベッドサイドのパイプ椅子に腰かけた。こちらを伺うような、にやにやとした表情は本当に腹が立つ。睨み付ければ、降参だと言わんばかりに肩を竦めた。



 「お前にも懇意にする友達が出来たようで何よりだ、切嗣」

 「―――――っ!  その呼び方で、呼ぶな……」

 「ほう? ……実の所私も気にはしていたのだよ。仲の良い友人が出来るという事はある種学校生活の本懐ではないか」

 「セイバーに、何かする気か……?」



 ゾクリ、と悪寒が走る。セイバーは、駄目だ。彼奴はきっと、いいヤツ過ぎる。真っ直ぐ過ぎるから、きっと助けてくれと言えば簡単に了承するし、それに惜しみなく力を尽くすだろう。だから駄目だ。人と関わる事が得意ではない自分に多少強行的ではあるが、面倒を見てくれるセイバーと過ごす時間を僕は心地いいと思っている。そんな彼奴にこの危険な男と引き合わせてはいけないと脳が警報を鳴らす。こんな思いをするのは僕一人で充分だ。



 「彼奴は……セイバーは関係ない…………」
 


 これが美しい友情という物かと嗤う言峰が人の美しい物を美しいと認識するような人間ではないと分かっていた。それでもこの男から逃れる事は出来ない。あと数年、卒業までの我慢だ。それまでの間に身体が悲鳴をあげるか心が悲鳴をあげるか、どちらが先かそれとも同時かなんて分かる訳もない。
 ただ確かなのは、言峰の体温の暖かさだけだった。





愛玩少女の憂鬱
(最低のチキンレース)