この戦争が始まって間もない頃、ランサーと剣を交えた場所でセイバーはまたその剣を振っていた。ただあの時と違うのはセイバーの隣にはマスター代理であった姫君はいなく、その対峙する相手が槍遣いの騎士ではなく、黄金のサーヴァントである事だった。


 舞う砂埃、怒号にも似た盛大な轟音。
 ――それらと共に吹き飛んだ青年。


 吹き飛ばされたセイバーは、その圧倒的な力をその身に受けながらも、眼に映す闘志はまるで費える事はなく、それが逆に相手の興を誘っていた。
 ただこの英雄王と騎士王の交戦は、別段突然交戦という訳でもない。短くも長くもない戦争の中でサーヴァントとマスターは脱落していく。残った者は既に少なく、それはこの戦争自体が既に終焉へと近づいている事を表している。カラン、と金属が地に転がる音が鳴った。

 吹き飛ばされ、這いつくばったままのセイバーの頭を踏みつけ、英雄王は如何にもお誂え向きな表情でせせら笑う。その姿は残虐で、醜悪で、出来過ぎている。とんだ茶番だとセイバーは心中で罵った。



 「さて、――人形遊びは楽しかったか? セイバーよ」



 黄金のサーヴァントと対峙するセイバーは、その相手の言葉と共ににやりとその口角が上がった事を見逃さなかった。もしやこの男は全てを知っているのだろうか。セイバーの中で疑念が浮かび上がる。このサーヴァントは、自分と自分のマスターの現状全てを知っているのでは、それならば危害が及ぶのは、マスターである切嗣の方だ。



 「英雄王、…………マスターに何をした」

 「おいおい、決めつけるのはまだ早いであろう。我は何もしていないぞ? あの雑種の行く末を決めるのは、そうだな。――あの男次第だ」



 さぞ愉快だと言いたげに笑う目の前の男が憎らしい、セイバーは苛立ちを隠さず歯噛みする。目の前のサーヴァント――ギルガメッシュの言った「あの男」とやらが誰か、それを察せないほどセイバーは考えが足りなくはない。疑念は確信へと変わる。きっと、あの土蔵へは切嗣が最も恐れた男が向かっているのだろう、彼が切嗣を発見したらと、想像
しただけで忌々しい。

 尤もセイバーのそれは、マスターが殺されるかもしれないという危惧以上に、自分の大切なものを隠しておきたかったという小さな子どものような独占欲に等しいものだ。きっと彼は、――言峰綺礼は切嗣をいずれ見つけるだろう。彼が切嗣を殺すか生かすか、それは誰にも分からない。それでもセイバーを不安感に陥れるには充分過ぎる材料だった。あれが自分以外の眼に入れられるだなんて、考えるだけで悍ましい。
 最愛の彼女を喪った今の彼の世界には自分だけが在れば充分で、それ以外が介入する事は有り得ないと考えている。それが誰であっても、許されない。そもそも衰弱し始めている切嗣と恐らく万全の体制の言峰綺礼。二人が殺し合った所で、勝敗は決まっている。

 
 セイバーが踏みつけられたままにギルガメッシュを睨みつければ、その朱の眼は細められる。埒が明かない。この男にとっては聖杯戦争もただの遊興の一つに過ぎないのだろう。今のセイバーにはどうすることが最善の手段なのかを、測りかねていた。マスターが弱ってしまった今、あまり魔力を消耗してしまってはセイバー自体の存在にまで影響を及ぼしかねない。どうするか、屈辱的な状態を甘受しながら、セイバーは次の手を探っていれば、ずるり、と何かが流れ込んでくるような感覚がした。





 「――………っ  …………キリ、ツグ……?」



 堤防が決壊したように魔力が一気に流れ込むような感覚に、セイバーは寒気がした。衰弱し始めていたマスターから送られる微かな魔力をパスを狭める事で調節して使っていたというのに、この急激な魔力の増幅は、――ぞわり、と背筋が凍る。最悪の事態がセイバーの頭を過る。
 魔力の増幅、それはつまりマスターである切嗣が誰か他の魔術師から魔力供給を受けているという事を意味する。魔術師同士の魔力供給、――想像をするにも悍ましいセイバーの危惧は、想像の域を超えてしまったという事だ。

 まさか、まさか……と敵を眼前にしながらも狼狽するセイバーの表情は焦燥に駆られ、まるで見知らぬ土地で親を見失った子どものようで、更にギルガメッシュの興をそそった。



 「ほう、嫉妬に燃える姿もなかなかに面白い。全く、お前達は本当に我を楽しませる事に事欠かないな」



 ギルガメッシュはからからと笑い、踏みつけていた足を退かしそのまま姿を消した。まるでそれを自分の眼で確認してこいとでも言いたげに。焦燥と困惑だけを残し、自分はさっさと何処かへ行ってしまうなどと。増幅し続ける魔力に吐き気がする。焦る気持ちを押し殺すように、セイバーは旧家を目指し、駆けた。








 言峰綺礼はその土蔵の前で一人思案していた。魔術による結界が張り巡らされた土蔵から感じる僅かな魔力。恐らくここに衛宮切嗣が居るであろうが、如何せん感じる魔力が風前の灯に等しい程に弱い。もしや彼は、この土蔵で一人息絶えているのだろうか。
 思考しているだけでは始まらない、と綺礼は結界を破り、土蔵へと足を踏み入れる。開けた瞬間に漂う、血腥い匂いに綺礼は顔を顰めた。それは死臭とは違うもので、奥にいる物体はまだ生きている。性の名残を感じる匂いと、血と硝煙の匂い。この土蔵に於いて何が起きていたのかを雄弁に表していた。



 「……………っ、―――――」



 近づく影に切嗣は怯えるように言葉を紡ごうとしたが、その言葉が音になる事はなかった。目の前の男を目視し、それが自分のサーヴァントでないとわかると少しだけ安堵した切嗣だったが、それが自分の最も恐れているマスター、言峰綺礼であることに気付くと着崩れた服もそのままに、愛銃を手に取ろうと動き出す。
 だが、敵を目の前にしているというのに切嗣の動きは緩く、鈍い。そもそも愛銃はといえば、セイバーに「そんなモノを僕に向けられても意味がない」と放られたのだった。散々に犯され、甚振られた切嗣がその銃がどこにあるのかは確認できていない。武器を持たず丸腰で、無抵抗に甘んじなくてはいけない状況の切嗣と、万全の状態でやってきた言峰綺礼。勝敗は既に見えている。
 それでも切嗣は、出ない声を枯らし、対峙するつもりでいた。



 「貴様、もしや――喉を潰されているのか?」

 「――――――っ……っ……」


 
 切嗣が言葉を返そうとしてもひゅうひゅうと息が喉を通るだけで、それが音にはなる事はない。言峰綺礼は衛宮切嗣に訊きたい事がたくさんある、問いたい事もたくさんある。それなのに切嗣の惨状としか言いようのない光景を目の前にすると、何を先に回せばいいのか分からなくなる。
 必死に此方を睨み付け、少ない魔力で如何に自分から逃げるかを画策している切嗣を、警戒心の強い野良猫のようだと綺礼は思った。だが、このまま喋れない男に問うても意味がない。一つ溜息を吐いて、切嗣の首に手をかけた。



 「――――っ、………………かはっ」

 「チッ………」



 綺礼は純粋に治癒魔術を施すつもりであったのだが、切嗣としては敵にいきなり首に手をかけられるという事は死の危険を感じる。己の命の危険を感じ、抵抗しようとする切嗣をそのまま壁に押し付ける状態で、緩く首を絞めた。絞める、というよりは触れるに等しいくらいに優しく、その手は暖かい。錯乱しかけた切嗣も、その手が危害を及ぼすものではないと気づくと、抵抗をやめた。
 ひゅうひゅうと、空を切って音にならなかった言葉が段々と音になり始める。



 「けほっ……う…あ、………どう、して」

 「それは、貴様のサーヴァントの仕業か」

 「……………それ、って……なに、が」



 誤魔化す様に話を逸らす切嗣は言葉を発する事自体が久しいのか、慣れないように紡いでいく。答える気はないのだろう。そこで漸く綺礼は切嗣の姿をまじまじと見つめた。着崩れた衣服から見える肌には朱い痕が点々鏤められていて、その異様とも思える独占欲が手に取るように分かる。
 成程、高潔な騎士王もその実はただの人間に過ぎなかったのか、下賤な事だと分かっていたが綺礼は確信した。それにしては、些かやりすぎであるとも思えるが――ああいう手合いの方が感情を拗らせると厄介なのであろうか。



 「衛宮、どうやら貴様は魔力が枯渇し始めているようだが」

 「………それ、は」



 途端に弱弱しく口ごもる切嗣を見て、確かに分からなくもないと綺礼はこの場に居ないが切嗣をここまで甚振ったであろうサーヴァントに同意した。たしかに彼は嗜虐心をそそるものがある。それが悪徳だと思っている綺礼には切嗣をどうこうするという気持ちはなかったが、きっとあの騎士王も同じ事を思ったのだろう。



 「……声を、戻して、……くれてありがとう」


 
 けほけほと軽く咳をしながら切嗣は綺礼に一応は礼を告げる。一番に警戒していた敵であれ、自分の声を取り戻してくれたのはこの男の治癒魔術だ。気が進まなかろうと無下にすることは出来ない。



 「それで、君は僕を……殺すのか? 確かに、……今の僕と君だったら確実に君は僕を――――――っ、……なっ、なにを……」



 全てに於いて諦め、絶望したかのような切嗣の言葉を遮るようにぴちゃり、と態と水音を立てて切嗣の唇に綺礼は食らいついた。魔力供給だと言わんばかりに、存分に唾液を絡め、切嗣の口内を綺礼は凌辱する。絡みつく舌の熱が、水音が脳を、耳を支配していく。
 自身のサーヴァントによって暴かれた身体は、そんな愛撫にも満たない些細な行為だけでも反応してしまう。浅ましい、切嗣は内心で自分自身を罵り、この高まった熱を綺礼が気づかぬようにと必死に耐えたが、久しぶりに送られる魔力に、昂ぶる身体は我慢するまでもなく限界だった。



 「どうした? 衛宮……」

 「……っ、ふあ……」



 耳元で囁かれると、一気に熱が回る。脳髄に直接響くような低音に、切嗣の理性は焼き切れそうになる。どうしようもない、助けてほしい、だがしかし既に散々醜態は晒したとはいえ、初対面な上に敵同士の男の前で更なる醜態を晒せる筈がない。どうにか切り抜けようと、全神経を集中させて、身体の熱を逃がそうとする。
 そもそも切嗣には綺礼の意図が汲めずにいた。衰弱しきったマスターがサーヴァントも傍らに居ない、そんなもの、殺せと言っているようなものだと言うのに、何故この男は、声を生かし、魔力を与えたのか。



 「衛宮……」

 「ぅあ、………なん、だ」

 「それも、―――――貴様のサーヴァントの所為なのか?」



 切嗣を抱き込みながら、するりと切嗣の既に反応し始めた中心を脚で押し上げ、尻を撫でる。スラックス越しとはいえ、欲の高まった切嗣の身体にとっては毒でしかない。
 この男は何を言いたい、何をしたいのか。――否、綺礼の言わんとする意味は切嗣が一番理解している。



 「疼いて仕方ないのだろう、衛宮切嗣」

 「っ、……」

 「私に委ねろ」



 全てを委ね、その身を任せろ。身を差し出せと言わんばかりのその言葉は神のように慈悲深く、悪魔の様に底が見えない。それでも切嗣は、例え悪魔の囁きであったとしても、その手を取る意外に選択肢がなかったのだ。









noticed
(気づきたくない、)