微睡みから醒めれば、いつも強烈な虚無感に支配される。切嗣にとってこの瞬間は耐え難い苦痛で、何度繰り返しても慣れる事はなかった。全て夢ならばよかった。のろのろと起き上がりながら、何度も繰り返した事を思う。いっそこの全てが夢で、夢から醒めれば父さんが居て、暫くしたら手伝いの彼女がやってくる。そんないつもの光景を、いつも通りに、過ごせると、心のどこかで期待していた。それでも起きた切嗣を待っているのは殺風景な教会。
 今、この時間が夢であればいい。そう信じ込むように、切嗣は逃避と共に睡眠に耽っていた。そうして、いつの間にか夢と現実は逆転した。この教会に居る自分が夢の自分で、本当の自分はまだ、あの島にいるのだと。本当は違うと分かっている、分かっていても縋りたくなる可能性があるのなら、刹那の夢であってもそれを抱いていたい。いくら大人びていると評されようとも、切嗣はそれを一人で抱える事が出来る程、大人ではなかった。

 だが、切嗣を引き取った男はそれを許さなかった。逃避するように眠りに落ちる切嗣を彼は許さなかった。決して口数の多い男ではない、しかしその目は全てを語っていた。切嗣の行為、それは悪そのものであって、許される事ではないと。彼、――言峰綺礼は代行者である前に聖職者なのだから、当然といえば当然であろうが。
 ぼんやりと考えている切嗣の前に、いつの間にか綺礼が立っていた。ソファで夢と現実を彷徨う切嗣を壁に寄りかかって眺め、その感情を映さない瞳で淡々と話を切り出す。



 「暫く此処を開ける。食事は用意してあるから……」

 「…………」

 「また無駄にするなどという事を考えてはいないだろうな」



 綺礼の表情が少し険しくなるのを感じ、切嗣は小さく大丈夫だ、とだけ答えた。以前に綺礼が教会を開けた時に、用意された食事に手を付けず、捨てたことを差しているのだろう。激昂した綺礼を切嗣は初めて本能的に怖いと思った、同時に、この人にだけは逆らってはいけないとも悟った。だが本当は食事も、何もいらなかった。だって、ここは夢の世界だから。切嗣にとっての本当の現実は眠りに落ちた後の世界なのだから。
 最近では食べても吐くことは少なくなったし、きっと大丈夫だろうと切嗣が思案していると、ふと頭上から声が降ってきた。先程よりも声が近くなっている。





 「――――切嗣」

 「……――わっ、こ、言峰……?」



 名前を呼ぶ声と共にふわりと切嗣は軽々と抱き上げられる。その声は無機質なようで優しく響いた。軽すぎるな、と切嗣に聞こえるか聞こえないか分からない声で告げられる。うんと小さな子どもでもないのに、こんな風に抱き上げられるのは切嗣にとっては恥ずかしいものがある。いつも見上げていた綺礼の顔が同じ高さにあるのも、どこかそわそわと、落ち着かない一因だ。
 何故か居た堪れなくなって、切嗣は綺礼の肩口に顔を埋める。綺礼はそんな切嗣を気にも留めずに、そのまま言葉を繋げた。



 「よく聞け、切嗣。お前の失ったモノは戻ってはこない」

 「…………っ、…………そんな、こと」



 わかっている、わかっているんだ。本当は、ずっと前から、此処に来た時から分かっていた。それでもそれを埋める方法を知らなかった。自分に抱えきれない程の出来事が降りかかった時に、どう対処したら、どう乗り越えればいいかなんて、まだ幼い切嗣には理解の範疇を越えていたのだから。自然と心臓が高鳴る、どくどくと脈打つ鼓動は、泣いているようだった。
 ぽん、と軽く背中を叩かれる、まるで赤ん坊をあやす様に、軽く、等間隔のリズムで。



 「ならば、これからそれ相応のモノを見つけるといい」

 「……これ、から」



 見つけられるのだろうか、自分にも。くしゃりと頭を撫でた綺礼を見遣れば、今まで見たどんな表情よりも柔らかく笑っていた。それは切嗣にとって、世界を投げ出した自分への最後の救いの手のように見えた。










神様に出会えなかった少年
(差し伸べてくれた手は、)