何時頃からだろうか。衛宮邸の縁側に、猫が居付くようになった。真っ白で、サラサラとした毛並みのいい猫は、どことなく気品に満ち溢れている。のんびりと日向ぼっこをしていたかと思えば急にお転婆な行動に出る。切嗣はそんな猫らしい猫を見て、冬の城に居た彼女を思い起こしていた。
 最初こそ迷い猫の類かと思われたが、飼い主が見当たらないどころか、猫は首輪さえもしていなかった。こんなに綺麗な毛並みを持っているのだから、どこかで大事に育てられていたのではないのだろうか。飼い主が見つかるまでは、保護してあげよう。どうせ猫は気紛れだからきっとすぐにどこかへ行ってしまうだろう。

 「じーさん、この子の名前どうしようか」

情が移るから名前は付けない方がいいのだろうが、それでは呼ぶときに困ると一蹴されてしまえば切嗣は返す言葉もない。期待に満ちた息子の表情と言葉に圧され、ぽつりと、切嗣本人も無意識に、それでもはっきりとその名前を呟いた。にゃあと一つだけ鳴いた猫に「気に入ったみたいだ、アイリ」と息子――士郎は笑った。何も知らない養子と、嘗て愛した彼女の名前をした猫。最初から奇妙だった同居生活は、更に奇妙に、歪になっていく。尤もそれは切嗣にとってだけであって、何も知らない子どもと猫は、ただその生活を全うするだけで精いっぱいだったのだが。
 猫は切嗣によく懐いていた。暖かい陽が差す午後、縁側に座り、本を読む切嗣の隣に寄り添うように隣にぴったりとくっつく猫。そのまま昼寝をしている姿を学校から帰って来た士郎が見て、思わず吹き出してしまうくらいに、一人と一匹は仲睦まじかった。

士郎が居ない時間、猫と切嗣二人だけの時間に、自然に猫へ話しかけている自分が居る事に気付いて、切嗣は苦笑した。内容は至って他愛のない事だ。「今日は暖かい」とか、「庭の花が咲いた」とかそんな、ありふれた出来事を。きっと、自分は彼女ともこんな生活をしたかったのだろう、そう切嗣はどこか他人事のように思う。ゆるやかに流れる時間の中で、彼女が行きたいと願っていた外の世界で、見たいと言っていた景色を見て、一緒に笑って、そんな人並みの生活をしたかったのではないのだろうか。
 思い出される彼女はあんなにも綺麗に笑っていたのに。それを、――僕は。



 『キリツグ』



 「―――――ッ!」

 夢を見ていた。優しく笑う少女のような彼女と、大切な、自分の娘。酷く寝ざめが悪い。荒い息を整え、額の汗を拭う切嗣の隣に居た熱がもぞもぞ、と動き、鼻の頭をペロペロと舐めだした。

 「……慰めてくれるのかい、アイリ」

 「……ごめんね」

 それが猫に対してなのか、今はもう居ない彼女に対してなのかは、切嗣にも分かっていなかった。それでも切嗣は荒い呼吸の合間に謝罪の言葉を口にする事しか出来ない。ごめん、ごめん、僕がもっと、僕が、――。
 どうあればよかったのだろうか。自分はどう在ればよかったのか。過ぎてしまった事を思い起こし断罪を乞う事も、それすら罪に等しい。泥の汚染はきっと、こうしている間にも進行しているのだろうと切嗣は実感し、自嘲した。脆弱になったのは身体だけでなく、精神も然り。切嗣の届かない言葉に猫はただ一言、小さく鳴いた。










いつかどこかで
(君に逢えたら)