死ねよ、そう笑う表情には一滴の曇りもなくて、むしろ清々しい微笑みだった。
大多数の人間の群れを俺は知らない。家族と、よく世話になる医者と、医者の息子の変態。狭い世界で生きてきたと言われればそれまでだけれど、そもそもこんな俺が広い人の輪に入れるかと逆に問いたい。答えはノーだ。人でないものが人の振りをすること自体、おこがましくて罪だと言うのに。



「……」

「ねぇねぇシズちゃん、早く死んでよ」



当然とばかりに笑うノミ蟲にも嫌気がさす。両親はどこまでも普通の人たちだったから、普通に愛してくれたし、弟の幽も同じだ。そんな生ぬるく育った化物に嫌悪したのか、ノミ蟲は、小さい子供に言い聞かせるように絶望を説いた。難しい事が嫌いな俺にも分かりやすくと言いたいのだろうか。噛み砕くように、丁寧に説明した。この世界を、俺の異常を。
ならばここから落ちれば死ねるだろうか、俺じゃあ無理かな、きっと掠り傷で終わってしまう。丈夫なのも考えものだな、だけどここなら、ここからなら、きっと終われる気がする。もう俺はどうだっていい、お前の愛する人間達になりたいなんて思わない。ただ、ただ静かに暮らしたいだけだったんだよ。



「じゃあな、  」

「え」



その先の青に向かって、俺は勢いよく飛び出した。大量の水が溜められていたそこは、空から落ちてきた予期せぬ物体のせいで、轟音を立てて水をひっくり返した。消えていく景色の中で、水面に手を伸ばしたら、太陽が掴めるような、そんな気がした。







「……うそ」

「凄いねえ静雄は、普通だったら肺が圧迫されて死んでるって言うかそもそも屋上からプールに飛び込んで生きてること自体が奇跡だよ」



けらけら、と新羅は笑う。それに対してシズちゃんは新羅を一瞥してめんどくさそうにため息を着いた。俺はといえば、何も出来ずに立っているだけで、言葉を必死に探していた。



「人体構造とかじゃなくて静雄君のそれはきっと精神的な原因だろうからね、何にせよリハビリ次第だよ」



頑張ってね、と笑い、じゃあセルティが待ってるから、そう告げて部屋を出た新羅にシズちゃんはコクリとだけ頷く。感情全てが抜け落ちてしまったようなシズちゃんに、言い知れない恐怖を感じた。誰だこいつは。俺を見て殴りかからないなんて、地獄の底から這い上がるような声で怒鳴らないなんて。やめろ、やめてくれ。俺を、そんなからっぽな眼で見るな。感情を灯さない双眼はビー玉のように透き通っているのに、どこか濁っている。
不意に人間になることと引き換えに声を失った人魚の話を思い出した。あぁ、人魚だって化物だ、美しい海の魔女は海で生きれなくなって、陸でも居場所を失って、そして。



「許さない」

「…………」

「勝手に消えるだなんて、絶対に許さないから」



だから、またその声でノミ蟲でもなんでもいいから呼んでよ。だって聞こえなかったんだ、シズちゃんの最後の言葉が、俺には聞こえなかったんだ。情けなくも縋りつくように喚いた俺を見つめるシズちゃんの唇は、それでも言葉を紡がなかった。










泡沫の恋
(消えないで)