「いい加減悲劇の加害者ぶるのはやめたらどうだい、モッチー」



出会い頭に王子様は人の右頬を思い切り殴ってそう溜め息混じりに吐いた。僕は暴力は好きじゃないんだよ、と宣った王子のストレートは十分に重たかったけれど、まぁ言い返す言葉は見当たらなかった。加害者ね、確かにその通りだ。
一時の油断ないしそういったものが命取りになることは多々ある。ましてや真剣勝負で人間同士の戦いだ、少なからず相手に怪我を負わせてしまう後ろめたさはある種割り切っていた筈なのに。こうも罪悪感に苛まれるのは、まだ若い彼の選手生命を奪ったからだろうか。

その時の事は正直あまり覚えていない、脳が拒否反応を起こしているからか、思い出すことも出来ない。一つのボールを競り合って転んだのは同じだったのに、立ち上がったのは俺だけで、差し伸べた手を取れない程に椿くんの顔が苦痛に歪んでいたのと、審判のホイッスル。結局その後試合がどうなったかさえ曖昧だった。



――殺す気で、とまではいかなかったけどあれがの俺の精一杯です



力不足ですね、と笑う椿くんに飼い主は溜め息をついて呆れた。診断結果を椿くんは知っているんだろ? それなのにそうやって笑ってるとか、バカじゃないの、走るどころかもう歩けないのに。それなのにバカな椿くんはいつも俺やETUのチームメイトの心配ばかりしている。きっとこの情けない傷にも彼は気付いてしまうんだろう、犬と呼ばれるだけにそういった嗅覚は良いようだから。



「持田さん?! それっ、どうしたんですか?!」

「王子様に殴られた」

「え……どうして」

「いいの、俺が悪いから」



案の定気付かれてしまった。あまり追求されたくないし何か情けないからフードを深く被って誤魔化す。唇が切れたのか、喋ればピリ、と痛みが走る。椿くんは絆創膏を差し出して来た。その気遣いを無下にするわけにもいかないから受け取ると、椿くんは少しだけ言いづらそうに口を開いた。



「あの、持田さんにお願いがあるんです」

「……なに」

「こんなことに持田さんを付き合わせるのは違うって分かってるんですけど、俺が、ビビりなのが悪いんですけど」



お願いしますと頭を下げられる。そんな事しなくても椿くんの願いなら何でも叶えるのに。もしそれが同情ないし罪悪感から来ているのなら直ぐに彼から離れてくれないかな、と王子様は笑わない目で言っていたけど。
わかんねえよ、確かに最初は酷い罪悪感から側に居たかも知れないけど、今では一緒に居ることで救われている部分もある。
酷い話だ、一番辛いはずな彼を俺は救えないのに、勝手に傷付いた俺は彼に救われているだなんて。






深夜と言うにはまだ早い、日付が変わる少し前、俺達はETUの本拠地の前にいた。外出許可はちゃんと取りました! と屈託もなく笑う。そもそもETUのグラウンドに他チームの俺が入って良いのだろうかと考えたけれど椿くんは自信満々にこっそり入れる裏道があるんです! と紹介してくれた。本当に変な所でタフだなぁ、のろのろと車椅子を押しながらグラウンドに侵入する。いくら弱小クラブとはいえ、ここのセキュリティは大丈夫なんだろうかと少し心配してしまう。

芝に椿くんを下ろすと嬉しそうに笑った。
持ってきたボールをコロコロと転がして、何をするわけでもなくてどうでもいい話をする。ぽつり、ぽつりとここでの思い出を吐く椿くんは、何かを決意しているようにみえる。




「椿………と…持田?」



声がする方を振り返ればコンビニ袋を持った達海さんがエイリアンに遭遇したような表情をしていた。なんか珍しい、そりゃ驚くか。達海さんを見るや否やああああああのすみませんでしたちょっとだけグラウンドに居たくてすみません、と良く分からない弁明を始める椿くんの肩を抱いて立ち上がらせる。感覚もないくせに、芝に足を触れると嬉しそうに笑う。軋んだのは最近は調子が良かった脚か、心か、両方だった。



「怒ってないっていつも言ってんじゃん」

「ウ…ス、」

「うん、なんか、久しぶりな感じだね」



沈黙が流れる。ポツリ、ポツリ、と空から大粒の雨が降ってきた。二人とも風邪ひくから中入りなよ、と言う達海さんの言葉を珍しく遮った椿くんの手は小刻みに震えている。きっと何度も何度もそうやって一人で震えていたんだろう。言葉にするって事はつまりは認めてしまうことだから、それに伴う感情を俺はあまりにも良く知っている。ビビりなんかじゃねえよお前は、握った手に思わず力を込めれば震えが止まったような気がした。



「監督、」

「……」

「もう、自分じゃココに立てないんです」

「………………うん」

「俺、最後まで下手くそでした、けど」



俺を使ってくれてありがとうございます。ETUでサッカー出来て楽しかったです。そう笑う椿くんは儚くて綺麗で、何より誰よりも強い一人のサッカー選手だ。
椿くんが頭を下げれば達海さんは小さくそっか、それなら嬉しいや、と呟いた。



「……ほら、風邪ひくから中入るよ」

「、ウス!」



椿くんを車椅子に乗せて、クラブハウスに向かう途中、グラウンドに転がったボールの存在を思い出す。振り返ったボールが一つ転がったグラウンドに、7番のユニフォームを着た背中が見えた気がして。その彼の姿を忘れまいと目を閉じれば、どうしようもなく声を上げて泣き出したくなる。俺は、きっともう君みたいな選手には会えないんだろうな。



「どうしたんだよ持田、風邪ひくぞ?」

「あ、いや」

「……持田さん?」



「うん……、なんでもないよ」



拾い上げたボールを椿くんの膝に置く。今、俺が抱く感情には同調も同情も微塵もない。罪悪感がなくなったと言えば嘘になるけれど、見上げる純粋な目が愛しくて、くしゃりとその少しだけ濡れた髪の毛を撫でた。














雨に流されてしまわないように
(その残像は、笑っていたよ。)


title:伽藍