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 私と風見裕也という男が出会ったのは、小学生の時だった。隣に引っ越してきた家族に、同級生の男の子がいると聞いて、幼馴染の男の子という存在に憧れていた私は胸を躍らせた。実際に会ってみると、眼鏡をかけたその男の子は気難しそうで、少女漫画のヒーローのような男の子を思い浮かべていた私は、正直ガッカリした。
 しかし彼は、運動をやらせてみれば何でも一番、勉強もでき、誰にでも優しく、たちまちクラスの人気者になった。ただ、どんなにちやほやされようとも、ただひたすらにまっすぐ前を見て、えいえんと背筋を伸ばしているような子どもだった。
 六年生の時、一度だけ、バレンタインにチョコレートを送ったことがある。お母さんと一緒に作ったチョコ。お母さんが、お隣さんにも持って行きましょうねと言うから、そのトリュフをラッピングして隣に持って行ったのだ。扉を開けた風見裕也は、にこりともしない代わりに、その場で食べた幼稚なチョコレートに対し、「ありがとう、美味しい」と感想を述べた。
 中学生になった。勉強もスポーツもできる彼は、しかし教室の隅でひたすらと本を読んでいるような子どもだった。能力があるのに、不思議と目立たない。反対に私は、校則違反のシュシュをつけて、短いスカートで冬を寒がって過ごすような子どもだったので、彼との接点は皆無と言ってよかった。それこそ、時々回覧板を渡しに行くくらいの。いつ尋ねてもインターホンに出るのは彼で、両親はほとんど不在だった。
 ある時、私の両親が仕事で不在だった日のことだ。一階からも二階からも何の物音もしない、ガランとした家はどこか空虚で、なんとなく、家の中の酸素量が多すぎて逆に息がしにくいような気がした。とりあえず外に出ようと、ご飯を買いに行くためにコンビニへ行くという用事を作る。家の扉を開ける。隣からは、ごま油のいい匂いがして、気づくと私はコンビニではなく隣の家の扉の前にいた。何分くらいそこにいたのだろうか。唐突にドアが開く。まるで自動ドアみたいに。
「何か用か」
 彼が言う。家の中なのに、調理実習みたいに、黒いエプロンをつけていた。私の親は料理の時にエプロンなんかつけない。
「お腹、空いた。今親、いなくて……」
「コンビニにでも行けばいいんじゃないか」
「うん。私も、そう思ってたとこ」
 そのまま、コンビニに行けばいいのに、何故か私の足はそこで止まったままだった。
「炒飯、食べる?」
 風見裕也は、言った後で、心底後悔している、みたいな顔をした。
「食べる」
 そうやって、気づくと私は、大して仲良くもない幼馴染の家に上がりこんで、彼の作ったチャーハンを食べていた。ご飯がパラパラで、胡椒がきいていて、卵がフワフワで、腹が立つくらいに美味しかった。
「ありがとう、美味しい」
「そうか」
 それ以来、彼とは一回も話さず卒業した。高校は別々だった。

 それから何年も経って、私は就職し、一人暮らしをしていた。一人暮らしで料理なんかする気も起きないので、今日も夕食をコンビニに買いに行く。なんとなく麺の気分だったので、カルボナーラにしようと歩きながら考える。
 その時、なんでそっちを向いたのかは分からない。ただ、視線が引っ張られるように、二車線の道路を挟んだ向かい側の歩道に、彼がスーツで歩いているのを見た。最後に会ったのはもう何年も前なのに、何故だか彼であると確信していた。
 なんの気構えもなく呼びかけようとして、口を開けて、彼の名前を呼んだことがないことに気づいた。それでも、歩いて行く、遠ざかって行く彼を見て、呼び止めなくちゃいけないという固定観念が私の中でぐるぐると回っていた。
「風見裕也!」
 飛び出した下手くそなフルネームは、それでも彼を振り返らせるのには十分な声量を持っていた。その顔を見て、たしかに大人になったと思うのに、やっぱり変わっていないなと思うのだった。大した関わりもなかったくせに。
「あのね!…あの、」
 道路を挟んだまま、なんの計画もなく、ポンポンと言葉が口から出て行くので、考えるのを諦めて私は体に身を任せた。
「チャーハン!美味しかったから、また、作って!」
 やはり、彼は、にこりともしないで、ただ、黙って26度くらい頷いた。そのまま、前を向いて、背筋を伸ばして、振り返らずに去って行く。その時私は、きっともうあの美味しいチャーハンを食べられることはないのだろうと根拠もなく思った。セブンイレブンでは、ドリアを買った。

 人づてに、彼が死んだらしいと聞いた。警視庁に勤めていて、業務中に亡くなったのだと。私は時々、チャーハンを作る。ご飯が固まって、ちっとも美味しくないチャーハンを。もうきっと、美味しいチャーハンは二度と食べられない。もしも、あの時中学生の男の子が作ったチャーハンよりも美味しいチャーハンを食べてしまったら、きっとあの時寂しさをかき消してくれたその味を、忘れてしまうだろうから。




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