半年前、俺は仮釈放という形式で、この街に戻ってきた。刑務所に収容された期間は日数にして1000日弱、始めの方はしつこく尋問を受けたが体罰もなく、ほとんどの期間は再教育プログラムをぼんやりとこなして終わった。(命を軽んじた人身取引を取り仕切る組織の長であったのに、昨今のセキュリティはどうにも甘すぎやしないだろうか。)セキュリティの護送車から降り、この地域特有の乾いた地面を踏みしめ、ざらついた空気に触れても、郷愁のようなものは一切湧いてこなかった。俺はここの生まれではないし、鉱山の権利闘争に明け暮れた日々に思い出もくそもないので、今後の自分の面倒を任せられているという町長と話をつけたら、少しばかり金を借りてさっさと出て行くつもりでいた。約3年ぶりに歩いた町の雰囲気は、“クラッシュタウン”とはまるで違うものだった。あの頃の淀んだ閉塞感は存在せず、軽快な笑い声がどこからか聞こえてきた。建物の配置が変わっていなければ東南に役場があったのを覚えていたので、俺はそこを目指してけだるげに足を進めた。大通りに
出ると、いくつか商店が並び、住民が往来し、そこかしこが楽しげな話し声で賑わっていた。無気力で、悲壮に満ちた表情をしている者は誰も居ない。それがただ鬱陶しく、俺が足を速めようとすると、向かい側から歩いてきた恰幅のいい女が声を掛けてきた。
「あんた、見ない顔だね。どこから来たんだい?」
一瞥し、俺は返事もせずに歩き出そうとする。
「この街は良いところだから、ゆっくり――」
なおも女は言葉を続けようとしたが、不意にそれは途切れ、ぎょっとしたように目を見開き、俺の顔をまじまじと見た。
「ま、まさかあんた……!」
女はわなわなと震え出し、俺から後ずさる。その様子に気づいた住民たちも立ち止まり、俺を振り返る。一目見て分からないものなのか。肩をすぼめてため息をついたあと、俺の只今の身なりを思い出す。セキュリティから支給された服は白だの青だのが基調とされていて、黒い服ばかりを身に着けていたあの頃の俺のイメージとはかけ離れているし、伸びっぱなしになっていた髪は、出所する前にセキュリティの節介で短くされた。余計な混乱を招かないよう帽子も被らされていたのだが、こうなってしまえば何の意味もない。周囲のどよめきが大きくなり、いよいよ苛立ちがつのる。先ほどまで腑抜けた顔で安穏と笑っていた住民たちは、憎悪と畏怖の入り混じった表情で俺を見る。ようやく懐かしさが芽生え、俺はひくりと口角を上げる。そうだ、お前たちには、そういう顔が似合っている。人だかりの中心に佇んでいたが、先を急ぎたいので一歩踏みだす。たったそれだけの動作に住民が身構えるのが滑稽でたまらなくて、思わず笑い声をあげそうになったところで、声が響く。
「こら、何やってんだ! 迎えに行くから入り口で待つように言ったろ」
ああ、やっぱりあんた、町長になったのか。人垣を掻き分けて自分の元に歩み寄ってくる青年。顔つきも、声の張りも、話し方も、素振りも、俺のよく知る“死神”とは全く似つかない。
「鬼柳先生、ですか」
「よう、おかえりラモン」

***

この街を早々に立ち去るのは何より俺自身の希望であったし、ついでに言えば住民の精神衛生を考慮しても優先されるべき選択肢だったのに、町長の許可は下りなかった。どうやら「少しばかり金を借りて」という部分が駄目らしい。絶対返って来ないから、と言われれば、反論の余地はないのだが。町長いわく金が欲しいなら役場で働いて金を稼げということだ。それならば金はいらないからと言えば、セキュリティに任されている以上、杜撰な対応をすれば町長が罰せられるという。夜中に勝手に出て行くことも考えたが、それを見越して、脱走したら指名手配する、と脅されれば、面倒事が嫌いな俺は大人しくこの街に居座ることを渋々承諾した。町長の雑務の補佐を任され、はじめは執務室や資料室、郵便局などの公共機関を行き来するだけの日々が続き、住民が落ち着いてきたら買出しなども頼まれることが増え、今に至る。のらくらと過ごす毎日の中、俺自身に特別な変化はない。町はインフラや流通がこの地方の平均水準まで整い、治安も良い。それでもやるべき仕事はまだたくさんあ
るので、就労に困る者もなく、住民の暮らしは安定している。最近になって、ようやく教育や福祉に本腰を入れることができるようになったそうだ。
「つかれた」
「今夜は気温が低いから、ソファで寝たら体調崩しますよ」
23時を過ぎたところでようやく、町長は今日の仕事を終えた。役場の休憩室でコーヒーを飲んでいたかと思えば、窓の外を見て雨が降っているのに気がつくと、帰宅する気力をなくしたようにソファに沈み込んだ。虚空を見つめていた月のような色の瞳が、俺に焦点を合わせる。それから脇に突っ立っている俺の方におもむろに手が伸ばされる。その手をそっと取り、体温を分けるように優しく握ってやれば彼が満たされるのを分かっていながら、俺は素知らぬふりでその色の悪い指先から目を逸らす。
「ストレスたまった。出したい。なあ、ラモン」
町は、過去の面影を忘れながらどんどん綺麗になっていく。一方で、その町を象徴し、牽引していくリーダーでありがながら、彼の本質や根底に潜む陰は、いまだ変化することも薄れることもない。この青年は、さみしさの上手な殺し方をいまだに心得られずにいる。どういうつもりで俺みたいな男に縋るのかは、死神の雇い主だったのだから察している。それで俺は、彼を“先生”と呼ぶことをやめられない。何も言わない俺に痺れを切らしたのか、先生はソファからわずかに身を起こし、俺の手首を掴んで強く引っ張った。仕方がないので俺はソファの傍らに膝をつく。間近で顔を見ると、先生は思ったよりも欲情しているようだった。性欲処理くらい一人ですればいいのに、なんて疑問は先生の前では意味がない。
「お疲れじゃないんですか。俺も相当疲れてるんで、帰って寝たいんスけど」
「死ぬほど疲れてるから種付け機能がフル稼働されてんじゃねーの?特別手当出してやるから付き合え」
「種付け機能?種族保存本能みたいなアレのことですか」
「知らねえよ。そんなんいいから、はやく……」
そう言って俺の上着を脱がすために伸ばした手が届く前に、先生をソファに押さえつける。公共物の上で事に及ぶことを気にかけるようなモラルは、残念ながら備わっていなかった。

(あーあ…)
だめだ。また気がついた時には、すっかり引き摺りこまれている。俺は本当にへとへとで、先生を放って帰宅しようとしていたくらい、頭の中は睡眠欲に支配されていたはずなのに。今は、先走りでぬめった手のひらを、ためたものを吐き出させるために動かしている。先生のつま先に力が入り、断続的に声が洩れてきたので、そろそろだろう。快感と相俟って、躁状態に入りつつある先生をみて、愉悦すら感じている自分がいる。気に食わない。そう思ったら、ほとんど衝動的に、先生を暗いところに突き落としたくなった。頭で考える前に言葉が口から洩れる。
「たしか、あの日もこんなふうに雨が降っていましたね」
「……んっ、は…っ……あ…?」
「憶えていますか?」
先生の意識は快楽を追いかけて、俺の言葉はあまり認識されていない。タイミングを見計らって、尿道口に爪を立てる。先生がひゅっと息を吸い込むのと同時に、俺は禁句を口にした。
「命日、ですよ」
直後、芝居の演出のようなタイミングで雷鳴が轟いたのが、なんとも滑稽だった。
先生は目を見開いて、呼吸を忘れたまま白濁を滴らせた。意識と感覚が乖離しているためか、勢いがない。
一、二拍おいて、呼吸を引き攣らせながら、痛々しい瞳で俺を凝視する。
「んで……なんで知って……」
「なんでって、一緒に葬ったじゃないですか。俺がここに帰還した、あの日の夜に」
先生の意識は、数年前のサテライトに飛んでいるのだろう。(ここだけの話、俺は先生の一度目の命日が雨の夜だったということを知っている)しかし、今指しているのはつい半年前のことで、先生は見事に俺の悪意に引っかかってくれた。俺は訂正の意を込めて、もう一度ゆっくり言う。
「あなたの、美しい思い出の、命日ですよ」
鼓膜をすり抜け、頭蓋を叩く雨音が、過去の記憶とリンクする。
風も温度も感じない夜更け、雨をじっとりと服に染み込ませながら、先生は街の入り口に立っていた。センスの悪いネーミングを恥ずかしげもなくひけらかすように高々と掲げられた看板を、一人で見上げていた。
あの日――これは、サティスファクションタウンが生まれた日のことだと思う――、ここからこうしてあいつらを見送ったんだ、と先生は語り始めた。
「俺の両脇にニコとウェストがいて、遠ざかる背中をしばらく追っていた。離別、って意識はなかったな。よし、やるか。そう呟いたら子どもらが嬉しそうに頷いた。そこから今日まで、すべての出来事を覚えきれないくらい忙しかった。頭の整理が終わらないうちに次の日が来るんだ。世界の終焉だとかで相当騒いだ時期もあったが、それも一瞬のことで、終わりって聞いて何を考えたかとか、もう思い出せねえ。もしかしたら何も考えてなかったのかもな。あいつらと最後に連絡を取ったのがいつだったかも覚えてねえ。別れたあとから一度も連絡を取ってないってこともありうる。あいつらのことは、好きだぜ。サテライトでの生活はこの上なく楽しかったし、あと100万回生まれ変わっても味わうことのないくらいの絶望や憎しみも知った。なのに、記憶はどんどん風化して、今は、名前の付けようのない、感情の残滓みたいのだけが残ってる。どこに捨てればいいか分からなくて、気持ち悪い。……。いや、別にいい、そのことは。」
「俺がお前をここに呼び戻したのに、打算とか同情とか、そういう理由はねえ。だからって、昼もいったが、ここから出ていくのは承知しない。俺は、お前に雇われていた。お前は俺の絶望の一番近くにいた。それだけのこと。だから、」
――呪われてくれないか、一緒に。
一言で言えばいいものを、くどくどと言われたせいで半分も頭に届かなかった。「つまり、絶望のはけ口になれってことですか」と尋ねたら、「そういうことでもいいや」と、また曖昧な返事しか送ってこなかったので、それ以上の追及はしなかった。
「いいですよ」俺は逡巡もせずに答えた。「その代わり、サテライトに関する思い出をすべて墓に葬ってくれませんか」と、ひとつ条件を提示して。
そうしてあの夜から、性懲りもなく俺と先生の関係は続いている。

「思い出は、全部殺すって約束したくせに」
先生の萎えてしまったそれとは対照的な俺の劣情を、下腹部になすりつける。腹の底が妙に苛々するせいなのか、信じられないくらいに興奮している。
「……う、」
「いつまで、彼の影を追い続けるんです?」
不道徳な色合いの液体を適当に塗りこめて、ずるり、挿入する。がくがくと腰をゆするうちに、苛立ちは快楽に呑み込まれた。
「あああっ……、ふ、うぅ、……っい」
「悪人にまで、世話を焼くような……っ、博愛主義なんて、あんたの柄じゃ、ない」
俺の処遇において、情状酌量により刑罰が減軽されたのであろうことは予測できていた。それを率先して取り計らったのが、先生なのだということも。俺に汲み取られるべき事情などない。貧乏人の成り上がりの末路は皆こんなものだ。ありふれている。サテライト出身の彼にすれば俺の生い立ちなど同情の余地もないだろうに。
余談だが、かの救世主がサテライト出身なのは周知の事実で、その存在は、今や神話のように語り継がれている。サテライト。たった数年前までは忌み嫌われていたのに、閉鎖的であったゆえにその実態を出身者以外は知らず、だから余計に神聖さが増すのかもしれない。夢見心地な若いセキュリティに、先生の言葉は美しい慈しみと得体の知れない説得力を感じさせたに違いない。若年層のセキュリティが、頭の頑固なお偉いさんを折れさせ、俺を始めとした“不遇によって潰された若い芽”を次々と解放させたらしい。それもまたひとつの改革で、先生はとことんそういう星の元に生まれた人なのだと思った。
だが、こんな措置は俺からすれば恩着せがましいばかりか、迷惑極まりない。現在、表面上は、俺は先生に仕えて地道に恩返しをしているように町の住人には見えており、不本意だし胸くそ悪いが平穏だ。
実際の俺は先生をぐしゃぐしゃにして、みっともなく腰を振るのを薄ら笑いで見ている。恩を仇で返しているなんて言われたら、そいつを殺してやりたくなるかもしれない。誰も頼んでいないのだ、こんなことは。押し付けもいいところだ。くそみたいな町に縛りつけられる身にもなってみろ。
(先生は俺を救いたかったのだろうか。彼が、先生を救ったように。)
「先生、……」
「はっ……ああ、んんっ、んー!」
収束して、爆ぜて、熱に浮かされた五感が急速に冷える。そして現実を取り戻すまでが、男の本能だ。
先生が、アレ特有の虚脱感でぼんやりしているうちに、先手を打つ。
「先生はもう許されている。俺は、最初から救いなんか求めていない。ねえ、そろそろ満足しましょうよ」
すべてはサテライトに帰結する。先生が過去を一切合切忘れてしまえば、俺に拘る理由もなくなり、俺はこの町から――あるいは先生から――解放される心算だった。そもそも、思い出を葬るという発想自体がおかしいのは言うまでもない。ただ、土に埋めてしまえばいいと思ったのだ。俺には、先生の不可侵の思い出ってやつが、鬱陶しくてたまらなかったから。
俺の言葉は、正しく先生の意識に届いたようだ。予想通り、悲痛な表情で俺を見る。
「ちがう……ラモン、おれは、ただ……、」
「先生、いつかは誰もが墓場に埋められる。だから、生きているうちは、生きている世界で、生きないと」
先生が掠れた声で言おうとした言葉を遮るためだけに出鱈目を呟いた。先生の痛みがうつらないように。おそらく、いつかの約束は裏切られたと思う。気がつくと先生は、死にかけの行き倒れみたいな顔色で眠っていた。尻穴から精液が垂れているところまで、初めて出会った日と酷似していた。
朝が来たら、手紙を書こうと思った。遠くの都市にいる救世主へ。
すべてが丸く収まる頃には、俺の刑期も満了しているだろう。

End.




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