蔓日日草




※鬼柳先天性女体化




ジャックがキングとしての道を進み、クロウがプロデュエリストのチームに入ると決め、アキが医者になる為に留学を決意し、龍亞と龍可が離れ離れだった両親と暮らす事を選び、それぞれがこの場所を離れた。海外へとそれぞれの道を歩みにいったのだった。
そうしてまたあの時のようにガレージで修理を受け持ち生計を立てていた俺の所に、久しぶりに鬼柳が訪れたのだった。その時から、なんとなしに定まってきた日常が崩れた訳である。



差し出した丸椅子に座り、鬼柳は道中に購入したらしいペットボトルのお茶を飲みながら「久しぶりだな」と笑った。本当に久しぶりである。WRGPが始まってから今まで、二年間、一度も会わなかった。時折、手紙でやり取りをしたくらいである。

「遊星にしか話せねぇんだこんな事」

「…?なんだ?」

一人分のDホイールを収めるのでは広すぎるガレージに、久しぶりに自分以外の人間がいた。それが親友であれば専ら嬉しく、遊星は昔程ぎこちなくない笑顔を鬼柳へ向ける。鬼柳は困ったように笑った。

「実は子供が出来て」

腹部を撫で、鬼柳は俺を見遣る。一瞬、誰にだ、と開きそうになった唇が止まった。再び聞こうと唇を開いたがその時には意味合いを理解して、なんと言うべきかと俺は珍しく冷や汗をかく。

「……誰の、子なんだ?」

「それがわかんねぇんだ」

「…………………」

俺は今とてつもない表情をしている筈だ。なんでかと言えば理由は一つで、正直な話鬼柳を見損なったからである。まさかそんなにまで無責任な人間だったのか。あまりにも管理が酷い。へらっと笑う顔に頭がかっとした。
親友の性癖に口を出すつもりはないが、しかしこればかりはなんとも情けない。

「鬼柳、それは」

「遊星」

身を乗り出し説教という訳でもないが一言言うつもりだった。しかしそれより先に鬼柳に名前を呼ばれ、そして表情を見て、言葉を無くしてしまう。鬼柳はへらっと笑っていた筈だった、のに

「言わせないでくれないか?」

泣いていた。眉根を寄せ、堪らないとでも言いたげに口元は自嘲に歪みボロボロと絶え間無く涙が落ちていく。
何を言わせないで、なのか、なんとなく悟ってしまって胸が痛い。そんなまさか、有り得ない、鬼柳に限ってそんな。いやしかしあの町はいくら改善されてきたとはいえ場所柄治安が悪い、だが、まさかそんな。

「……あんま思い出したくないんだ」

「……それは」

「いいだろ、宿り方は置いておこう、話はその先なんだって」

宿り方。鬼柳はそうして涙を拭ってから腹部を撫でる。あの町に鬼柳をよく思わない輩は沢山いるのだろう。チームを組んでいた時ですらそうで、しかし今みたいな状況にならなかったのは俺やジャックやクロウがいつも側にいたしチーム自体がサテライト中から恐れられていたからだ。
それと何より、あの頃の鬼柳の体は女性らしくとは言い難いくらいに未発達であった。しかし今はどうだろうか、髪は長く体は女性らしく凹凸を持って発達している。最低限のメイクしかしていないだろうに睫毛は長く、唇は綺麗に色付いていて、女性としての魅力は一般からすれば上に入るそれであった。
その結果が。…考えると胸が痛かった。相手は誰だかわからない。

「その先?」

「ああ。遊星、責任を負わせて悪いんだけどな」

責任。聞いて色々と考える。
出産するまで世話になるとか、子供の引き取り手を探して欲しいとか、子供を育てるのを手伝って欲しいだとか。
子供の誕生、いや、妊娠にすら立ち会うのが産まれて始めてである俺にはそれしか想像出来なかった。
しかし鬼柳が差し出した物は助けを求める言葉なんかではなく紙切れで、首を傾げる。

「…これは?」

「同意書だよ」

「?同意書?」

小さめなその紙を受け取ると案外しっかりとした造りの紙なのだと手触りで分かった。型紙のような質感で、どうやら本来封筒に入っているらしい。
そしてひっくり返して紙面を見て、息が詰まった。
確かに名前を書く欄と幾つかの質問がありサインを示す欄がある紛れも無い同意書だが、その紙の上部には「堕胎同意書」と書かれている。

「………鬼柳?」

「堕ろすには相手の同意がなきゃいけねぇんだ、でも、誰かわかんないから、だから、遊星って事にしてくれないか?」

「……鬼、柳」

指先が震えた。
堕ろす、と、そう言っただろうか。

「病院行ったらそれ貰ってな、でも強姦で出来たんですなんて言えないだろ」

「……鬼柳」

「ネットで調べてみたんだけど相手が本来の相手じゃなくても大丈夫なんだって、よくあるらしくって」

「鬼柳」

少し強めに名前を呼べば、鬼柳はようやっと俺へ目線をくれた。そんな上の空で怖い事を、語らないでくれ。

「名前とサイン書いてくれればいい、俺一人で提出しても大丈夫なん」

「鬼柳!!」

がたんと音をたてて、椅子から立ち上がる。細い鬼柳の肩を掴み、鬼柳の顔を覗き込んだ。鬼柳の涙はとうに渇いたらしかったが、今度は俺が泣いているらしい。鬼柳の膝へぱたぱたと涙が落ちる。

「……んだよ」

「ダメだ」

「まあ確かにこれ人殺しみたいなもんだしな、遊星が即オッケーするとは思ってないよ」

なんとも返し難く、俺は頷く事しか出来ない。鬼柳の胎内に今新しい生命がいるのだと、そう思うと何かすごく神秘的でならない。だがその子は死んでしまう、俺が同意書に名前とサインを記入したら。

「でもさ」

ぽつり。鬼柳が呟く、静かなガレージ内にそれは異様に響いた。
震える鬼柳の唇はかさついていて、震えは一向に止まりはしない。

「忌ま忌ましいんだ、消えないんだ、どんなに洗ったってこいつは消えないしどんなに忘れようとしたって腹ん中に居座る、どんなに愛しく思ったって」

一息に言い、鬼柳は腹部の服を握りしめた。ぎりりと音がする、破けてしまうと諌めると鬼柳の掌は俺の掌を掴んだ。

「どんなにこいつを愛しく思えたってこいつはあいつらの誰かの子なんだ、あんな、クズ共の子なんだ、血が繋がってるから似ていくし、俺の腹から出したって一生忘れられやしないんだ絶対に」

鬼柳は何を思い出しているのだろう。目の前に居るのは俺の筈なのに、見開いた瞳は何か違うものを見ていた。

「だから殺させてくれ、こんなの子供なんかじゃない、傷痕と一緒なんだ」

鬼柳がSOSを叫ぶのはとても珍しい事だ。どんな時でもパンクしてしまうのではというくらいに自分で抱える、だから、今回の事がいかに鬼柳にとってつらいのか。痛いくらいに伝わる。
何人もの男に蹂躙され、怖かっただろう。そんな奴らの子を宿したのは、怖いだろう。だが、やはりダメだ。子供に罪はない。

「っゆ、せ…?」

ぱしんと、縋り付く鬼柳の頬を叩いた。力はこもっていないが、だが、叩かれたという事に鬼柳は絶望している。俺を見上げて虚ろな目からぼろりと涙を零した。

鬼柳はまだ21歳で、初恋すらしているか怪しい。考えた事もなかったが下手したら処女だったのかもしれない。

腹の中に新しい命がいて、それを、殺さなきゃならないだなんて。一人で抱えなきゃならないだなんて。

あまりにも辛いだろう


「俺がこの子の父親になる」

そんな辛い事を鬼柳にやらせたくはなかった。相手がどんな人間で、どんなに辛かった過去だろうと鬼柳の血をも継いでいる子供を殺すなんて。あってはならない。

「俺が鬼柳を一生支える、だから」

涙が溢れて止まらない鬼柳の体を抱きしめる。嫌だと呟く体を撫でて、まずは落ち着こう、と返した。

「殺しちゃいけない」

行為への肯定でなはく意見への同意だろう、鬼柳は何回も何回も頷く。腹を庇うように丸くなる鬼柳は嗚咽を堪えずに泣いた、鬼柳のこんな弱気な姿は初めて見て、とても安心した。





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つるにちにちそう(蔓日日草)
花言葉は「朋友」