10







自分の家からだとラモンの家へは5分かかるか、かかからないか、といった距離だ。ラモンの家と言っても、宿場を設けられた一角にあるアパート形式の建物にある一室である。本来ならルドガーも此処の一員になるべき場所、つまり、作業員の仮住まいといったところだ。
夕方から世界が始まるような形であったこの町は、あの時は夜が昼のような騒ぎだった。しかし今、この時間帯であれば外を出歩く人間なんて少し羽目を外したい酒飲みくらいである。平和だ。今日はセキュリティの巡回の来る日ではないから、些か皆自由な雰囲気を感じるが。

あの頃じゃしやしなかったが、こうして悠長に見上げてみればこの町から臨む星空は綺麗である。ぐわっと飛び掛かってくるような錯覚を起こすくらい、夜空が広く暗く綺麗だ。黒は、落ち着く。これはまだダークシグナーだった頃の習性が残っているのだろうか。
コートのポケットに手を入れたまま空をぼーっと見る。転ばないように、とは気をつけながら足元へとたまに目線を遣った。
正直、足取りは重い。

(…ルドガーと、何、話すかとか…)

考えるだけで何か気も重くなった。ルドガー相手に何をすればいいのか、最近はよくわからない。ダークシグナーであった時のあの態度ではもう居られない、不躾で粗暴でがむしゃらで……何より我が儘だ、誰も信用しないと豪語しながら、誰かに構って欲しいと叫び、ルドガーにしがみつく。そんな態度はもうしたくはないし、ルドガーに嫌われたくもなかった。
しかし慎重に言葉を選べば選ぶ程に言葉を間違えてしまいそうで恐ろしい。でも選ばなければそれはそれで、だ。
…俺がいない方がいいんじゃないだろうか。この町にルドガーの事を知っている奴は俺しかいないし、ルドガーにとって新しい人生を歩む事が帰って来た理由だとするならそれは、俺は、邪魔なんじゃないだろうか。…それでも愛しいのだから仕方ない。見守っていたかった。

ああもうラモンの家の一帯も目の前だ。ポケットから手を出し、歩きながら深呼吸をする。大丈夫だと一回頷いてなんとか良い気分で、いつものような笑顔で行こうと胸を張った。
と、同時。ざっという砂を少しばかり蹴り上げたような足音に気付く。一般の町人かと気にしなかった音であったが、数回目だと少し気に障った。それに音が真後ろから聞こえる、気もする。す、と血の気が引いた。嫌な感じがする。

どうするか、さっさとラモンの家へ向かうか。瞬時に考えて目の前に見えて来た建物を見上げて走り出す。何か偶然で男が勘違いしているだけで、後ろにいる人間が変に思ってもそれはそれだ。ジョギングのような軽い走りから始めて速度を付ける。が、瞬間背後から舌打ちが聞こえた。何だ、と考えると同時に聞こえた足音と一緒にぐっと左腕を強く引かれる。反動で背後を仰げ見れば、そこには見覚えのあるような、ないような。長身の男がいた。後ろにそいつの三人、男がいる。

「っ…なにすんだ、よッ」

手首が捻られており、痛い。ぎちぎちと痛む手首を見遣り、即座にラモンの家の方角を見る。振り切って走れば、いや大声を出せば。考えるも後ろにいた男、二人に頭から抑え付けられてしまう。押し付けるように掌で口元を塞ぎ、捻った手首はそのままに両腕を背中に纏められた。
これはやばい。少しばかり焦ってなんとか抵抗をと動く足をバタつかせるも、一人の腹を蹴り上げた感覚がしただけで、同様に抑え付けられてしまった。
――思い出した。目茶苦茶に抑え付けられ塞がれてしまい片目だけで男を見上げる。早く運ぶぞと小声で言う正面は、かつてマルコムグループにいた男だ。
俺が町長に就任した際、反発組とばかりに俺に抗議した奴。その時はそういう輩が何十人といたが、今では確か、そう、ラモンが言うには四人らしい。他は毎日の俺の説得になんとか応えてくれて、今では作業員をやっており中では好感的な奴もいる。

(…ああ…四人、か)

手を抑える奴、足を抑える奴、口元を抑える奴、指示を出している奴。四人に引っ張られながらぼんやりと考える。酒場も近くにない住宅地の町外れ、夜という事で誰も通りはしない。

――なんと説得しようと俺の手を取らなかった奴らが居た。人殺しがよく言うぜ、と笑われたのはよく覚えている。
元マルコムグループで、今は作業員をしている奴にも郡を抜いて好感的な奴はいた。ラモン相手みたいに気軽に話せる奴もいる。そいつらから聞いた話だと、確かに数人頑なな奴らがいるという事だった。デュエルに自信があるロットンらにも好かれていた奴らであると。確かにそれは、俺が救世主として現れた事がとても疎ましくてしょうがないだろう。ロットンとバーバラの逮捕、マルコムグループの解散。自分達が手に入れる筈であった確かな地位は失くなる。俺に怨みを持つのも、当然だ。理解は出来たが納得はしなかった、地位がどうとか言う場合ではない、町全体が協力すべきだ。それくらい、誰にだってわかるだろうに。


どんと押され、地面に手を着く。作業に使用される木材なんかや機材の置かれている空地は、住宅地と広場の間の場所にある位置関係で、こんな時間ではそれこそ誰も通りはしない。しかもその空地の奥、使用される木材や鉄材等がずらりと並んで壁を作っている場所の、その壁と壁の狭い隙間に押しやられてしまう。
しんと静まった中で俺が必死に体制を立て直す音が響いた。ざっと音を立てて俯せのような体制から仰向けへ変え、上半身を起こす。後ろ手を地面に着けば後退りをしているような体制になった。見上げた男達は勝ち気に笑んでいる、だが俺はと言えばまだ冷静だ、まだ。

「何がしたい」

「随分と余裕ですねぇ、町長サンは」

立ち上がろうと前方に手を着く。だが同時に目の前に立たれ、その顔を見上げた。気に食わないという顔だ。気にせず立ち上がろうとすると、爪先でやんわりと掌を踏まれる。脅し程度の、乗せたくらいのものだ。

「話なら、立って聞く」

「そんな必要はないんですよ」

「目と目を対等の位置にしよう、話はそれからだ」

「頑固な町長だ」

わざとらしい敬語が何か嫌な感じがする。気にせず立ち上がるかと思うが、体制を立たす為に腰を浮かせば同じだけぐっと爪先に力を入れられた。
溜息を吐きたいのを我慢して、そのままその場に座り込む。爪先は退かされ、俺はその手を膝に乗せた。

「………何か、要望か?」

「いいえ」

「悪態か、交渉か…」

「違います」

「じゃあ何だ」

あまりに回りくどい。何か話があるのではないのか。嫌に冷静でいられる自分が不気味だったが、ただ過去に比べれば恐怖を感じない状況だからだとすぐにわかった。セキュリティの奴らの方が容赦はないし、嫌味だろうとこいつらは俺に遜っているから、余裕でいられる。

「アンタが気に入らねぇんだよ」

「だろうな」

敬語は止めたのか。速答してみせれば、男は心底気に入らないように顔を歪めてみせた。それから有利はどちらかと見せ付けるように、ぐっと俺の髪をわし掴む。馬鹿だな、掴むだけでは痛くない。捻り上げて持ち上げて、毟る勢いで引っ張ってみせなくては。いやしかし多少は痛む、大袈裟に顔を顰めてやると男は機嫌良さそうに笑った。

「ただの人殺しの分際で、何が救世主だっつーんだよ」

「っ…話は、それだけか?」

「さぁな」

なんだもう手を離すのか。解放された髪はばらりと前髪の流れに沿って垂れる。少し狭くなる視界で男を見上げると、振り上げた足がそのまま肩を蹴り上げた。
痛みに小さく声を上げて体は横倒しになる。ざっと音をたてて地面に伏せるも、そう痛くないなと考えた。本気でやっていないというか、そんな感じである。流石はロットンらの下で息を殺して機会を見ていただけの奴ら、という事か。喧嘩慣れもしていなければ頭も良くないというか。

「……気が済んだら、作業員にならないか?」

「はァ?」

「要望も交渉もないなら、俺を殴りたいだけなんだろう?ならそれが終われば満足だろう」

「なに言ってんだ」

「そうしたら作業員になるといい」

いつまでもこんな町に居るなんて、俺を殺すくらいしかやる事ないと思っていた。しかしどうにも俺を殺せる実力も根性も伺えない、ならなんともなく余所に行くのも面倒という考えか。またはロットンのような人物の再来を指をくわえて待っているのか。なんにせよ狭い町だ、自分達が町の人間から反発組だと見られている事くらい分かっているだろう。だから、提案した。
悪人だった奴だろうと受け入れてやりたい。そう思っているのはなによりも本心だ。

「ふざけてんじゃねぇよ!」

「ふざけてない、本心だ」

自分が説得上手だと感じた事はない。俺はいつでも遊星を手本にしていた。遊星はどんな奴相手でも真剣に説得をして、いつも成功させている。だがどうにも上手く真似は出来なかった。
けれど最近気付いたが、何も方法がある訳でなく、遊星は相手に真剣に向き合い心を理解している。だから上手く熟せるのだろう。多分。
だから俺もなんとか真っ直ぐと話したい、が。上手くかはわからない。暴力から入る説得なんて初めてだった。

「確かに俺は人殺しだ、反省している、だが許されるとも思っていない」

「認めんのかよ、人殺しを」

「ああ。だから俺は町の人間の為に一生をかけて償いをしたいんだ」

はぁ?と言いたげな顔だ。見上げた顔は理解不能とばかりに歪んでいる。理解不能か、ならもっとわかり易く言うべきか。それともまた話を変えてみるか。どうすれば伝わるだろうか。

「俺はこの町が大切だ」

「だからなんだよ」

「お前達も、大切なんだ」

ぶっと、耐え切れず吹き出して笑った声が聞こえた。二人、笑っている。可笑しそうに肩を揺らして笑うが、後の二人は違った。気持ちが伝わったのだろうか。
手前の一人が俺を真剣に見遣る。後ろの笑っている二人と、どう反応すべきかと三人と俺を見比べる一人を見て、俯く。難しいな。

「だから、とりあえず殴れ」

言われなくてもと言いたげに笑っていた二人が歩み寄る。後の二人も一拍置いてからはたと気付いたように行動に移した。
…伝わらないかもしれないな。本当に難しい。

胸倉を掴まれ、目を伏せる。いくら弱腰でも四人となれば話は違う。壁に押し付けられて痛む肩に身を縮こませれば、愉快そうな笑い声が聞こえた。明日の仕事…いや、生活に支障をきたさない程度の怪我で済めばいいが。なんだか眠いなと瞼を閉じた。







「鬼柳さん遅くねぇか」

ツマミを賭けに使う実に貧相なポーカーの最中、ラモンがはとしたように声を上げた。いきなりなんだと並びのよい自分の手中にあるカードを見遣り、心配そうに席を立つラモンにじろと目を向ける。
手に付かないとばかりに卓上に広げられたラモンの手札が自分より数段良い並びで、何か少し安心した。この勝負はお流れになるだろう。
と同時に、これ程の並びなら絶対に勝負を投げ出さないラモンなのになと思った。それ程自分の思い人が心配なのだろう。

「…確かに遅いな」

「だよな?」

時計を見遣れば、最低でもこのぐらいに鬼柳が来るだろうとラモンが遅めに予想して言っていた時間を30分過ぎていた。
仕事が遅くても終わるのは22時、何か話が長引いてもそれくらいだ。ニコ達を隣人に預けて来ると言っていたらしいが、それにそうも時間はかかりはしないだろう。今は23時丁度である。

「探しに行くか?」

そわそわとしているラモンに言えば、ラモンは肩を跳ねさせた。そうして私を見ては気まずそうに頷く。つい苦笑が漏れた。
心配なら心配と言えば良いだろうに。何を恥じらうのか、男らしくない話だ。椅子に掛けていた上着を手に取り、ラモンの背を押して外に出るよう促す。
心配そうなラモンに苦笑しながら、異様に不安になる自身が不思議でならなかった。何故こんなに不安になっているのだろうか。

「……?」

胸元を触ると鼓動が早い。わからず仕舞いでは後味が悪いと、とりあえず今はもうその事を忘れる事にした。



「鬼柳さんなら30分以上も前にそちらに向かいましたよ?」

手始めに鬼柳の家へ向かう。町を探して結局家に居ましたでは話にならんととった行動だが聞けた内容はラモンの心配を煽るものだった。留守を頼んでいる初老の男性がやはり心配そうに「鬼柳さんがどうしたんですか?」と尋ねてみせる。ええとと動揺してしまっているラモンを押し退けて大丈夫ですからと簡単でぞんざいな言い訳をしてから、踵を返した。ラモンは男性へがくんと頭を下げてから私の後を追い掛け着いて来る。

「何処を探したものか…」

「いやでも、何もそんな物騒な話ばかりじゃないよな…」

「それはそうだろうな、何か恨まれる事をしたでもないだろう」

あの人格者に限ってそれはなさそうだ。まだ短い付き合いだがそれはヒシヒシと伝わっている。鬼柳京介という人間は真面目で実直で明るく、誰からも好まれるような人間だ。実際、町の人間からはマスコットキャラのように愛されている。ラモンが惚れたのもなんというか、魂そのものに惚れているようで、納得出来る話だった。

「なんだその顔は」

吃驚とした顔をして見せるラモンに、ついつい口調が荒くなってしまう。私は何か間違った事を言っただろうか。
まさかラモン自身が「いいや鬼柳さんは誰かから恨まれるんだこれが」なんて主張する訳もないだろう。なんだともう一度答えを促せば、ラモンは頭を横に振った。

「そうだよな…鬼柳さんは普段、夜に人通り少ない住宅地には来ない」

「何がだ」

「普段は広場を経由して家に帰るから、人目に付きやすいんだ」

「だから何がだ」

口ぶりから察するに、つまりラモンは普段来ない夜は閑散とする住宅地近辺に来たから誰かしらに襲われたと言いたいのだろう。
いやだから、誰に襲われるのかと言う話だ。そこがラモンには理解出来ているらしい。何がだというのか。

「住宅地から酒場の集まる場所は近いから、偶然あいつらに見付かっても仕方ない」

「ちゃんと説明をしろ」

「だからあいつらが、」

そこまで言って、ラモンは口元にばっと手を遣り言葉を渋った。あいつら、とは、誰だ。思わず眉根が寄る。

「ラモン」

「言えねぇって」

「何がなんだ」

「鬼柳さんに聞いてくれ」

「その鬼柳を今探すんだろう」

鬼柳を恨む誰かがいるというのか。確かにあの若さで町長を担うのだとすれば、それなりに気に入らない人間もいるのかもしれない。
だが鬼柳はそんな話を私には一切しなかった。大量の墓の話も、墓に添えた花の話も、自らはしない。私から聞くしかないのだろうとは思っていた。自身の事を私に話したくないのだろうかとまで思った。

「……ちゃんとした説明はまた今度だ、ただ今言えるのは」

「ああ」

「鬼柳さんを恨んでる四人組の男が居るって事だけだ」

「……そうか」

やはりそうなのか。そしてそれはラモンが知っている事らしい。私だけが知らないのだろうか。何もわからない上に、何も知らない。とてつもなく歯痒かった。何も思い出せもしない。

「俺はあんま頭よくねぇから、知恵貸してくれよ」

「…とは言ってもな」

「あいつら家は小さいし、町の奴らにも嫌われやがる。鬼柳さんシメるんならどういう場所を選ぶ?」

とは言ってもな、とまた言いそうになる質問だった。そういう事はお前の方が知っていそうだなとも言いそうだったが抑える。焦った様子のラモンでは頭は働かないだろうと考えるが、いや、考えなくとも憶測なら答は出た。

「町外れで人の来ない…そうだな、空地で、出来るだけ影が出来る場所だろうな」

「……って事は、あっちの作業場か?」

「…そうだな」

逸るのを抑えるようにラモンは私へ意見を求める。頷いてやれば今にも全力で走り出しそうな少しばかり早い足取りで、そちらへ向かい始めた。
あっちの、と言うともう何度も作業の為に足を運んだ空地である。いくつもの木材や鉄材、また機材が置かれている場所だ。あそこは騒がしくなるからと町外れにある場所で、人目に付きにくい。それに機材やらで影になる位置は多い。だがそこが確実だという訳ではない、些か不安であった。

いや、不安だった。何か言われなく不安になってしまう。覚えていなくとも古い親友だからだろうか。鬼柳から貰ったあの写真立て、あれを眺めて何かを思い出しそうになる時と似た感覚である。

ぎゅうと胸が強く痛むのを、とても居心地悪く感じた。



***



ラモンとルドガーは仲良しさんですはい。

あ、救世主救世主と言われとる鬼柳さんでも、何人かには恨まれてるだろうなぁと思いましてそんな話になりますはい。










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