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ラモンがいきなり訪ねてくる事はそう珍しい事ではなかった。その日の作業と天候によりけりで早くも遅くもなる仕事だったので、解散になった後に気が向けばふらりと遊びにくるような、そんな感じである。
例えば屋外でする作業時に大雨が降れば、外に出していた木材なんかを片付ければその日は休みになった。そういう時には作業に向かう俺へラモンはよく会いに来る。
今日がまさにそれであった。

「雨降ったもんなー…今日は外の作業だったのか」

「鉱山付近へ小屋を作る作業ですね、大分進みましたよ」

まだこの町がグループ争いで二分する前、町長と呼ばれていたその人間が使っていた…らしい、小さい館が俺の職場だ。今は仮役所として構えており、小さい館ながらに執務室と客間と精算室とが設置された立派な建物である。事務や会計を任せている人間は精算室内に机を運ばせて仕事をさせ、自分は執務室で仕事を、だ。
その執務室には古いながらに町の資料もある。数十年と誰からも触れられなかったのは、やはり触るにも触れないような生かしようのない小さい館だからだろう。

「あ、で、ですね今日は話があるんですよ」

執務机から少し離れた位置にあるソファに座り、ラモンはテーブルに置かれた茶菓子に手を出しながら言った。どうやら普段意味なく遊びに来ていた自覚はあったようである。

「なんだ?」

「ああ、いや、ルドガーの事なんですけどね」

仕事しながらで大丈夫かな、と、書類に向けていた顔が思わず上がった。進めていたペンも止まる、ルドガー、と復唱してラモンを見遣る。
ラモンは何故か少し嬉しそうに笑いながら「はい」と頷いた。ルドガーが、なんなのだろうか。

「ここ最近の様子を見ていて思ったんですが…」

俺は最近忙しい、いや、最近とは限らずに日常いつも忙しい。朝もバタバタしていて朝食はルドガーと過ごせないし、夕食だって同じような様子だ。俺としては顔を見るくらいしたいのだが、どうにも。
しかしラモンはルドガーと四六時中と言っても過言でないくらいに顔を合わせていた。作業中もそうだが、最近はどうやら仕事のない日にも会ったりしているらしい。仲が良いのだな、と思う。
そんなラモンだからこそルドガーの異変に気づけたのだろう。

「記憶を取り戻すっていうよりは、朧げに思い出すような感じに記憶が治ってる気がします」

「記憶が?」

「はい。最近“だったような気がする”とかよく言いますし…」

確かに、ルドガーは「だったような気がする」と何回か言った気がする。しかしそれはあくまで「気がする」という話であり、そんなには気に止めなかった。
だが日頃そばに居るラモンがそれこそ記憶を取り戻しているような、と、そう言うのであればそうなのかもしれない。確かに頻繁に何回も思い出すようなその言葉を言えば、そういう事になるだろう。

「名前を思い出したり、思い出を思い出したりしなくても、微かに思い出を感じ取るだけでも良い兆しですよね」

「……そうだな」

そうなればルドガーの記憶が戻るのも遠くない、か。思い、寒気がする。何故怖いのかって考えたらもうなんというか、呆れる他なかった。
俺は自分勝手だ。あまりに勝手過ぎる。記憶のないルドガーが今自分の近くにいる、その事実が嬉しくって幸せで、満足、しそうになっているんだ。それはルドガーにとっても、誰にとっても良くない事なのに、だ。

「……ラモンは、ルドガーと仲いいな」

ぽつりと、なんとなしに呟く。言ってから少しだけ何を言ってるんだろうか、と焦った。
ルドガーとラモン、仲は良い。最近よく一緒に行動しているのを見掛けるし、それに何より…互いが互いで楽しそうだ。一緒に居ると。
ラモンのポジションでありたい気持ちがないと言えば大嘘になってしまう。ルドガーの隣で楽しく、友人としてでもいい、笑顔で寄り添えるのなら寄り添いたい。

「そうですかね?」

「よく、飲みに行くだろ?」

「ああまあ、確かに…」

言われてみればそうか、程度にラモンは頷く。自覚がないのかとぼんやり眺めて、それから進まなくなってしまった作業に嫌気がさした。ペンを書類の上へと転がす。
一口も飲まないまま大分冷えてしまったコーヒーに手を伸ばして、そこでラモンは「言われてみれば、軽く毎日飲みに行ってます」とふとしたように言った。

「毎日?」

「俺もビックリですよ、どんだけ暇なんだっつー話ですよね」

「…今日も行くのか?」

「まあ…でも今日は俺の家で、発泡酒でも飲んで安値で済まそうって話ですが」

来客用の菓子を全て平らげ、ラモンはゴミを集めながら言う。ソファの後ろの戸棚から慣れたようにストックされた菓子を取り出す様を見ながら、俺はちょっとだけバクバクと煩い心臓を窘めた。
そうして深呼吸のように小さく息を吸って吐いて、口を開く。

「よかったら、俺も混ぜてくれないか?」

「…え?」

「いや、その、飲みに行くのにだな…」

言いながら、あまりに不自然だったかもしれないと言葉尻が掠れた。ルドガーとロクに一緒に過ごせない、それもあるがあまりにラモンとルドガーが仲が良いので、焦りを感じているのもある。二人に限ってそれはない、何も世の中同性愛者ばかりではない。わかってはいるが、しかしながらに不安だった、ただ漠然と。ルドガーが自分以外の人間と仲良くなるのが、考えて、また呆れた。どれだけ自分勝手なんだろうか。
一緒に暮らせばそれだけで仲良くなれる訳じゃない。記憶だって簡単には取り戻せやしない、記憶がなければルドガーにとって俺は、ただの親切な人間だ。

「……駄目、か」

考えて考えて、悲しくなった。暫く呆然と菓子を食う手すら止めてこちらを見遣るラモンを見ては、ぐらっとするような悲しさしか沸かない。俺は何がしたいのだろう。

「いえいえ!そんな、大歓迎ですよ!ていうかいいんですか?来てもらえるんですか!?」

「え、いいの…か?」

「はい、ぜひ!」

予想外だった。本当に大歓迎みたいだ、世辞でもなさそうなラモンの態度がうれしくて、笑顔で返せば照れ臭そうに笑われる。
ラモンはやはり取っ掛かり易い奴だ、当初とは比べられないくらいに仲良くなれた。
いやでもルドガーは俺が来たら、嫌だろうか。考えては少し悲しくもなったが、いやもういい。そうして細かく考えるのはよくない癖だ、そうして思い詰めた自分の歩んだ道は、死神になってしまう事だったのだ。直さなくては。

「ありがとうな。…じゃあ、今日の仕事終わり次第向かう。多分途中参加だ」

「今日は仕事、終わりが遅いんですか?」

「あ、いや、ニコ達も居るし…近所の人に留守頼もうかなと思って。家に寄ってから行くから、遅れる」

「わかりました。待ってます」

そう言い残し、ラモンは部屋を去った。丁寧なお辞儀へ手を振り返し、背中を見届けて背もたれへ寄り掛かる。
人の良い隣の家の夫婦なら、ニコ達自体が仲が良いので快く引き受けてくれるだろう。正直、警備団体がしっかりとしていないこの町はあまり治安が良くない。二日に一度、セキュリティが様子を見に来るようになってはいるが夜中ともなれば話が違う。
町として正式に認められるまで成長したこの町は、ネオ童実野シティからの補助がくるようにはなっていた。本当に成長したとは思う、今やこの町は完璧に立派な町である。

(…でも、まだ頑張れるよな)

俺の出来る事、する事、しなきゃならない事。まだまだ一杯あった。沢山の人を殺してしまった事は、何をしたって消えない事実だ。しかし償いはいくらしようと良い行いだ、自分が満足するまで償っていい筈だ、ロクに読みはしない誰かの教典にもそんなような事が書いてあった気がする。勉強も、もっとしなくちゃな。

(…昔みたいに、ルドガーに教えて貰う訳にもいかないしな)

考えて、胸がぎゅうと締め付けられるような感覚がした。もうルドガーは、一時期の暇潰しだろうと俺に構う事は、ない。こんなに愛しいのに。





ダークシグナーになってからというもの、時の流れは凄まじく早いものでもう一年と二ヶ月、そんなに長い月日があっという間に経った。毎日はどうにもくだらない毎日だったのにも関わらず、気付けばという感じである。
ルドガーに着いて行くかと思ってからも、もう二ヶ月が経った。本当に早い。
あの日以来、俺はルドガーの後ろを着いて回るようになった。ルドガーの存在は怖い、触れれば死を連想させる。しかし何故かそれが心なしか安心した。そう一度ディマクに相談した時は「死は我らの傍らに存在するものだ」と、優しいのか無関心なのかわからない声で説明されたので、今はあまり考えないようにしている。
ルドガーは大体は広間に居るが、居ない時は自分の部屋とは限らなかった。何処に居るのかは俺は知らないし、ルドガーは知らせない。あの日以来ルドガーの部屋の付近にもいけないようになってしまった。写真立ての事が、少しだけ気にはなる。

一年を経過してからの一番の変化は、毎日一時間ばかりする事だった。以前ルドガーに気まぐれながら本を押し付けに渡された時以来、ルドガーと俺は毎日勉強会のような事をしている。なんて事はない、俺は難しい漢字や英語が読めなかったのだ。サテライトの人間だからな、と、ルドガーはやけにすんなりと納得していた。
しかしそれよりもやはりルドガーは俺に時間を割く事が、何か落ち着かなかった。勉強会と言ってもそんな可愛いらしいものではなく、ただ本を渡されてそれを読み、わからなかったら教えられるだけの話だが、とても勉強になる訳である。

「なァ、なんでこんな事してくれるんだよ」

俺とて馬鹿ではない、ルドガーの意図は気になった。何故沢山の知識を教えてくれるのだろうかと、純粋に気になる。
俺はルドガーを好いていたし、ルドガーもそれは知っていた。そしてこの事項だ、俺だって勘違いはしてしまう。広間のやけに長い長机の上に広げた数冊の本を蝋燭の明かりの下からずらし、ルドガーの顔を覗き込んだ。
しかしルドガーは無言で俺には無関心そうに、説明が面倒臭いとばかりに顔を俯ける。なんだよ、と口を付いて出た小さい呟きにルドガーは顔を上げた。

「……暇潰しだな」

「…暇、潰し、ね」

「ああ」

暇潰し、と再び口から漏れる。ああそうかいとどうにも脱力してしまう、それだけですかそうですか。俺恥ずかしい、な。
椅子に深く座り、本を再び蝋燭の明かりの下へ遣る。
ルドガーは蜘蛛を可愛がったり、科学的な本を沢山持ってたり、する。つまりなんとも理数好きな奴だ。だから俺の成長なんて見てて楽しいんじゃないだろうか。理由はとても寂しいが、いやしかし暫くは俺の面倒を見てくれるのだろうその答には正直少しだけだが、安心する。
でもやっぱり何か悔しかった。悔しくて、悲しかった。

「……ルドガー」

「なんだ」

「これ、わかんね」

ルドガーは少しくらい、ちょっとくらい、俺に好感を抱いてくれているだろうか。ない、だろうか。あまり他人と馴れ合わないだろうルドガーが俺に勉強を教えるのは、珍しいのだろうか。ルドガーの中で少しでも特別になれたら、嬉しいだろうな。ルドガーの腕の中は、怖くて、死を思わせて、でも酷く安心する。死ぬ瞬間に、よく似てる。死ぬ瞬間の安堵感に。

本の一文を指差し、そこを覗き込もうと寄ったルドガーの顔を見遣る。今日はフードを被っているが、目深にはしていない。
どこだ、と低く尋ねるルドガーに寄ろうと身を乗り出せてみせる。そうして一文を指差し、そのまま片手でルドガーのフードの頬の横辺りの部分を掴んだ。くん、と引くがルドガーの体は揺らぎもしない。

「何をするつもりだ」

「…俺は」

真っ直ぐに目を覗き込まれる。深く黒い、どろりと闇に溶けそうな暗いルドガーの眼球が、怖い。ぞわ、とする、心音が強くなる。でもすぐにそれって怖いのもあるけど、所謂ときめくってやつなんじゃないかって、そう思うといきなり心地好くなった。
唇を開いて、「ただ」と続ける。心地好くなろうと言葉は見付からない。何を言えばいいのだろう、何を

「ルド、」

ぐ、と、体を引かれた。
揺れた体に焦り、ぶつかってしまうと両手をルドガー肩に付く。なにをするんだと顔を見上げるも、鼻先すれすれな程にルドガーが近い。真っ白になりそうな頭でもう一度名前を呼ぼうとしたが、声は出なかった。
その変わり唇にルドガーの冷たい唇が重なってるのが分かって、頭が真っ白になる。
ほんの数秒だけ重なって、それからあっという間に離れた。

「……な、にして」

「暇潰しだ」

事態が読めない、困惑したまますとんと椅子に座る。ルドガーはぶっきらぼうに言っては「どうした」と放心状態の俺に声を掛けた。一年以上共にいるが、この男の思考はわからない。いや、一緒にいるつもりなだけで、核心には触れていないからだろうか。ルドガーって人間が俺にはよくわからない、何を考えているんだろうか。謎だらけだった。

「アンタ、最ッ低だな」

何故か口角が上がる。自嘲地味た笑顔だろうか、ルドガーに向けるが真っ直ぐ見返されるだけでなんにも反応はなかった。
反応はないが嫌に真っ直ぐな視線が居心地悪く、なんだよと見返すとルドガーは頭を振っていいやと笑う。なんだ、自然にも笑えるんだな。吃驚したが言えば殴られそうなので、黙っておいた。




今思ってもルドガーは怖いくらいに感情を出さない人間だったと思う。どんな経緯でそうなってしまったのか、そう考えると何か怖くて何か悲しかった。同時に感情を殺してしまうのは淋しい事だよなと自分の事も比例させていまって、胸が痛む。
ルドガーは、冷酷に見えるが言うなれば無関心な人間だった。俺には特に無関心そうに振る舞っていた、それは嘘で本当は俺の事好きなんじゃないかと俺に誤解させるくらいに上辺が激しく無関心そうだった。いつも無表情で、いつも声が無色のそれで。
でもだから、たまに見せる優しさが、それが俺に対しての本心なんじゃないかって期待してしまったんだ。今思えば、恥ずかしい。ルドガーの言うように、ただの暇潰しだったんだろう。
ダークシグナーになってから一年と三ヶ月経った辺りで、あの時の戯れの口付けの延長線のように、抱かれるようになった。自然な流れだった、ろうか。それもまた暇潰しだとルドガーは、笑っていた。


「じゃあ二人共、いい子にしてろよ」

ぽんぽんとニコとウェストの頭を撫でて遣れば、二人は行ってらっしゃいと微笑んだ。留守を頼んだ夫妻はたまには俺に休息も必要だと快く引き受けてくれて、久しぶりに全力で息抜きとばかりに俺は家を後にする。息抜きって言ったって、どうせ精神的に疲れそうだけどな。玄関先で見送ってくれる四人に背を向けて、溜息を小さく吐く。
見上げた夜空は憎たらしいくらいに綺麗だった。




***



短くて申し訳ないですorz
ルドガーさんはあれね、所謂ツンデレってやつだ。









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