7




 


鬼柳をダークシグナーに迎えてから六ヶ月が経った。どの日も何もかもが変わらぬ同じ毎日であり、無論その日もまた変わらぬ同じ毎日の一日である。
ルドガーの一言をきっかけに鬼柳は笑う事が多くなった。しかしルドガーとしてはあまり気に食わない事だった、何故ならば鬼柳の捉えた「笑う」の意味合いが違ったからである。
ルドガーの言った笑うという行為は所謂微笑であり微笑みだ。しかし鬼柳の行う笑うという行為は声を上げて笑う、嘲笑に似たそれだった。

ダークシグナーになって数ヶ月、鬼柳は鬱とも言える態度で日々を暮らしていた。運命を受け入れられず、夢か現実かも分からず、ただ日々を生の実感のない体で過ごす。そんな毎日を生きる彼の表情は日々、死者に相応しいそれであった。
陶器の人形でも見ている気分だ、と、ルドガーは椅子に座る鬼柳を横目で見て、そして思ったのだ、笑えば人間らしさの溢れ出る人間なのだろうなと。

そして興味本意で笑ってみる事を促して、翌日、ルドガーは後悔した。気分を沈める事で無意識ながらに心底で抵抗していた地縛神からの征服に、どうやら負けてしまったらしい。
その日顔を合わせた鬼柳はかつての仲間への復讐を誓う事ばかりを、何が楽しいのか笑いながら語っていた。

「笑うの意味が、違う」

「あァ?」

純粋に、ただ思った事を捻りもなくルドガーは口にする。鬼柳は大人しさのカケラも見せずに見上げる形でルドガーを睨み付けて少し考えるように視線をさ迷わせた結果、でもよ、と声を上げた。

「これだと大分気分が楽なんだぜ?」

「…そうか」

これ、とは声を上げて笑う事を指すのか、その図々しい態度を指すのか…両方なのだろうな。ルドガーは考え、先日の大人しく震える陶器の人形のような彼の姿を思い浮かべる。
先日のあの様と今の様、比べれば大分違いはあった。だが、今も過去も高い所から落とせば壊れる陶器のようだと、そう思える。白い肌と色素の薄い髪と硝子のような瞳がその思考を助長してみせた。
感情を表に出す事で地縛神を受け入れている、つまりダークシグナーとしては生きる事に安定しているという事になる。ならば心配もないだろうとは思えるが、何故だがまだ不安定さを感じた。あまりに簡単に壊れてしまう駒は欲しくはない。

「昨日はありがとな」

「なにがだ」

「毛布」

「ああ」

「暖かかったよ」

「そうか」

「オッサンの反応つっまんねー」

大分精神が安定しているようだ。きっとこの彼の調子が本来の彼のそれなのだろう。
オッサンと言われる歳でもないと返すも、鬼柳は短くないルドガーの返事が嬉しかったのかニンマリと笑みを浮かべて再び、オッサン、と呼んだ。
殴ってやろうかとも思った、だが鬼柳がただ構って欲しいだけなのは誰の目にも明らかである。ルドガーはそれを分かっていたし、先日に告白紛いな発言をされた事もありあまり触れずに話を切ろうとそのまま踵を返した。

背後から聞こえる文句の声は気にせず歩き、背中に浴びる怒声に苦笑する。
そこで、ふと鬼柳との会話がそこまで煩わしくなかった事に気付いた。同時に陶器の人形に似た容姿が浮かんで、それが壊れる瞬間が頭に浮かんだので、はと鬼柳を振り返る。
勿論、鬼柳はそこに居た。いきなりに振り返ったからか少し吃驚している。

「………歌も歌ってみるといい」

「……………は、歌?」

何も考えずにものを言ったな、と頭を振った。いや、綺麗な声質だなと思ったからかもしれない。
そのまま再び鬼柳へ背を向けて歩き出す。鬼柳がまた何か文句の嵐である怒声を背中に引っ掛けるが、ルドガーはまた苦笑して一蹴した。
これで明日にでも笑えと言った時同様に歌を歌い始めたら、それはもう人形以外の何物でもないのだろう。ああ、なんだか楽しいかもしれない。

久しぶりに会話が楽しく感じた。







綺麗な音色が聞こえた。一般的な民謡、の楽譜になぞったそれを覚醒しかけている意識で捉える。重い瞼を開いて、目に入る天井をぼんやりと見ながら暫く呆けた。

朝か、と、寝台の左側にある窓を見遣る。壁掛けの時計を見ると7を指していた。今日は作業が午後からのみの日だったか、と起き上がる。
壁に掛けた白衣と、机に置いた写真を見遣る。相変わらず誰だったかと考えてしまう二人の人間の顔を眺め、肩を落とした。

この町に居着いてから一週間が経った。
同居人であるニコとウェスト、二人はとても良い子達で気兼ねなく真っ向から付き合える。良い教育をされていたのだろう、人を思い遣る心を持っていた。
私を迎え入れてくれた鬼柳もまた、明るく元気な青年であった。記憶を失う前に彼と親友であったと聞いた当初は実感がなかったが、しかし今はそうだろうと肯定しか出来ない。
何より彼の居るこの家に居られる事実が、とても安心出来た。彼の家なら、と、何故だが思えたのだ。記憶がないという事は不安定でぐらついているような気分になるが、私を知っている彼だからか側に居ればほっとした。

町自体も過去に含みのある人間ばかりであった為、記憶喪失であるだけの私は簡単に打ち解けられた。私自身があまり人付き合いは得意ではない性質のようだったが、最悪という訳でもないので上手くやっている。作業も支障なく熟せるようになっていた。
ただ上司であるラモンに睨まれる事が多かった。いや元より目付きの悪い男ではあったが、何かこう妬ましそうによく見られる。
まあ恐らくではあるが、彼の慕う鬼柳京介という人間の側に居るからなのだろう。町長である鬼柳は町の人間からとても慕われていた。


簡単な着替えを済ませて部屋を出る。まだ聞こえる音色の元を探すかと階下を覗き込み、違うなと瞬いた。
階段手前にある窓を開き、外を見下ろす。そこの窓からは玄関先の小さな庭が見下ろせた。
やはりそこが音色の元だったようで、そこには鬼柳が居た。手入れのされたばかりである芝生に座り込んでハーモニカを口元に寄せている。膝には楽譜を抱え、隣にはウェストが居た。
家の前の通りには近くを通り掛かり、音色を聞いて寄って来たらしい数人の人間がいる。
あんな芸当も出来るのか、と感心した後に窓を閉めた。
そうして階下に降りるとニコが朝食の準備をしているのが見える。いつも早起きで良い子だ。もう準備は殆ど整っていた。

「あ、おはようございます」

「ああ、おはよう」

口角を上げるだけの笑みで返し、何かする事はないかと言う。
ニコは考えるように暫し動きを止め、それからふるふると頭を振った。

「大丈夫です」

「そうか…」

「あ、鬼柳さんのハーモニカ聞いてきたらどうですか?上手なんですよ!」

言われ、室内からでは見えない庭の方向を見遣る。確かに先程聞こえた演奏は中々だった。楽譜を見ながらのようだったがあまりたどたどしくもなかったし、何より何か音色が特別綺麗に聞こえた気がする。

「……少し聞いてくるか」

「はい。終わったら朝ご飯にしましょうね!」

「ああ」

ぽんぽんと頭を撫でて遣るとニコは嬉しそうに笑って、頭上の私の腕を見上げた。笑い返して、もう一度撫でる。そのまま玄関へ向かった。
父親の死を目の前で見たのだと、聞いた。子供には酷な事だったろう。笑顔で過ごす生活の裏、思考には父親の事ばかりが浮かぶだろう。それなのに笑みを絶やさないで生きるニコとウェストの強さは輝かしい。尊敬にも値した。

玄関の扉を開いて右側、あまり広くない芝生作りのその庭で鬼柳は5周目くらいになっただろうその曲を演奏していた。最初はかなりたどたどしかったろうに、今は流暢に楽譜を見ずに吹いている。どうやら音楽が得意のようだ。
私もその芝生に降りるとこちらを見上げた鬼柳と目が合った。少しの間は演奏を続けていた鬼柳だったが、睫毛の長いその瞼を二三回瞬かせた後、「うわっ」と声を上げてやめてしまう。
うわ、とはなんだ。思わず眉根を潜めてしまう。

「お、おはよ、ルドガー」

「ああ。何故止めてしまったのだ?続ければいいだろう」

ウェストになあ、と同意を求めるとウェストは強く頷いた。

「僕もっと聞きたかったよー!」

「いやほら、もう朝飯だし、な?」

残念がるウェストの顔を覗き込み、鬼柳は困ったように笑って見せる。仲の良い兄弟のようなそれは微笑ましい、のだが、本当に何故止めたのだろうか。聞いていたかったのだが。
私が来たから止めたように見えた気もする。少し、胸が痛んだ。記憶のあった私と彼は仲が良かったのだろうに、彼は時折こうして私へ違和感を見せ付ける事がある。そういう時、少しばかり不安を感じた。

「…ハーモニカ、得意なのだな」

紐の付いたそれを首に掛ける姿を見遣り、言う。解散だと簡単に告げた鬼柳に従い、演奏をなんとなしに聞きに来ていた町の連中は去って行く。
服に付いた芝生を叩き落とし、立ち上がった鬼柳は少しだけ困ったように笑んだ。

「まーな。だけど歌は下手なんだ」

ははは、と鬼柳は苦笑する。立ち上がったウェストの背中をとんと押して「手、ちゃんと洗えよ」と促した。兄弟というよりは親子のようである。
家に入るウェストへ楽譜を手渡し、鬼柳は笑った。

「歌下手だからさ、代わりに楽器上手くなろーと思ってな」

何の代わり、だろうか。なんだか遠い目をする鬼柳を見る。なんとなしにこちらへ視線を移す鬼柳と目が合い、暫く言葉を探して視線を反らさずに居た。すると鬼柳が先に視線を反らしてしまう。

「とても…綺麗な音色だったな。聴き入ってしまった」

「…………」

「なんだ?」

反らされた視線が上がり、吃驚したようにこちらを見ていた。みるみる頬を赤くするのを眺め、シャイなのだろうかとぼんやり考える。頑張り屋な彼だが褒め言葉を嫌っていたので、これもそういう事なのだろうか。

「…ありがと」

「どういたしまして」

ぼんやり、と、デジャヴのように頭が揺らいだ。誰かの歌声を笑った気がする、あまり上手くはないなと笑った気がする、そいつは悔しそうに悔しそうにしていて…


「ルドガー?」

「…、…」

「何突っ立ってんだ?」

日射病かと心配する鬼柳へ、いいやと頭を振って返す。何か、思い出せそうだった気がする、が、もう何だったか覚えていない。掠れてしまったそれを手繰り寄せたいが、頭が痛むので止めた。




普段作業に出ているので気付かないが、鬼柳の朝は随分と忙しそうである。
とりあえず今日は朝食を食べたら直ぐさま資料を取り出して確認をしていた。それを鞄に詰め込んで、あらかじめに余分に作ってある朝食を詰めた弁当と一緒にそれらを持って颯爽と家を出る。

それを見送り、まずは朝食の片付けを手伝った。今日は午後からなのだとニコに言えば、じゃあまず洗い物をしましょうか、と言われる。手伝えという事なのだろうなと苦笑して、分かったと伝えた。
そこまでは普段通りの日だった。休日はこういう手伝いは当たり前であったからだ。
何故普段通りでなくなったかと言えば、それはこの家に来訪者が来たからである。
インターホンを聞いて駆けて行ったウェストの後を追ってみれば、玄関先に居たのはラモンだった。
目が合ったラモンに「うげ」と声を上げられる。なんだその嫌そうな顔は。

「何か用か?」

「あーいやちょっとね、アンタじゃなくってウェストかニコちゃんに用が」

あくまで私をスルーしたいらしい。呆れて溜息も出ない、眉根を寄せて黙る。私をそこまで嫌う理由がわからない。鬼柳を慕うのもわかるが、コイツのそれは一般から比べれば少し過剰だ。
ちょいちょいと手招きされたウェストが、しゃがんだラモンに耳打ちされる。何を言うつもりだと睨むように眺めると、ラモンは一歩引いて「頼んだ」と玄関先へ顔だけを突き出す形でこちらを伺っていた。
何を頼んだというのか。訝しんで見遣れば、ウェストが私を見上げる。

「あのね!」

「…なんだ?」

おい耳打ちの内容を私に言うのか、と少し焦って蓑虫みたいに顔だけ見せるラモンを見るが、ラモンは気にせず先を待っていた。
伝言が目的だったのか。子供を使わず自分で言えば良いだろうに。

「ラモンが“今夜飲みに行かないか”だって!」

「…は?」

相当怪訝な顔になった自信がある。勿論、ラモンへ向けて表情を歪めた。
貴様は私が嫌いだろうだとか、何をいきなりだとか、何故今なんだだとか、自分で言え、だとか。色々あったがなんとか飲み込む。

「……何故だ?」

「そりゃお前…親睦を深める為に、だ。決まってんだろ」

そんなドアから顔だけ出した虫みたいな体制で何が親睦だと言うのか。頭が痛い。
ふざけるな、と一喝したいのを抑えて考える。親睦を深めたいという事は、今現在あまり親交がよろしくないと本人も自覚しているという事だろう。
それならば確かに親睦を深めたい、当たり前だ。言われなく睨まれる私の身にもなってみろ、という話である。

「……貴様がきちんと申し出たら受けてやるが」

「仕方ねぇな」

何が仕方ないというのか。そこでようやっと苦笑と共に溜息を吐き出してしまった。
自分勝手で茶目のあるラモンであったが、そこまで嫌いな人種ではなかったのだから、少し難儀である。


そうして作業終了後の夜、あらかじめにニコへ帰りは遅いと告げたので気兼ねなく飲みに向かった。ラモンはよっぽど私が嫌いらしく、「飲みに行こう」、その文章を言うのに散々時間を費やされてしまった。

この町に酒場は3つあるらしく、ラモンが言うには酒が安いか酒が美味いか飯が美味いか、らしい。話がしたいらしいので今日は酒が美味い、の店にラモンの奢りで来ていた。
酒が美味いという事は高いという事だ、途中横を通った酒の安いらしい店の賑やかさと違い、この店は静かな雰囲気である。どちらかと言えばこちらの店が好きなタイプだった。

「……おい、お前…何か話せよ」

「あまり饒舌ではないと自覚している」

酒を煽りながら横目に見遣るラモンへ言い返す。カウンターで隣同士に座りながら会話は少なかった。店内は空いていて、私とラモンを抜かせば数人も居ない。必然的に小さくなる声量でする会話は薄く短く、ラモンからは気まずさを感じた。
私自身も気まずさは感じるが、あまり気にしない性質である為にそうも気にはならない。
何杯目か分からない酒を飲み干すラモンを見遣り、同様に飲み干してみせる。私はアルコールに強い体質ではあるが軽減して飲んでいた。
しかしこいつはどうだろうか。私の倍は飲んでいるなとぼんやり考え、眺める。

「大丈夫か?」

「……」

顔が少し赤くないか、と考え、顔を覗き込んだ。すると、ガタンと立ち上がったラモンに服の衿を掴まれてしまう。物音で周りの目が一瞬こちらに向いたが喧嘩は日常茶飯事か、すぐに興味なさそうに視線は消えた。

「なんだ」

「……今日は、聞きてぇ事があったんだ」

「だからなんだと聞いている」

やはりただ親睦を深めるだけではないのか。面倒臭そうだなと考えながら、衿を掴む手を退かすように促す。するとラモンは大人しく手を離し、そのまますとんとその椅子に座った。

「……き」

「き?」

乱れた衿元を直して椅子に座り直す。思い詰めたように俯くその様子を、そんな顔も出来るのだなとぼんやり見詰めた。
先を促すでもなく見ていれば、ぼそぼそと声が続く。小さい声だ。

「鬼柳さんの部屋ってどんなだ?」

「…………は?」

「いやもう部屋でなくてもいい、シャンプーとか何使ってんだ!?」

「ちょっと待て、落ち着け、貴様確実に酔っているだろう」

「素面じゃこんな事聞ける訳がねぇだろ!」

随分と大きな声で言い、ラモンは黙った。真面目な声色なので冗談ではないようだ、困った。
聞かれた内容を脳内で反芻し、考える。ラモンは鬼柳の事を知りたがっているようだ。酔ってはいるが真面目らしく、どうにも切羽詰まっている。

「……一応確認するが、鬼柳は男だな」

「うっせぇーよわかってるよ、早くシャンプー教えやがれ」

「いや私もニコもウェストも彼と同じシャンプーだが…」

真面目でもやはり酔っぱらいなのだろう、泣きそうな声色で言われては反応に困る。
ラモンの彼への思いは偏に信仰心だと思っていたが、そうか、同性愛者であるとは思ってもみなかった。そう考えればラモンの私への異常な嫌悪にも理由が付く、ぽっと出が大好きな鬼柳の近くにいたのでは気に食わないのだろう。

「残念だが見ている限り鬼柳は同性云々より先に、まず恋沙汰に興味が皆無だぞ」

「んなもん知ってるっつーの!」

「貴様、悪酔いしているのだから更に飲むな」

「うっせーよオッサン!触んな!」

「……人の事を言える歳か、貴様…」

やはりコイツと私は最悪に相性が悪い。話も噛み合わなければ酒の飲み方も合わない。
しかも鬼柳の側に居る事で嫉まれ、あちらからも嫌われるという始末だ。
まだ酒を煽るラモンからグラスを引ったくり、遠くに置く。取り返す元気もなくカウンターに突っ伏したラモンを見下ろし、溜息を吐いた。

「まあ…同性愛者を意味なく嫌う理由はない、応援する」

「…あんがとよ」

なんだか生意気な返事を聞き、酒を煽る。
生意気でムカつく奴だ。しかし、何故か落ち着いた。こんな風に口喧嘩のように誰かと口論するのが、好きだった気がする。
ラモンと話すのが楽しく思えてしまった。出て来そうだというのに少しも記憶が出てこない事に短く唸る。

「また今度飲みに来るとしよう」

「あーわかった」

適当めいた返答すら何故か落ち着いた。
ラモンと話していれば、何か思い出せそうな気がする。そう、何か大切な相手であった気がしたのだ、とても大切な相手、一緒に居て心が休まるような。

誰だったか。





***



8で終わらせたかったんですが…やはり余裕で10越えしそうです(^^)









小説置場へ
サイトトップへ


 
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -