6







暗くて深くてジメジメしていて、此処こそが地獄なんじゃないか冥界なんじゃないかと何度も思った。ダークシグナーらの塒は深く深く、暗く、明るさを我等の神が好まぬのであれば仕方ないという考えが根強い。
ダークシグナーになって四ヶ月が経ち、多少は事態も読めてはきている。とは言うものの、ダークシグナーになって直ぐさまであった時も存外気分は穏やかではあった。体内を、まるで血液の様に似せて循環するダークシグナーを生かす地縛神は、脳髄にまで至って思考までを絡み取っている。
程度は計り知れなかったが、自分が死体なのだと聞いても発狂する事はなかった。ただ体中にこびり付く過去の仲間を殺したくなる衝動や激情が、出来もしない発狂をしたくなるくらいに理性を蝕むのである。

五ヶ月が経った頃には自分が何故、こんなに生にしがみついて生きているのかが分からなくなってきた。ぼけーっと部屋に篭る事が多くなる。与えられた部屋はサテライトでは存在も知らない物ばかりであったが、何も感じはしなかった。
そうして何気なくフラリと部屋から出た時に、広間に居たルドガーに目が合ったのだが、それがきっかけと呼ぶに相応しいのだろうか。

興味なさそうにこちらを見遣るルドガーを見遣り、椅子に座ったまま微動だにしないルドガーを視界に入れたまま俺は同様に割り当てられた椅子へ座った。
大分浅く座って俯く。今が何時だろうかとこの薄暗い場所で考えようと答えは一生出ない。今は何時だろうか。

「寒い」

極端に温度を感じなくなった肌を摩り呟く。ルドガーは何も言わずに無言だったので、俺もそれを独り言だと決めて肌を摩りながら続けた。
寒くはなかった。ただ、ボキャブラリの貧困な俺がポッカリと穴が空いたかのようにスカスカするくらい空虚ななのに、何故かじくじくと痛む胸を表現出来るだろうと判断出来た言葉は、寒いの一言であった。

「寒い」

もう一度言うとルドガーは静かに音を立てて席を立った。構ってな態度が気に食わなかったのだろうと考え、体を縮こませると体育座りの形で椅子に座り込む。

「寒い」

なんだかとことん寒かった。ガタガタと震えて震えて、可哀相な乞食をやりたく思える。誰かにお恵みを貰えるのであればいくらでも、と顔を伏せた。

と同時に頭から何かを被った、というより被らされた。ばさと音を立てた布が頭から被さり体を包む。恐らく床まで届いているだろうその布は俺と座った椅子を包んで視界を真っ暗にしてくれた。
その布から顔だけを出すと、暗い室内のルドガーの定位置である椅子に座るルドガーが見える。普段のように押し黙るように座っていて、暫く見ていると何とも無しにだろう上げられた視線と目が合った。
布は厚みがあり、暖かい。白い布地で、大きめのタオルケットといったところだろうか。…ルドガーので、ルドガーが掛けたのだろう。恐らく。

「ありが」

「寒い寒いと煩い」

ルドガーのこの冷たい声色が大嫌いだった。黙らせる為だと押すその冷たい冷たい声がいつも嫌だった。
独房で初めて会った時のあの瞬間からルドガーには嫌な印象しかない。俺が死んだのだと告げるルドガーは、それこそ死んだ目をした看守二人を脇に控えさせていた。思うにあれは、ルドガーの蜘蛛の能力で良いように扱われていた人間だったのだろう。
痩せて随分と細くなった体と、片付けられない残飯が隅に寄せられた部屋。栄養失調で掠れていた視界も声もダークシグナーになったからと健全に機能していた。生きる希望も逃げる術も無く、日々の理不尽な暴力から逃れられる道は餓死くらいだろうかと食事を喉に通さず、そしてその日死ねた筈だった。
しかし死ぬ直前に神とやらに俺は復讐を強く欲した、気がする。いやハッキリとは覚えていたのだが、どうにも死に間際の言葉には本能のみしか拍車が掛からず理性は消えてしまっていた。
だが堪らなく遊星らが憎い。腸が煮え繰り返りそうだと表情を歪ませた瞬間に、ルドガーはつまらなそうに外へ出る事を俺へ告げた。
物の名前を確認するように、教えた覚えもない俺の名前を呼ぶルドガーの後を、久しぶりに歩いて震える足で追い掛けた。

「貴様は死んだ。しかし今から、新しい人生の始まりだ」

そう振り返らずに告げるルドガーの背中を見上げる。ルドガーの声は支配者の声だ、ぞっとするくらいに冷たい。広い背中には恐怖に似た感覚しか感じないし、俺より色素のない髪なんて冷たい性格を反映しているように思える。何より何か、存在がとても嫌な感じがした。
しかし何故か彼の後ろを歩くのは使命にも似た何かを感じた。彼の言う新しい人生の最初、一番初めに見た人間がルドガーで、刷り込み法のように彼が自分の主だと強く刷り込まされたからなのだろうか。


「まだ寒いのか」

手繰り寄せた布を弄る手を見ていた視線を、ルドガーへ移す。ルドガーはつまらなそうに俺を見ていた、どれくらい見ていたのだろうか。支配者であり主であり俺の少しの恐怖の対象であるルドガーに、否定を表す首を振る動きをして見せた。
ルドガーはそうかとは言わずにただ頷き、また押し黙る。俺も黙った。
死んでからというもの、不毛に毎日を過ごしていた。ぐるぐると同じ事ばかりを考えていた。
しかしその時は何か少し違って、でも何がなのかがわからなくて、モヤモヤとしていた。胸の辺りが寒いのではなく何か違い、不自然である。

気が付くと机に突っ伏して寝ていて、ディマクに起こされた。眠らなくてはいけないと訴える体ではなかったが、環境が整えば寝てしまうようにはなっているらしかった。何故こんな場所で寝るのだか理解出来ない、と言わんばかりのディマクに適当に言い訳をして、とりあえず被りっぱなしの布をルドガーに返そうと勿論居はしない椅子を見遣ってからルドガーの部屋へ向かった。
ルドガーの部屋は広間の奥の変に長い廊下の奥にあって、一度「何か用がある時には来い」と案内されて以来は用がないので行った事がない場所である。

ルドガーの部屋の周囲は俺に割り当てられた部屋の周囲と違って機材が多い。何の配電盤の屑かもわからない破片が足元にあり、気にせず踏んで歩いた。軽く畳んだ布を片手にルドガーの部屋のノブに手を掛け、少し悩んでからノックをする。返事がないので、少し待ってから気にせずに開けた。ノックの意味がないがまあいいだろう。
室内は俺に割り当てられた部屋とそう変わらないくらいの大きさで、寝台も同様だった。よくわからないグラフの書かれた紙や、分厚い本があちこちに置かれている。
随分と汚い部屋だとは思ったが、違った。荒れては居るが汚くはない。埃っぽくもないので、恐らくこの荒れようは今日出来たものなのだろう。毎日こんな本やら紙やら引っ張り出して何をしているのだろうか。よくわからない文字で書かれた本を一瞥、すぐに興味はなくなった。
さて本人は不在のようだ、と布を見遣る。どこに置くのが一番だろうかと寝台を見遣るが寝台の上も本が置かれてなかなかに荒れていた。
しかしふと見遣った机の一カ所が随分とこざっぱりとしていたので、丁度良いなとそこへ置く事にする。そうして近寄って、その一カ所にあった写真立てに必然的に目が行った。
ルドガーは自分の事を一切と言いたいくらいに語らない奴だが、遊星の父親の助手をしていた事くらいは教えてもらっていた。だから遊星の父親らしき人物と、ルドガーに少し似た黒髪の男性と生前のルドガーが写ったその写真を見てもさほど驚きはない。
しかし嫌に手入れされたその少し古い写真と、その辺りだけが少しだけ整頓されている事を考えると、また寒さを感じてしまった。
俺は生前の思い出がある物は一切持ち越していない。だからこの写真を大事にしている様子のルドガーの気持ちはわかりはしないが、しないのだがなんだか、胸の辺りが酷く寒かった。

「何をしている」

は、と顔を上げる。部屋の入口にはルドガーが居た。借りた布を片手に写真を覗き込む俺をルドガーは睨みつけている、怖い、と背筋が冷えた。
一歩後ろへ歩が進み、何か言おうにも本来の目的がやましくない理由であるにも関わらず声が出なかった。

「見たのか」

写真を、だろうか。何をだろうか。本のどれかだろうか、紙のどれかだろうか。机の脇にあるパソコンの中身だろうか。ぐるぐると思考が回って、足音を立てながらこちらへ近寄るルドガーをただ竦んだまま見遣る。
目の前にまでルドガーが来て、手を上げた瞬間に咄嗟に身構えて瞼を閉じた。ルドガーに殴られた事はないが、あの屈強な腕で殴られてはさぞ痛いだろうと閉じた瞼の裏で考える。同時に独房内での孤独さが痛いくらいに湧いて、それから写真の事で怒っているのならルドガーにとっての生前はあまりに知られたくないのだろうか、と考えて、思考が纏まらなくなった。

瞼を開くと、ルドガーの掌は手袋越しに俺の目尻から馬鹿みたいに落ちる涙をなぞっていた。拭ってはいない、ただなぞっている。

「何故、泣く」

殴るつもりはなかったのか、途中で止めたのか。吃驚として半開きになった唇の開閉を繰り返し、ルドガーを見上げた。
とことん不思議そうで、言われた事を反芻して考える。確かに自分は泣いていた、しゃくり上げるのをやり過ごして考える。泣いたのなんて七歳の時以来だった。
…なんで泣いてるんだろうか。
俺は刷り込みに近い形でルドガーに恐怖と支配されている感覚を植え付けられていて、気まぐれで俺の寒さを和らげてくれたルドガーに少し吃驚しながらも借りた物を部屋に返しに来た。そうしてそこで生前を捨て切れないルドガーの一面を見てしまって、ルドガーに殴られてしまいそうになって、よくわからなくなってなんか涙が溢れたのだ。

「…よくわかんねぇ」

「そうか」

「………あんたが好きだからかもな」

言って多少すっきりして見せた胸を一撫でして、ルドガーをじいと見遣る。撫でてやった心臓は存外早く鼓動を刻んでいたのだが、ルドガーはやはり冷たいその表情のままに再びそうかと味気無く返事をした。
ああそうだ、好きなのかもしれない。
白馬に跨がる王子様っていうのに憧れる少女をかつての仲間の一人が育てるガキの中に居た。颯爽と姫を助けるのだと。
死んだ俺を独房から救う黒いコートのオッサンは目が死んだ看守を従えていた訳だが、同じ事なのではないのだろうか。

そうこう考えていると、ルドガーは俺の名前を呼んだ。いつもの冷めた声色に肩をびくつかせて目線を遣ると、涙をなぞっていた掌は下げられる。

「貴様は笑っている方が様になる」

言葉のキャッチボールが失敗しているな、と考える暇もなくルドガーは背を向けて部屋を出て行こうとしていた。
ダークシグナーになってから、というか、独房に入ってから口角を上げた記憶がない。のに何を根拠にそう言うのだろうか。
口角を少し上げて見て、ひくつく表情筋にうんざりとした。
上手く笑えない。




あの頃となんら変わらない写真立てを片手に取って、ルドガーの前へ置く。ルドガーはそれを見ると難しそうに自らの金髪を少し掻いてから、首を傾げた。俺は「だよな」と苦笑して、写真の右側に居るルドガーの弟であるレクスを指差す。

「これがレクス、お前の弟だ」

「レクス…」

「で、こっちが不動博士。ルドガーとレクスが助手をしてた人だな」

言ってからルドガーを見遣る。ルドガーはやはり難しそうに首を傾げて唸るばかりだ。
クロウの届けてくれた荷物を現在はルドガーに見せている。クロウは昼食を食べた後には早々にネオ童実野シティに帰ってしまった。最後の最後までルドガーを警戒していたクロウだったが地縛神のいない今、ルドガーに警戒する必要なんてないのになと俺は思う。

「何か思い出せそうか?」

「……いや」

「そうか…」

クロウにはああ言ったが、やはり記憶を取り戻したくもある。それはエゴ以外の何物でもないし、言い訳も出来ない。
ルドガーから愛を感じる事があっても、ルドガーから愛しているだとか言われた事はなかった。二年間はルドガーの側に居たが、ずっと俺の一方的な思いだけであったのだとしてもそれでもいいのだ。ただ俺の存在がその時、誰よりもルドガーの側にあったのだと言う事を思い出して欲しかった。改めて、自分勝手にも程がある話である…が、本当に俺は大分近くに居た。だから、とは、可笑しい話だが。

ルドガーがうんうんと唸って写真を見ている間に、デッキケースを手に取る。中身を取り出しデッキを見て、中から一枚カードを探した。一枚だけ白紙がある筈だと探し易いそれを見付けて引き抜く。裏面は正規の物通りに模様が入っているが、表面、カード名とテキストとイラストなどがはいるその面は真っ白だ。少し前、俺のデッキにも入っていた。
それを引き抜いて自分のコートのポケットへ突っ込む。記憶は取り戻したいが、嫌な記憶を思い出させたくないとクロウに言ったのは本当だ。
真っ白いこのカードは地縛神が封印されていたカードである。地縛神が完璧に地へと縛られている今、このカードはただの不良品、印刷ミスの起きたカードだ。しかし俺の場合は真っ白になったコカパク・アプのカードに触れただけでも、ぞわと寒気がする。なのでその嫌な部分の記憶を取り戻すきっかけにならないとは言い兼ねないだろう。暫く見せないで置く事にした。

(…取り戻したい記憶はその間の事なのにな)

考えてる事とやる事がちぐはぐだった。
ダークシグナーとして人々に被害を与えた事を思い出させたくない、だけどダークシグナーとして生きている時にあった俺との関係を思い出させたい。
あまりにちぐはぐだ。
我ながらに、呆れてしまうしかなかった。なんて我が儘なんだろうか。




***



ダークシグナーの時の、ルドガーさんと鬼柳さんが仲良くなっていった経緯も今後ちゃんと書きたいです








 

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