さよならイデオローグ







久しぶりに夢を見た。ダークシグナーであったときの夢で、だけど内容は何回も何回も見た、仲間を傷付けるいつものワンシーンではなかった。
あの厳しくて冷徹な人間がたまにほんのりと見せるあの優しい顔が、ぱ、と浮かんだ。しかし記憶と違い、彼の髪はくすみない金髪であり瞳は白目を持ち顔に死者の刻印はない。彼はやけに似合う白衣を着て、光の中へ歩いていっていた。俺はそれを眠い眠いと落ちる瞼でなんとか見詰めて手を伸ばして、さよならだと伝える彼に、行かないでと伝えようとしている。しかし彼は消えた。そこで目が覚めた。

「ルドガー、」

心臓が張り裂けそうなくらいに痛くて、俺は天井を見上げて目を見開いたまま、暫くボロボロと泣いてしまった。最近は毎日の目覚めがこれである。彼の冷たい体温が愛おしくて堪らなかった。



サティスファクションタウンの朝は静かだ。
通りにはちゅんちゅんと不細工な潰れ面をした鳥が飛び交い、それに餌を遣る少女がいる。品出しをする雑貨屋の店主と、今は決まった店員のいない花屋の責任者が和気藹々と話している光景も日常だ。
復興作業は素晴らしく順調に進んでおり、このまま行けば遊星達がWRGPで決勝に当たる頃には町長である俺がこの町を空けても平気なくらいにはなるだろう。あの有名なチームユニコーンに勝ったのだと連絡を受けたのはつい一週間程前の話だ、決勝なんてすぐの話にも感じる、あいつらなら楽勝だ。
まだ人の少ない町中を歩いて行き、ご立派に構えられた職場へ向かう。なんだか最近は他の町や市からの外来者が多く、ただ書類を捌くだけでない作業に神経が疲れて来た。まあ復興とは言えども、ただ町を綺麗にすれば良い訳ではないとはよく分かっているのだが…。

「あ、鬼柳さん、おはようございます」

「鬼柳さんお疲れ様です」

行く先行く先に掛けられる挨拶に、にこやかに手を振る事で返した。最近では何故だか自分はシンボルキャラクターとして担ぎ上げられている為、愛想は特別よくしている。笑顔でいる事自体は気分が良いし苦ではないが、しかし信仰心が過剰ではと風邪をひいたときには思った。町中活気がなかったとラモンは笑っていたが、しかしながら自分の存在がそこまで大きいだなんて思わなかった俺としては、うんうんと更に頭が痛くなったのだった。

「ああ、鬼柳さん」

「……ラモン」

職場である仮役所が見えて来た辺りで、ラモンがせかせかと左方から走って来た。朝はだらけるラモンがなんだかさかさかと走っていた為、どうしたものかと思わず身構えた。
左方というと、町の入口から来たのだろうか。一応町の中での復興作業指揮を任せているラモンなので、何か作業を始める前の準備で不手際があったのか。

「どうしたんだ?」

「いやそれが、放浪者、と言っていいんですかね…妙な奴が来まして」

「……そんなの、町に入れてやればいいだろ」

何を言っているんだこいつは。元々大都市から大都市の間に位置するこの町は旅人の中継町とも言える場所にあるのだ。だから旅人や放浪者が通り縋るのは当たり前で、町の中には宿場として栄える一角が設けられているくらいである。かくゆう俺だってそういった放浪者の一人としてこの町に流れ着いたのだ。
放浪者が町へ足を踏み入れる事を否定する理由がないだろう、と言って見せれば、ラモンは顔をしかめて「いえそれが…」と言う。

「なんだ?何か町に入れるのにしぶる理由でもあんのか?」

「まあ、一応」

「どういう理由だ?場合によっては、まあ、仕方ねぇだろ」

はあまあ、とハッキリしない返事をしてラモンは後ろ頭をかいた。そうして少し間を空けた後、面倒臭そうに言う。

「なんか記憶喪失みたいなんですよ、そいつ」

「はぁ?」

「ほらそうやって物の分からない顔をするじゃないですか」

ラモンはそのまま説明を続けた。言葉はわかるし物もわかる、いや寧ろ人より賢い雰囲気を持った男性だと言う。しかし自分の過去が一切分からず、それどころか名前すら分からないのだそうだ。目が覚めたらこの町の近くで寝ていて、歩いてなんとかこの町に着いたのだと言う。

「なんだそりゃ」

「俺にもよくわかりませんって。まあ……入口前の喫茶店で待たせてますんで、町長直々に会って下さいよ」

「あー?今日仕事あんだけど」

「面倒臭がんないで下さい、アンタの町なんだから、他に捌ける人がいませんよ。副町長だっていないし」

とんと肩を押され、仕方なくため息を吐きながら入口の方へのそのそと歩を進めた。
確かにまだ副町長を決めていない。その為に俺は町長と副町長、両方の仕事を熟さなくてはならない為に日夜馬鹿みたいに働いていた。
ラモンは気兼ねない友人のような奴だからラモンに任命したかったが、ラモンをよく思わない奴は町には沢山いたし、何より本人がよしとしない為にどうにもこうにも副町長が決まらない。他に任せられそうな奴、だなんて、まだこの町に来てから5ヶ月経たない俺には決められないのだ。いっそ立候補で決めちまえと言ったらラモンにもニコにも止められた。なんだってんだ。


喫茶店に着くとまだ開店前の為、裏口から入るよう言われる。仕方ないと裏口から回って中に入れば、店内は普段の雰囲気とは違い妙に薄暗くて違和感があった。普段は下ろしていないブラインドのせいだろうか。

「ああ鬼柳さん、どうもおはよう」

「おう店長おはよう。で、なんか人が待ってるって?」

店長である初老の男性も、まだ開店前の為普段のエプロン姿ではない。新鮮な姿だと思いながら、店長に「あちらに居ますよ」と言われて奥の席を見遣った。四人掛けのテーブル席に手前の椅子に座りながら掛ける人物は、記憶喪失をするようなヤワな雰囲気ではない。ガタイはよく背が高いのが、入口から店の奥までと距離があってもよくわかった。背中に伸びる長い金髪を持っていて、もしかしなくても俺より長いかもなと思いながら歩み寄る。
そうして真後ろに付き、トントンと広い肩を叩いた。彼の前には店長からの差し入れだろうブレンドコーヒーが置かれており、ブラックのまま残り数pを残すばかりになっている。そんなに待たせてしまったのだろうか、申し訳ない。

「よう、俺はこの町の町長やってる鬼柳だ。記憶喪失なんて災難…だ…な、」

肩を叩いた数秒後、男は上体だけ振り返った。そうして「ああ、どうもわざわざ」だなんて酷く聞き慣れた声色で固そうな口角は上げずに頭を下げて見せる。長い金髪がぱさりと揺れ、上げた瞳の色は黒い色には縁取られていなかった。褐色の肌は健康そうというよりは、ただ彼らしいと思わせるのみで、ああ、なんでなんだ

唇から漏れてしまうかのように、ルドガー、と呟くと、彼は何の単語かわからないとばかりに「鬼柳さん?」と俺を呼んだ。やめろよ敬語なんて似合わない、アンタは敬語なんて言わない。じわりと目尻に涙が浮かびそうになり、必死に頭を振った。
そうしてなんとか笑顔を作って見せる。

「……ええと、はじめまして、だよな、多分、記憶的にも…」

「?…はい、はじめまして、かと」

一礼され、それから手を差し出される。コートに手袋、と、まるで長旅の途中のような格好だ。
その手を取り、握る。手袋越しで体温は感じられないと思いながら握手だと言わんばかりに何回か小さく揺すり、今度こそ引き攣っていないと言える笑顔でもって男に笑い掛けてやった。
俺がこんなに心音が煩いと怒鳴りたくなるくらい混乱しているのに、この男は俺を町長以上でも以下とも思っていないのだろう。

「……早速で悪いんだが、俺、アンタの知り合いだ、多分」

「……それは、本当ですか」

意外そうに見開かれる目。ルドガーがたまにみせたその表情は、懐かしいようで違う。白目がある。

「ああ、だから、その、敬語は止めてくれ…違和感が…」

「……わかった」

妥協されたタメ口は、声の低さまで同一人物でなければそっくりにも程がある。ばくばくと煩い心音をたしなめるように胸元を撫でて、男の座る席の向かいの席に腰を掛けた。
始終こちらに視線を向ける男の表情は、記憶を取り戻す事に必死そうには見えない。なんだか落ち着きくさった様子で思案してみせている。ルドガーらしい雰囲気、だ。

「その、とりあえず、町に入る事とかは置いておいて……知り合いだ、って確証に繋げられると思う証拠を調べたいんだが…大丈夫か?」

「証拠?」

「いや、そんな大層なモンじゃ…ないんだ」

もしかしたら彼はルドガーじゃないかもしれない。ただルドガーに姿も声もよく似た男性で、長旅の途中に何かのショックで記憶を失ったのかもしれない。
第一、俺は遊星に聞いた。ルドガーは彼の弟、レクスと共に冥界へ逝ったのだと。そしてそれは彼らが決めた事だと。事実、俺だってそれを見た。
ダークシグナーであった時の記憶が無かった時は忘れていたが、今はしっかりと覚えている。ダークシグナーであった時にはしなかった、これ以上なく慈しむ表情で俺の頭をルドガーが撫でた。そして、光の中へ、消えた。胸が張り裂けそうな程に切なく、そして嬉しかったのだ。
いつも眉間にシワを寄せて世界へ苦悩の表情を見せる彼が、ルドガーが、あんなにも安らかな表情で逝けた事が。
だからこの男がルドガーなのだとしたら、それは転生だとでも言う事になるのだろう。
地獄へ蜘蛛の糸を垂らす神が居たように、冥界へ逝く彼を生かす神が居たとでも言うのか。
夢物語なんかうんざりだ。だが今は、今だけは夢物語でもいいかもしれない。なんて、考えてしまった。虚しさが残る事なんて目に見えているというのに。

「もしアンタが俺の知っている奴なら……左腕が、無い筈…なんだ」

言って、テーブルに置かれた左手に触れて遣る。ダークシグナーであった時、ルドガーの左手は義手だった。シグナーの事はよく知らないが、ドラゴンヘッドという痣を持っていた彼はその痣の付いていた左腕を切り離し、ダークシグナーへ身を投じたのだと遊星から聞いた。
俺自身、ルドガーの右腕は見た事がある。昔サテライトで見掛けた、古い義手を付けた婆さんなんかとは比べられないくらいに綺麗に繋げられた鉄の左腕で、彼はよく俺の頭を撫でた。暖かさは、なかった。

「…あるが」

「ああ、違う……アンタはその、義手、だったんだ…だから」

「……ああ」

外せという事か、と、男は手袋を示す。それに俺は頷きでもって返し、手袋に手を掛けるその姿を眺めた。
もしその手袋の下が義手だったとしたら、どうするつもりだというのか。記憶を取り戻す為に何かしようと言うのか。記憶を取り戻して、俺を抱きしめて貰うだとか、そんな、それこそ夢物語だ。
もし彼がルドガーで、そして記憶を取り戻したのなら、それは彼の新しい人生が始まるという事。ダークシグナーであった時とは違う。身近な人材で済ませる必要はもうないのだから、俺なんかを抱き寄せる必要は、もうなくなるんだ。
するり、と、男は手袋を外す。目線を自分の握った拳に合わせて俯く、見ていられなかった。
違ったら安心するかもしれないが、絶望もするだろう。彼がルドガーであった場合、喜ぶ反面、苦しいかもしれない。
ぱさっと音がして手袋がテーブルの上に置かれた。息が詰まる。
目線を上げようとして、それより先に男が声を上げた。

「驚いたな、」

「…あ……」

「立派な義手だ」

どくん、と、心臓が跳ねた。痛いくらいに跳ねた。
見上げてみれば、男は鉄で出来たその義手を、先程まではなんら支障なく使っていたくせに、今はマジマジと眺めながら握ったり開いたりと確かめている。
義手だ。黒い鉄の、義手。ルドガーのそれは、見慣れたあの義手である。

「鬼柳、左腕は義手だが」

「………」

「鬼柳…?」

「あ………っああ、ああ……」

何回も何回も何回も頷き。ルドガーだ、今目の前に居るのはルドガーなんだ。
何故この世界に帰って来たのか。何故記憶がないのか。何故、何故、何故。ぐるぐると思考が止まらない。心音が煩い。頭が、痛い。冷や汗が止まらない。
名前を、呼ばないでくれ。感情が溢れてしまう。どうすればいいのか分からない、この男性を、ルドガーを。
愛しくて堪らない。つ、と垂れた汗をルドガーが指先で拭う。考慮したのかまだ手袋を付けていた右手でだ。

「大丈夫か?…私は、お前の知り合いなのか?」

言われ、頷く。
ルドガーが生きている。生きて息をしている、話している、俺を見ている、俺と、俺の前で、生きてる。ぎゅうと胸がいたくなる。愛しい、ただ、愛しい。

「…ルドガー、ルドガー・ゴドウィン。アンタの名前、だ」

「………ルドガー」

「…そう。ルドガーだ」

当たり前だが、彼が自身の名前を言う姿は珍しかった。彼はあと2回、自らの名前を言ってみる。そうして頷いた。

「アンタは上司で、俺は部下だった。…まあ、それなりに仲が良かったかな」

「そうなのか……なんの仕事だったんだ?今は町長、だろう?」

「……あー…と、その、あれだ…」

ダークシグナーの事、説明してはただでさえ記憶喪失の頭に何かこう悪い刺激にならないだろうか。というより、どう説明すれば良いのか。
少し落ち着いてきた心音と頭に肩を撫で下ろし、しかしまだ完璧には落ち着けはしないと小さく頷く。見遣ったルドガーはただ今はない記憶を知りたいという目で俺を見ていた。

「……治安維持局って、わかるか…?」

「…ネオ童実野シティの治安を守る為の国会組織、か」

やはり記憶は無くとも知識はあるようだ。きっと、難解な数式も簡単に解けてしまうのだろう。

「それの派生組織みたいなやつでな……なんつーか…密かに運行して世界をより良くしよう、的な…」

「慈善団体のようなものか」

「……………それ、かな」

なんて説明すればいいのか、と悩んでいる内にダークシグナーがなんだか立派な職業になってしまった。
密かにシグナーとの戦いの日を待ち、ダークシグナーとして素晴らしい世界を幕開けようとする。そんな活動内容だったのだが。…これのせいで記憶を取り戻す事が困難になってしまったらどうしよう。

「それと…私に帰る場所というのは…」

家族や家、という事だろうか。
言われ、考える。俺の知っているルドガーは旧モーメントに住み、肉親は弟のレクスだけだった筈だ。既婚者でもなく、親も早くに死んだと聞いている。子供も勿論居ない。
そう考えると、ルドガーという人間がとても孤独だった事に気付いた。いつもいつも弟のレクスと遊星の父親の写る写真を眺めていて、それをなんとも思わなかったが、その二人はルドガーの唯一の安心出来ていた人間で、会えない人間だったのだろう。……俺がルドガーの中でどれくらいの人間だったかは、ルドガーにしかわからない。記憶のあるルドガーにしか。

「…ルドガーには、親も嫁さんも子供もいなかった」

「…そうなのか」

「……弟さんが居たんだけど、行方不明、だな……」

で、いいだろう。死んだと断定するにも、ルドガーがこうして地に足着けていてはなんとも言えない。

「…私は何処へ向かえばいい?」

「何処って…」

「一文無しだ…それに家族もいないのなら、何処へ行けば…」

確かにそうだ。ルドガーの行く場所。
治安維持局はルドガーを受け入れてくれるだろうか。遊星達の所に居るブルーノと言う奴は、記憶喪失で治安維持局にて保護されていたらしい。しかし、ブルーノとルドガーでは違う。ルドガーは前科がある。あの事件が罪として数えられる前科かは、俺にはわからないが。
とすれば、選択肢は一つだろう。言おうと唇を開き、暫し悩む。先程も悩んだが、記憶を失ったルドガーの記憶がもし直れば、必ずしもハッピーエンドではないのだから、だから、軽率に考えては。何回か無意味に開閉を繰り返した唇を閉じ、再び開く。

「俺の家に来ないか?部屋数が一杯あってな、余りに余ってんだよ」

「……いいのか?」

「ああ。それに、この町見たろ?ボロボロでなぁ、とにかく人手がいるんだ」

「すまないな…助かる」

差し出された右手を、握る。手袋越しに体温を感じた。
よろしくな、と力強く言われ、こちらこそ、と返す。
俺は暫く、ルドガーの友人でいい。それでいい。友人に親切な鬼柳京介でいいんだ。ルドガーが幸せになれるかもしれないのなら、俺はその為になんかする。それでいい。
それに、ルドガーの側に居られるだけでもう幸せだと、ルドガーに手酷く抱かれた翌日はよく思ったものだった。側に居られれば、それでいい。そう思えた。思った。



***



長編1話目です。合計何話になるかは未知数。









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