情実交差点





※遊→京前提です
不動母は亡くなっています




涼しいな、と思いながら目が覚めたと思う、多分。あまりハッキリしないけれど、今現在はタオルケットを畳んで寝台に座っている。網戸を引いた窓からは涼しい風が入っていて、枕元の時計を見てみると目覚ましをセットした時間より一時間早く目が覚めたのだと分かった。
がしがしと頭を掻き、欠伸を一つする。
まだぼんやりとした頭で寝台から起き上がろうとして、くかーと呑気に寝息を立てる父が足元に居て吃驚した。うわ、だとか、珍しく声を上げたかもしれない。

(ああ、昨夜転がり込んで来たんだったか…)

こんばんは遊星一年ちょっとぶりだね今日から三日間泊まるからよろしくね愛してるよ我が息子、と、父は笑っていた。酒のにおいがした。
よく電話を寄越す父だったが、最後に会ったのは高校の入学式の日であった為に、久しぶりの再会である。父は有名な科学者で、発明家であった。科学者としては優秀な人物とされており、その筋ならば一度は名前を聞くのではないのだろうか。発明家という面では、ただの趣味がそう評価されているだけなのだと父は言うが、やはり誰よりも優秀な人物であるのだなと、俺は思う。

その父は実績から忙しくてならないのだから、会えないのは仕方がない。父は俺を不自由にはさせないし、頼めば大体は与えてくれる。ただ俺は施しはあまり受けたくなかった。唯一受けた施しといえば、このマンションだろうか。家族で一緒に暮らせない分、良い暮らしはさせたいのだと父は昔からよく言ってくれていた。…思えば父は、母が死んでからはそれが口癖だったのかもしれない。
料理下手な父が躍起になって下手な料理を作るようになったのも、忙しいだろうにどうにか早く帰ろうとするようになったのも、俺に対していつも笑顔を見せるようになったのも、全てが不自然だったが胸が暖かくなるような愛情がすとんと落ちて来るのだ。ああ父は素晴らしい人だと、その時強く実感する。そして、この人の息子で誇り高いと胸を張れた。

小学校時、確か五年生の時に、他クラスの悪ガキが俺に母がいない事を馬鹿にしたが、俺にはその行動がただただ不思議だった。
父はあんなに素晴らしい人間であり、母はそんな父を心から愛し、そして愛されていた。その二人から俺は生まれ、愛を注がれて育った。その事実は今現在に母が存在しなくても変わりようがないし、ましてやこれからも消えないだろう事実なのだ。なのに何を馬鹿にされなくてはならないのだろうか。一人で俺を育ていてくれる素晴らしい父を、沢山の愛情を両手一杯に抱えていた素晴らしい母を、そしてそんな素晴らしい二人を誇れる息子である俺を、家族の数が足りないからと誰が馬鹿にしていいのだろうか。
頭の中は、何を言っているんだこいつは、と冷静であった筈だったが、俺の拳はその生徒の右頬を渾身の力で殴っていた。そのまま殴り続けようとした俺を止めてくれたのは、小学生の頃から友人であったジャックとクロウだった。

学校に俺を迎えに来た父は俺が同級生を殴った事を今までにないくらいに酷く怒っていた。それこそ、殴られそうなくらいに怖い形相だった。しかし暫くしてから、車を運転しながら俺を説教する顔が何処か優しかったのをよく覚えている。


――何故、彼を殴ったんだい。

父さんを、母さんを、笑ったんだ、あいつ。

――……なんて言われたんだ?

“母親が居ないから牛乳好きなのか、不動遊星。不完全な家庭のクセにカッコつけてんじゃねぇよ”。


父はそれを聞いて、大声で笑った。「牛乳か、牛乳好きだよなぁ遊星は」、涙を目尻に溜めながら笑っていた。笑い事じゃあないだろう。なんで母を侮辱されたのに、笑うんだ父さん。
父さんはひとしきり笑った後に、言った。優しい笑顔だった。

「父さんと母さんを、この上なく愛してくれてありがとう遊星。……愛してるよ」

「……うん」


本当に本当、父と母が大好きだった。父と母という対象が好きだし、父と母である不動という二人が好きだった。愛している。人として完璧で、愛情に溢れた二人が大好きだ。

こういう愛情を向けれるのは、世界の中でこの立派な父と、そしてその父の妻である母のみ、だろう。

酔っ払った父は昨晩、「今日は床で寝るから、三日間ベッドと床を交代で使おうか!」と上機嫌に言っていた。俺としては俺がソファ、父が寝台でもよかったのだが…父は嬉しそうに床に引っ越しの際に渡された客用らしい布団を敷き、寝たのだったか。もしかしたら客用と渡された布団も、この為だったのかもしれない。

(……それにしても、随分と気持ち良さそうに眠るんだな)

少し老けただろうか。寝台に座ったまま、父の眠る姿を眺める。実に平和な夏休みだと思う、世間の父と息子がどういうものかは知らないが。
…そう言えば、眠る瞬間に父に手を繋がれた。にへらぁっとだらし無く子供のように笑い、父は寝台に眠る俺へ、床から手を伸ばして「ほら手を繋ごう遊星!」と、嬉しそうに言った。だから俺は仕方なく笑いながら手を繋いだ、のだが、起きた際には手なんて繋いでいなかった。

(……悪い事をしてしまった)

父を裏切ってしまった気分である。いや、父は酔っ払っていたし、自分も無意識に離してしまったのだが、なんとなく罪悪感に押し潰されそうだ。
今からでいい、と敷布団からはみ出して床に落ちている父の手に触れる。それから、寝台に寝そべって父の人差し指を握った。
ひくり、と父の指先が動く。それから唸り声を上げた。もぞもぞと布団が動き、瞼が開く。空を見遣る父の視線を追いかけ、人差し指のみ握っていた俺の掌を握られた。ぬるい掌だが、温かい愛情が伝わる。

「……おはよう、遊星」

「おはよう父さん」

嬉しそうに笑う父の顔は、寝起きながらに豊な表情だ。つられて笑うが、固い表情筋で上手く笑えただろうか。
ずるずると父は身を起こす。心底眠そうに欠伸をして、そして繋いだ俺の手をにぎにぎと確かめるように握り、嬉しそうに目を細めた。

「久しぶりの息子だなぁ」

「ああ。…久しぶりの父さんだ」

「親孝行してくれよー期待してるから」

ニコニコと笑んだかと思えば、ふざけるように口を尖らせる。本当に表情が豊かな人だ。誰かに、似ているような気がする。思い付くが、しかし父の「お腹空いた」という声に思考は止まった。

「……何か食べに行くとか、」

「パパは遊星の料理が食べたいな」

「…、…わかったから、パパはやめてくれないか…もういい歳だろ、父さん…」

微笑むばかりで返事をしない父を睨んでやると、やはり微笑み返された。ゆっくりと繋いだ手を離すと、父はその手でひらりと手を振る。それに小さく手を振り返してからリビングへ向かった。


冷凍しておいた飯と、一昨日買った食パン。父は朝はどちらでも大丈夫な人だったなとは思うが、今朝がどちら派に傾いているのかはわからない。高校に入る前の父はそういう人だったので、今がそうでない訳がない。
そうとなれば父にどちらが食べたいかを聞くかと部屋に戻ると、父は嬉しそうに俺の部屋を物色していた。
中学時代にそういう本を父に見られてしまっている自分には、今更見られて困る物はないので勝手に物を漁る父に呆れる他に反応はない。苦笑して父に歩み寄れば、父は優しく微笑んだ。

「高校も一緒なんだね、ジャック君とクロウ君」

「…クラスは違うけど、仲良くしてるよ」

「だよね。楽しそうな写真だ」

壁のコルクボードに貼った、修学旅行時の何枚かの写真を指差しながら父は言う。
数枚、ジャックとクロウを指差した後に一枚目に戻る。笑顔で写っているブルーノと鬼柳を指差して、この二人は?と尋ねて見せた。

「背の高い方がブルーノ、修学旅行数週間前に転校して来たんだ。いい奴で、すぐ打ち解けたよ」

「そっか、確かに優しそうな子だ。……こっちの細い子は?」

「鬼柳、入学式で仲良くなった。……友達思いの、良い奴だよ」

「うんうん、笑顔の素敵な子だ。……遊星には良い友達が一杯だなぁ」

よかったよかった、と父は笑った。それから写真を物色して行き、その度に俺にその写真のエピソードを語らせた。何処で撮ったやら、誰が撮ったやら、撮った後何をしたか、やら。…一緒に居なかった時間を埋めたいのだろう。俺自身、話しながらとても楽しく感じる。

「よしパパにはわかったぞ」

「……だからパパはやめてくれ、父さん…」

「遊星、君ずばりこの子が好きでしょ」

「………………………え」

びしいっと父は鬼柳と二人で撮った写真を指差した。鬼柳の満面の笑顔を指が当たるか当たらないかくらいのすれすれの位置まで近付けた指先で示し、そして俺の顔を覗き込む。
確かに俺は鬼柳が好きだ。ジャックやクロウやブルーノに対しての愛情や、父と母に対しての愛情とも違う愛情を向けている。掻き抱きと思っている、愛したいし愛されたいと思っている。だがしかし何故ばれた。

「珍しいな遊星の困惑顔。写真撮りたいよ勿体ない」

「な、え、あ…な…」

「大丈夫だよ、パパは遊星が同性が好きでも受け入れる。大好きな息子の感情だもの、大切にするよ」

「…いや、な…、え」

「……目が違うし、声も表情も違う。鬼柳君の話をする遊星の雰囲気が、違うんだ。すぐわかるよ」

ポンポン。父は俺の頭を撫でる。小さい頃に高いと感じた父の背は、追い付いて来ているがまだ高い。見上げた父はやはり優しく笑っていた。

「………覚えてるかな?遊星が小学校高学年の時の事で…ほら、他のクラスの子を殴った時の事」

「……え、あ、ああ」

「パパ、先生にすんごく怒られたよ。向こうの親御さんもカンカンでねぇ…ウチの息子は意味なく暴力なんてしません!椅子ひっくり返して飛び出したかったよ」

しなかったけどさぁ、と笑う父の顔はやはりいつも通りだ。愛情がすとんと胸に落ちる、優しい笑顔。厳しい父の顔だって見た事は何回もあるが、優しい笑顔は記憶によく残った。父の優しさは、暖かい。いつまでもいつまでも、胸に残る。

「でね、遊星ね、帰る時に何言ったか覚えてる?」

「……?…特に変な事は…」

「うん。変な事はなかった。なぁんにも」

では、何があっただろうか。あの日の事はよく覚えている。どういう事情があろうと、相手がどんなに嫌な奴であろうと、初めて人を全力で殴った日だったから。

「“母親が居ないから牛乳好きなのか”“不完全な家庭のクセにカッコつけるな”って言われたって。頭悪そうな言い回しだよね、香水臭い金髪専業主婦の息子らしい発言だ」

「……」

「そしたら遊星はね“父さんと母さんを笑われた”と言って、怒った表情をしたんだよ。自分ではなく僕らを侮辱されたと、人を殴ったんだ」

「……、…」

「……親バカかな、これ以上なく嬉しかったよ。世界中の人に“僕の息子はこんなに素晴らしい子なんだよ”と言いたかった」

言い切り、父はわしゃわしゃと俺の頭を撫でる。そして肩を引き寄せ、それからまたわしゃわしゃと更に乱暴に頭を撫でた。

「その時思ったんだ。この子は人を愛する天才だってね」

「……そんな」

「上手に人を愛せる人は、人を幸せさせれるし、幸せにもなれるんだよ、遊星」

「幸せに…」

「ママがそう、幸せだったんだ」

写真に写る鬼柳を指先で撫でて、父は「だから遊星が人を愛した事を祝福するよ」と笑った。

母が幸せであった事はよく知っている。あんなにも幸せそうな父と母が、死別という形で無理矢理引きはがされたのはあまりにも酷だ。しかし、余命を知らされてから死ぬまでの母と、父は、以前と変わらずにやはり幸せそうだったのだ。息子の俺の目に入る範囲はそう見せていたのかもしれないが、だがそうにしたってあの姿は演技なんかではなかった。二人は、幸せだったのだろう。この上なく、最上級に。

「とりあえず今度、鬼柳君に会いたいなぁ。素敵な子なんだろう?」

「ああ。笑顔が可愛らしくて、苦を他人に与えないんだ…自分より他人が大事で…それでいて芯が強い」

「わあ。ママによく似てるよ、それ。やっぱり親子なんだな、僕ら」

わしゃわしゃと頭を撫でられ、「とりあえず朝食を取ろう」と言えば、父は撫でる仕種をそのままにリビングへ向かった。
この三日間、鬼柳に連絡がついたら家に呼んでみよう。なんだかわくわくする。
俺の頭を撫でる父の掌に手を添えれば、更になんだかうれしくなった。平和な三日間になりそうだ。



***



たまには親子話でも。
仲良し親子。ずっと二人暮らしだったから、絆は深いです。









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