Moonlit night
小走りで少年の後ろをついていく。小高い丘にたどり着き、そこで大きな鳥ポケモンが娘の目の前に現れた。本で観たことのある、雄雄しくも鋭い目をするポケモンだった。少年はそのポケモンを撫でると、娘の手を更に引っ張って身を寄せた。
「ぁ…」
こんなにも異性と近づいたのは初めてで、若干頬を赤らめて少年を見上げた。すると安心させるような笑みを見せ、そのまま娘を抱き上げた。何が起こったか理解できぬまま、娘は少年とポケモンに乗り、あっという間に空高く飛び上がった。
「っ!!」
「あー…空飛ぶの、初めてか?」
「え、えぇ…」
「大丈夫だ、俺が支えてるから怖がらなくて良い。」
しっかりと抱え込まれた腰が恥ずかしくて、でも頼りになるその温もりを離すわけにもいかず、ただただ全身に感じる冷たい風が凪いでいくばかりだった。
「…よぉっし、着いたぜ。」
まどろむ意識の中聞こえたささやかな声、いつの間にかうとうととしていたようだ。深夜の海に光る満月の影、そこは港だった。
「ここは…?」
「ミオシティだ、知らないか?」
「えぇ…私、外へ出たことが無いから…」
「そうか。」
驚いた様子も無く、少年は娘の手を引きながらポケモンから飛び降りた。ひと鳴きしてから、少年のボールに戻されていく。彼のポケモンだったようだ。そこで静寂が2人の間を通り抜け、なんともいえない空気になる。最初に口を開いたのは娘の方だった。
「あなた、どうして私をあの屋敷から連れてでたの?あの場所は黒の組織が密かに拠点として利用する所…そこに居た私に対して、不信感はないの?」
「…」
確信を突いた質問。娘は自分が急にこのような事態になったことを未だ理解できないでいた。自分はただあの檻の中でしか生きることの許されない、哀れな小鳥だったというのに。いきなりの解放に戸惑っていたのだ。少年は目を泳がせながらも、はっきりと娘に向かい話し出す。
「その、俺はカントー地方で新しくジムの運営管理をすることになった、元チャンピオンのグリーン。まぁ…チャンピオンっつっても少しだけだったが、俺の実力が認められてトキワジムを持つことになったんだ。」
「トキワ…」
「その名前は知ってるんだな…サカキがジムリーダーをしていたんだ、そりゃわかるか。」
「…」
「で、そのサカキがロケット団を解散して逃亡した。だからその復興を俺がすることになったわけ…地下の整備室で鍵を見つけたのは予想外だったけどな。」
グリーンと名乗った少年は、ジーンズのポケットから金色の鍵を取り出した。きらきらと月の光を反射するそれは、娘も見覚えがあった。いつも使用人が自分の部屋へ出入りするときに使っている鍵と同じだった。
「整備室内にある鍵庫の奥に手紙があったんだ。封を開けてみたら、写真と伝言みたいなのがあって…そしてこの鍵が入っていた。」
「伝言…?」
「"この手紙が見つかるとき、私は光の届く場所にはいない。この文書を見たものは、同梱されている鍵を使いシンオウにある島へ行け。煌びやかで闘志みなぎる場所の森深く、そこにロケット団の幹部のみが知る機密拠点がある。その屋敷には幹部の身内の者と、愛らしい小鳥が一匹。鳥籠はこの黄金の鍵以外では開かない。"」
「…」
「"文書を発見せし者よ、鍵を使い解放させよ。あとは好きにするが良い、だが何者かに捕まるような事だけは無いように。"」
「お父様…」
「"我が愛しの姫お嬢さんよ、どうか非道な父を許しておくれ。"」
「…っ!」
生まれてから、片手で数えられる程度にしか姿や声を知らぬ父の手紙。都合の良いやつだ、そう重い表情を曇らせるお嬢さん。グリーンは手紙を戻すと、怒りや悲しみで震えるお嬢さんの肩を抱いた。
「…残されていた子供2人のデータは、この鍵が認証パスになって全部消去された。」
「そう…」
「警察も動き出して、トキワジムは今捜査員でいっぱいだ。お嬢さん、だっけ?お前と弟の存在は、どうやらあの屋敷に居たやつしか知らないみたいだし、身の危険はほとんど無いと思う。」
「…」
お嬢さんは父の逃亡や、自分と弟の存在の消滅よりも、何故かグリーンを巻き込んだことに酷く悲しんでいた。彼は父の文書に従い、良い様に使われてしまっただけなのだ。ふ、と顔を上げてグリーンを見つめる。
「ごめん…なさい、ごめんなさい…っ!」
「え?」
「貴方のような善良なお方を、悪の組織の都合で振り回してしまった…」
「ぁ、いや…気にすんなって!俺が勝手にやっただけだか「いいえ。」
強い口調でグリーンを止め、お嬢さんはどこか遠くを見つめるような目をして、淡々と喋る。
「私はこのまま警察に身柄を差し出します。生まれが罪である以上に、貴方にご迷惑をおかけしたことがどうしても許せないのです。私は何をしなくても、悪から生まれた子…存在自体が、罪なのです。」
「…っ、馬鹿言ってんじゃねぇよ!」
ガシリと両肩を強く掴まれ、グイと顔を近づけられる。吐息が交じり合うような距離、しかし今は恥じらいなどなく、グリーンは鋭い眼差しでお嬢さんを睨んだ。
「私の存在が罪ですだとぉ!?何が悪から生まれた子だ!てめぇは人間から生まれた、ただの女だ…周りの事も全部自分が背負って罰を受けることがそんなに楽しみか?お前はそれを望まれて生まれたんじゃねぇだろ…サカキの手紙から、何にも感じなかったのかよ!?」
「ぁ、あぁ…」
「俺が怖いか?恐ろしいか?…怯えて逃げるだけじゃ何にもかわらねぇんだよ…俺は鍵開けて、お前を逃がせばそれでいいと思っていた。けど、あの時目が合った瞬間…んなこと出来なかったんだよ…」
「ぇ?」
「チッ、言わせんな馬鹿!とりあえず船に乗ってマサラまで行くぞ!」
「…きゃぅ!!」
少し強引にお嬢さんの腕を引っ張り、停めてあった小さな船に乗る。趣味の良いシックな内外装、これはグリーンの持つものだろうか。連れてこられるままに部屋へ通され、ふかふかのソファに座った。
「あの…」
「んだよ…」
「ありがとう…」
生まれて初めて言ったかもしれない。絵本や小説でしか見たことの無かった言葉。こんなにも暖かい言葉だったなんて。
「お、おぅ…」
お互い、照れくさい感情が心の中をぐるぐると巡るような感じで、サッと視線を逸らした。しかしお嬢さんは、足早に操縦室へ向かうグリーンの背中から目を離すことが出来なかった。どうしてそうなったのかもわからない。これまでずっと秘境で暮らしたお嬢さんは、わからないことが多すぎた。今はただ、その不可解な暖かい感情の名前を探すのみ。
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俺様なグリーンですから、一目惚れとかだとすごく可愛くなる気がしました。
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