二つの足跡 夜の海は深く、まっくらで向こう岸までなにも見えやしない。 花火を楽しんでいた集団もすでに帰ってしまったようで、昼間もあれだけ人が溢れ返っていたというのに今では俺たち以外には人っ子一人いない海辺にはただただ穏やかな波の音だけが静かに響いていて、青いビーチサンダルで波打ち際を歩く蹴治の、ちょっとこわいね、なんて囁きのような小さな声もはっきりと耳に届く。 俺は目の前でぷらんぷらんと揺れている、出会った頃に比べると随分と日に焼けた細い腕にどうしても目線がいってしまい、気づけば手を伸ばして蹴治の左手を半ば強引に掴んで引き寄せていた。 一瞬だけぴくりと肩を震わせ、蹴治が振り返る。頬はほのかに赤く、それはきっと風呂上がりのせいだけではないだろう。 「ちょ、ちょっと、かおる」 「んだよいいじゃねーか、誰もいねぇんだし」 そうだけど、と口籠る蹴治には構わず指と指を一本一本絡めとるようにして握り締める。 例え誰かいたとしてもこの暗さじゃあ俺たちが何をしているかなんてわからないだろうが、蹴治はきょろきょろと何度も辺りを見回し誰もいないことを確認して、ようやっと恥ずかしそうに、けれどそれよりもずっと嬉しそうに微笑んでゆっくりと指を絡めてきた。 「明日で終わりなんて早いよね」 手を繋いだまま、しばらくあてもなく砂浜を歩いていた。そろそろ日付も変わる時間だろう。 蹴治の言うように、早いもので明日でインターハイに向けた三日間の夏合宿が終わる。 海辺の宿を借りて、近くの高校との練習試合。明日も別の高校との試合があると言っていたし、練習メニューだっていつもの二割増しくらいにキツイ。 それでも、中学時代にはマネージャーとしてでしか参加できなかった合宿に今では選手として参加できることが嬉しくて仕方がないのだと、蹴治は目を細めて笑う。 「……たまにさ、夢なんじゃないかなって思うときがあるんだ」 かおると、みんなと。こうしていっしょにサッカーができるなんて、夢でも見ているみたいだ。 突然歩みを止めた蹴治がそんなことを言い出したので、空いている左手で柔らかくふにふにした頬を思いきりつねってやった。 「いたっ!」 「な、夢じゃねーだろ」 むにっと遠慮なく引っ張る。おお、のびるのびる。 「わ、わかったってば!もう!」 わかればよろしい。手を離してやると蹴治は頬を押さえ、むー、と唇を尖らせうらめしそうに睨んでくるが、うっすらと涙が浮かんだ瞳は潤んでいるので迫力はまるでない。 それどころかまだ幼さの残るその表情は思わずキスのひとつでも落としたくなるくらいに可愛らしくて、今いきなりしてやったらこいつはどんなふうに慌てふためくんだろうなと考えていたらどうやら顔に出ていたらしく、なんで笑うのと怒られてしまった。 それさえも可愛くてまたにやけていると、ぎゅうっと痛いほどに、指先に力が込められた。 涙目だったくせに急に試合のときに見せるみたいな真剣な顔つきになったかと思うと、蹴治はいつになく強い口調で続けた。 「絶対勝とうね」 もちろんその言葉が明日の練習試合のことだけを指しているわけじゃないことはわかっている。 蹴治と、みんなと。いっしょにサッカーをしていたい。できることならば、いつまでだってずっと。 「ああ」 同じくらいに、いやそれよりももっと強く強く、力を込める。 夢なんかじゃない。誰にも知られず一人きりでずっと練習を続けてきた蹴治の努力を、絶対に無駄になんかしない。ただの夢で終わらせたりなんてさせない。 痛いよかおる。真下からの抗議の声も聞こえないふりをしてさらに強く握り締めてみた。言葉とは裏腹に、こちらに向けられている蹴治の顔はひどく幸せに満ち溢れている。 立ち止まっていた俺たちはどちらからともなく再び歩き出した。手はしっかりと繋いだまま、離さずに。 誰もいない海辺には、変わらず穏やかに波打つ音と、砂を踏み締める音だけが微かに響いていた。 宇宙ロケットさまへ提出/110813 [戻る] |