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それは、雨の降る日のことだった。
朝早くから、ただシトシトと静かに降り続ける雨。
この季節に降る雨は、どうも肌寒い。

私は、昔から雨が大嫌いだった。

雨が嫌いなのに理由を挙げるとするのなら、雨は人々に孤独であることを思い出させるから。

特に、雨の降る夜はその孤独をより深めた。
真っ暗な世界に、聴こえてくるのは雨の音だけ。
それだけで、孤独を感じるのには充分だった。

ああ、太陽が恋しい。

なんて、この近江の空に太陽が輝いているのを、このしばらくの間見たことがないくせに。

「この地では、三百年に一度空が曇る。
それは、大きな災いの前兆。」

それが、この地に伝わる古くからの言い伝え。

その言い伝えに関係しているのかどうかは分からないけど、近江の地はいつも曇り空に覆われていた。

だけど、そんな近江にも太陽はあった。
近江の空に、焦がれる太陽。
それが、曇神社十三代目当主・曇天火。

彼の笑顔は、人々の心を明るく照らした。もちろん、私の心も。
みなが、その太陽に恋焦がれた。そして、私もその太陽に恋焦がれた一人。だからこそ、伸ばしたその手が届いたときには、驚きを隠せなかった。

両親が昔から曇神社に野菜の差し入れをしていたこともあり、私と曇三兄弟、特に長男の天火と私は年が近く、仲が良かった。だけど、きょうだいのように育ったことが災いし、天火にとって私は妹のような存在となってしまった。

女としてじゃなく、妹として守られることの悲しみ。
だけども、その悲しみはただの思い込みにすぎなかった。

天火に好きだと告げたとき、天火が言った。
「ずっと昔から、お前のことが好きだった」って。

晴れて恋人同士となった私たち。最初は照れくさくなるときもあったけど、今となっては、彼がいないと息すらもできないように思えた。

なんて、天火のことを考えていたらさらに孤独を感じるようになってしまった。

数年前に両親が他界し、今は両親が遺してくれた家に一人で暮らしている。畑も遺してくれたおかげで、経済的には困らないけど…けど、やはり、一人は寂しい。

あーあ。天火に、会いたい、な。
そう思ったときだった。

コトン。

玄関の方から、微かだけど物音が聞こえた。こんな夜遅くに、誰かが訪れることなんてありえない。もしかしたら、獄門所から逃げ出した罪人かもしれない。

物音を立てぬように台所から包丁を持ち出し、ゆっくりと玄関の方へと近づいた。

「…誰か、いるんですか?」
「俺だ。開けてくれ」
「天火…?」

慌てて、玄関の戸を開ける。開けた先にいたのは、傘も差さずに立つ天火だった。

「こんな時間に、どうしたの!?」
「名前こそ、こんな時間まで起きてたのかよ。そんな物騒なもん持って」

そう言って、天火は笑いながら私が持つ包丁を指差した。

「こ、これは…!もし、獄門所から逃げ出した罪人だったらどうしようかと思って…」
「バーカ。そういうときは、そんなもん用意するよりも俺を呼べ」

そう言いながら、天火は家の中に入る。私も戸を閉めてから、天火に続いて家の中へと戻った。

慣れた手つきで、囲炉裏に薪を入れて火をつける天火。どうして天火がこんな時間に私の家に訪れたのかも分からないままに、とりあえず私は、雨に濡れた天火の髪を拭くための手拭いを差し出した。

「風邪、引いてるんでしょ?拭かないとますます悪化するよ」
「ん?お前が拭いてくれるんじゃないのか?」
「ふふっ、なによそれ…」

囲炉裏の前に座り暖を取る天火の後ろに回り、長く垂らされた髪を丁寧に拭いていく。雨に濡れた黒髪は普段よりも一層艶やかで、思わずその一房を手に取り、唇に寄せた。

普段なら、こんなこと絶対にしないのに。

ここ最近、天火が風邪を引いていたせいでお見舞いに行くことはあったものの、こうして二人きりになることはなかった。そのせいか、大胆な行動を取ってしまった。

「誘ってるのか?」
「…だって、二人になるの…久しぶりだったから」
「それもそうだな」

その言葉が合図だったかのように、天火は私の手首を引き寄せその場に組み敷いた。

そして降りかかる、蕩けるような熱い接吻。
重なり合う唇の頂を天火の舌先で突つかれ、恐るおそる唇の隙間から舌先を差し出す。そうすれば、舌と舌がまるで歯車のように組み合わさり、お互いの体温を伝え合った。

天火が風邪を引いているせいか、いつもより舌が熱い。その熱につられるかのように、私の体温もどんどん熱くなってゆく。それがなんだか怖くて、天火の肩にしがみついた。

「…そんな可愛いことすんな。止まらなくなる」
「だって、天火がいつもより激しいから…」
「っ…!ほんと、名前は男を誘うのが上手いなぁ。俺がいなくなったら、周りの男共はみんなお前に言い寄りそうだ」
「…?天火は、いなくならないでしょ?」

私がそう言うと、微かだけど天火の瞳が揺れた。

どうしてだろう?普段の天火なら、当たり前だっていって太陽のように輝く笑顔で言ってくれるのに。どうして、そんな悲しい顔をするの?

ねぇ、天火。天火は、私の両親のようにいなくならないでしょ?だって、天火には守るべきものがたくさんあるじゃない。弟の空丸や宙太郎、この近江の地に生きる人々。それらを遺して先に逝くなんて、天火なら絶対にしない。

だから、ねぇ。早く言ってよ…。いなくならないって。俺はずっとここにいるって。

「天火…?」
「なぁ、もし俺が明日死ぬとしたら、お前ならどうする?」
「どう、してそんなこと聞くの?」
「いいから、答えてくれ」

天火のこの顔、前にも見たことある。今にも泣きそうな、それでいて全てを諦めたようなこの顔。天火が、犲を抜けると言ったときも、こんな顔をしていた。

これは、天火が自分の本当の想いを押し殺しているときに見せる顔だ。

私には、天火の本当の想いが何なのかは分からないけど、この質問にはなぜは答えなくてはならない気がした。

「天火がいない世界なんて、太陽のない世界と一緒よ…。そんな世界に生きるなんて、私にはできない」
「…俺の後を追って死ぬ、か?」
「天火はそれを、許さないだろうけど」

私がそう言うと、天火はハァーとため息を吐いて私を抱きしめた。

「お前なら、そう言うと思った。だから、俺の分まで長生きして他の誰かと幸せになってくれって言うつもりだったのに…」
「天火…?」
「…嬉しい、なんて思った俺を、お前は嫌いになるか?」

天火の手が、私の頬を滑るようにして撫で、そして唇に触れる。そのまま親指で上唇と下唇の間に優しく割り込み、唇の弾力を楽しむかのように弄んだ。

私は、嫌いになんてなるわけがないと答える代わりに、天火の親指に吸い付き、そして爪先に軽く舌を這わせた。

「ぶはっ…駄目だ。今すぐ名前を滅茶苦茶にしてやりたくなる」
「…ん。天火になら、何されてもいいよ…?」
「…こんな可愛い女遺して、死にたくねぇな」

どうして、さっきから天火は自分が明日死ぬことを前提に話をするの?天火している話は例え話であって、本当のことじゃないんでしょ?

なのに、どうしてそんな不安になるようなことばかり言うの?これじゃあまるで、明日本当に貴方が死ぬみたいじゃない。

「天火…私を遺して、どこかに逝ったりしないよね?」

天火はその質問に答えることなく、私の首筋にそっと舌を這わせた。

所々で肌が熱くなるのは、天火が咲かせる赤い華のせい。肌蹴てゆく着物を気にすることもできずに、私はただ甘く啼くことしかできなかった。

「天火…」
「頼みがあるんだ。聞いてくれるか?」
「なぁに…?」
「お前は、俺以外の誰のものにもならないでくれ…。もし俺がいなくなったとしても、この灰色の空の下で俺を想い続けてほしい」
「なん、で今…そんなこと…」
「そうすれば、俺はずっと名前の心の中で生き続けることが出来るからさ」

天火、天火。私、貴方に聞きたいことがたくさんあるの。

どうして今、天火がそんなことを言うのか。
天火のした例え話は、どういう意味があるのか。

天火は、私の前からいなくなってしまうのか。

それなのに、ああ、駄目だ。飲み込まれてしまう。天火に。

天火の熱が、私の中をどろどろに溶かす。ああ、このまま、二人で溶け合って消えてしまいたい。そう願うと共に、私の瞳からは一筋の涙が零れた。

そしてそのまま、私は意識を手放した。

次の日の朝、目が覚めると天火はいなかった。いつの間にか敷かれた布団に微かな温もりと匂いが残るだけで、家中どこを探してもいなかった。

そしてその日。
曇り空の地から、太陽が消えた。

2015/1/19
原作の第十話「三兄弟、古巣に揃寝」の夜から第十一話「天下、不穏に揺れる」の朝にかけての話。


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